辻川慎一つくば便り

家族あみだくじ(阿弥陀籤)

土曜日の乗務は、仕事そのものよりもオフの方が色々とありました。

私の仲間たちはそれぞれが大変なのですが、色んな大切な事を伝えてくれますし、私の頼み事に心良く応じてくれます。

そして「辻川さんが言って来た通り大変だと思う時ほど、仲間たちがいてくれる有り難さを感じます。」とも伝えてくれます。

その言葉を伝えてもらえる事自体が、私を支えてくれるのです。


(昨晩は、家事分担のあみだくじをワイワイとやりました。「さのまるくん」を当てた人は、無しでございます。私は、洗いものを当てました。)


今住んでいる家にたどり着くまでに、あちこち色んな物件を見て来ました。

「茨城の中古物件なら、家賃を払う値段で買えるのでは?」と言う発想でございました。

あちこち中古物件を見ると言う事は、今の世の中を見ると言う事でもありました。

周りにスーパーも、病院も無く、交通も不便になった郊外の一戸建て住宅団地は、高齢化して住む人がいなくなり廃墟化しているのです。

1960年代末から、夢のマイホームが東京よりは圧倒的に安く手に入る。老後は自然豊かな地でゆったりと過ごせる。
そんなイメージで山野を切り開き、たくさんの団地が作られた訳です。


(牛久沼湖畔の「森の里」団地)


ところが、住む人が居なくなった物件の玄関に「◯◯。お父さんは亡くなりました。これを見たら連絡下さい。」と張り紙があったりするのです。

そこで育った息子は、家を出て音信不通なのだと分かります。

家族そのものが、壊れてしまっている。

不動産屋さんにも行きましたが「あそこは安いけれど、おすすめできません。地震の時に液状化して家も傾き、道路も波打っています。安くても誰も買いませんよ。」と言う団地もありました。

牛久沼湖畔の団地でございます。

それは1984年の「フーテンの寅さん」の映画の舞台になったところでした。


(画像が良くありませんが寅さんと大原麗子さん。この団地です。)


時代の波、東日本大地震が揺らしたのは家、原発、そして家族を土台とする社会そのものだったのだとしみじみ思いました。

夢のマイホームに夢は無かった。
家族って何だ?仲間って何だ?社会って何だ?

全てを揺るがして崩れ、廃墟化しているのは福島や能登半島だけでは無いのだと思います。

他人事ではなく誰しもが何のために?と問われ来た様に思うのです。

簡単に結論は言えませんが、人であれ物であれ、単に利用の対象とするのであれば、要らなくなれば捨てれば良いと言う生き方をしていれば、いつか自分も捨てられるし、自分で捨てなければならなくなる。

音信不通の息子は、家を出る前に人としては家族に捨てられていたのではないかな?

そんな事を考えます。

1987年の国鉄分割民営化の時に、利害関係で人を利用し、自分が生き残るために仲間を出し抜く事を「意識改革」だとされました。

実はその時に、既に家族や仲間と言う関係の破壊に未来があるのか?が問われていた様に改めて思います。

仲間である事を捨てた時に、自分も捨てられる道を選んだ。それは家族と言う関係を守る事にもならなかった。「自分の事だけを考えろ!」その結果を私たちは見ているのでは無いでしょうか?

東日本大震災は、形式的な家族や仲間と言う関係を徹底的に揺るがし、壊した。

利害関係や利用し合う関係の中には、人としての孤立があるだけで夢の未来なんか決して無い。

あみだくじって、阿弥陀如来の後光から名付けられたのですね。その意味では外れはありません。どんな結果でも良い訳です。本当の家族がいて仲間がいるなら孤立なんかしないし、どんなくじを引いても幸運に変わる様に思えるのです。

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