辻川慎一つくば便り

希望は自分の中に。

40億と68才5日目の今日でございます。

お陰様で金曜ラッシュは、ジタバタせずに覚悟して、心静かに臨めば大した事は無いと言う心境になりました。

今日は大型バスで臨みます。大きいので、ジタバタできない。してはならない。なので良い経験になります。


5年ほど前に撮った写真です。空の青が深い。「希望」を求めて彷徨っていた私の心象風景の様に思えます。


60才でJRを去り、幹部を務めていた政治党派と別れるために2年ほど追われておりました。称賛から非難へ。仕事もせず、何もできず、社会そのものから置いていかれている感じがしたものです。

そしてバス運転士になり、ミスの連続で運転士の仕事からも外されて2年間雑務に近い仕事を懸命にやりました。もはや権威もへったくれも無く、新しい家族のためにと頑張るしかありませんでした。
そして、再チャンスを頂いてのバス運転士への復帰でした。

気が付いたら、65才をとうに越えておりました。

そして離婚して迎えた68才の誕生日でした。

しかし、初めて一人で落ち着いてもう一度バスの運転に向き合う事が出来た様に思います。

フルタイムパートの運転士ですから、会社からの評価の対象外。年齢的にも社会の評価からも対象外。若い頃ならいざ知らず、色恋沙汰でも対象外。土台お金も財産も無い高齢者なんてのは、相手にはならない様に思います。


(午前3時の朝食。納豆、ぬか漬け、目刺し2本のおかずに致しました。)


つまり、ジタバタしても誰からも評価されないと言う現実の中にあります。

逆に言いますと、人の評価に振り回される事が無用になったと言う事です。

思い返せば、称賛や評価なんてものの中に確たるものなど無い事を思い知ったはずでした。

それでも、再び称賛を受けられるのではないか?と言う幻想も捨て切れていなかった様に思います。

多かれ少なかれ、過去に栄光があると思う人ほど難しい様に思います。


(一時帰宅のランチは、ちょっと疲れてしまい、お茶漬けに致しました。梅干しに新生姜、大葉、海苔を刻んでトッピングしました。)


時代の要請に応えるとか時代をつかむとか懸命に生きたと思うのですが、ところで時代の方は不確定性を現代的特徴にしている様です。

つまり時代を追い掛けて、人の評価を気にすればするほど振り回されるだけで不安定になる。評価は一瞬で潰え去る。私たちは、そう言う事を日々目にしております。

評価の中に自分を置くのでは無く、自分自身が納得できる事をやる。評価の基準も対価には置かない。

そう言う生き方が、実は現代に希望を見出す生き方なのではないか?

そんな事を思います。

ありのままの自分を受け入れながら、信頼できる人とのつながりを大切にする。

これまでの経験や既存のやり方が通用しない難しい時代だからこそ、自分に由れるかどうかが不安定の中で確たるものではないか?

そんな事を思います。
ありのままの自分を受ける事は、簡単ではありませんね。でも受け入れられなくなると、確実に心は病む。それも私たちは身近に見ております。

だからやはり先ず自分からなのだと思います。希望は、自分の中にあるものですから。


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