辻川慎一つくば便り
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人の心はどの枠にも収まらないんだよ。
子どもは存在そのものへ、青年は人生へ、大人は社会へ、老人は死へ問いかけながら生きていると言う。
なるほど、自分もその様なプロセスを経て今に至る様にも思います。
では、答えを見つけて来たのか?と言えば、未だに考え中ではあります。
人にどう見えようとも、かなりひたむきに生きて参りました。確たる答えは無いものの、かなり面白かった事は確かだと思う。
その意味では、色んな要望に応えながらも、結局は自分に正直な選択をして来て、今がある。
なので、後悔や反省はあるけれど、今に対する不満は無い。
(昨年植えたメランポジウム。強い植物で、落ちた種から今年も生えて来ました。)
明日には手術後2週間になりますが、腸炎も治まらず何やらとても疲れます。お腹がゆるいと言うのは水分だけでなく体力も持っていかれるのですね。7月に比べると、ずいぶん涼しく感じられるのが有難いと思います。エアコンも扇風機も無しで、良く眠れますので。
今日は、ハンドルを握らずに完全添乗の「教官」ですが、目を離さずに見て助言をしながらですので実際にはかなり疲れます。「バスの清掃はしておきます。」との有難い申し出を受けて、朝は少し早めに切り上げさせて頂きました。
相手の方の運転だけに向き合っている訳ではなく、どうしたら受け入れてもらえるのか?を考えながら。しかも自分の意見や指摘が、果たして相手のためのものなのか?が絶えず問われるのです。
仕事上の事ではありますが、教えると言う事を通して自分が問われて成長すると言う事を体験して来ました。「偉い人」だったので、JRにそのままいたら経験出来なかったろうなと思います。人を腐らせるのは、持ち上げる事。乗せられてはいけないのでございます。
口先だけで、心にも無い事を言い、腹の中は違う。そう言う生き方を拒絶して生きていたはずでしたが、まんまと乗せられてもいた。
反省して、今があります。
今日は、愛車の6ヶ月点検もやって来ました。
私の車選びのコンセプトは「周りと喧嘩しない車」。もちろん景色とも。自然の中におさまる様な車なんですね。何だかツリ目でケンカ腰みたいな車、虚勢を張っている様な車も好きになれません。
で、結局「可愛い車」になってしまいます。流行りの車が作られますので、選択の巾もほとんど無いのが現状です。もちろん、資金が無い現状もあります。
強いと見れば持ち上げて、弱いと見れば蹂躙する。どうも力の世界と言うのは貧困だし、その狭い世界を生きて死んで行く。
おい。舐めるなよ。広く豊かな世界と人の関係ってのがあるんだ。狭いところに人を縛りなさるな。
私の闘いってのは、ずっとそうだったのだと思う。もっともらしい事を言う人たちを信じて失敗もしたけれど、なかなか楽しかったと思えるのはどの枠にも治まっていなかったからなんだと、今に思う。
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2026/08/19 13:00
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大切な人を思える事。
手術から12日目、乗務再開2日目でございます。
朝乗務を無事に終えましたが、何やら疲れてしまいました。なるべく部屋を暗くして「仮眠」しましたら、なかなか起きられず3時間も横になっておりました。
そしたら今度は、強い便意。腸炎の方もなかなか治まってくれません。
今までの様に簡単に行かない。それが、今の年なのだと自覚させられている感じです。
それでもなお、仕事があって、働く事ができる事の幸せを思います。
昨日は、体調を崩していた4つ下の同僚が熱中症で救急車で搬送されました。
いくら強気の事を言っても、健康でなければ通用しない。仕事も続けられない。シビアなこの社会の現実です。
タバコも止めた、酒も絶ち、食事制限もしているんだ!で、だから?必ずしも良くなって行くとも限らない。
でも、自暴自棄にもならずに努力し続けられるって、どこから来るの?なんて思う。
昔、JRの車両センターで働いていた頃。青年たちと飲んでいた時に「辻川さんは、きっと僕がいた事なんか忘れてしまいますよね?」なんて、おかしな事を言った人がいた。
その時に、もっと良く話しを聞くべきだったと今でも後悔している。その青年は、自ら命を絶ってしまった。ほとんど初めて会話したのに、その様な言葉を私に投げかけた事の重みに気が付かなかった。
それは、後に息子の死として再び私に襲い掛かった。
人は簡単に死なないとも言うが、死を選んでもいる。
人への思いが、言葉になるところに詩が生まれると言う人がいた。福島在住の詩人です。
そうだよ。目の前の人、周りの人への思いからずいぶんと遠ざかっていた様に思う。
手紙からも、詩からも遠ざかっていた。
大切な人がいて、ちゃんと思える事。
親子の愛。恋愛。友情。師弟愛。…思えば人が共通して感動するのは人への思いだった。
誰か大切な人がいて、思い、できる何かをする事。
それが、自分を支えているのかも知れない。
さて、夕方の乗務も何とか無事にやって来たいと思います。
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2026/08/18 14:42
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手術11日目。乗務。
手術から11日目。まだ痛みがあり、排便する事がなかなか大変です。
排出する。捨てる。放出する。と言う事ができないと自然の生態系は維持できないので、深刻なんですね。なので苦しく辛い。
仕方が無いので、少しずつ排出しながら何とかやっております。
今日は久しぶりの乗務。最近入った「新人」さんの研修・教官でございました。出勤ルートを運転して見せて、退勤ルートを運転してもらい必要と思う事を教える。そんな感じです。
最近は、未経験者でバスの運転士を目指す人が増えて来ました。私もでしたが、それぞれに前歴がある。プライドもある。なので「上から」言う事は一切ありません。注意やアドバイスはしても、相手を尊重する事を忘れない様に気を付けます。
(窓からそよぐ木の葉を見ながら、休憩しております。)
「人に上下はない」と言いますが、どうも四六時中人との上下関係を気にしながら生きてはいないだろか?
親子でさえ、親が上だと当たり前に思ってないかな?本当は、別の人格なのに。子は子で、力関係が逆転すると親の人格なんてのは関係なくなる。
夫婦でも、友人でも、同僚でも、上か下かなんてのに縛られるとどうも嫌な関係になる。
形だけ、口だけの平等なんて言う前に、自分の目の前の人全てに対等を貫けよ!なんて思う。
まあ、少なくともそんな風に、自分に言い聞かせている。自分を失わない様に。
(今日も小粥でございます。だんだんお腹が空くようになって来ました。昔、フィリピンで鳥の脚が入った中国風小粥を頂いた事を思い出します。美味しかった。)
子どもは、病気をしながら抵抗力を付けて行く訳ですが、しょっちゅう病気をしていた私を「お前は弱かった」と言う母。実は、たくさん病気をしたから抵抗力や免疫力がある大人になったのだけど、母の記憶は私が幼い時に心配して大変だった時のまま。
「◯◯は気を付けろ。」「リンゴは刷って食べろ。」「暴飲暴食はするな。」「近くで世話出来なくて済まない。」…いくらでも出てくる。「暴飲暴食なんかできる状態じゃないんだけどな〜。」と思いつつも「分かったよ。」と返す。
母親と言うのは、どうも対等の関係にならない。
たぶん、私の向き合い方に問題がある。他の人に向き合えると思いながら、母にはちゃんと向き合えていない。とすれば、他の人にも本当に向き合えているのだろうか?
実はず〜っと、人としての私の課題だったのかも知れない。
幼い頃から、痔に苦しんで来た私に母はずっと寄り添い続けた。私は、それを忘れて来た。
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2026/08/17 13:36
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当たり前の再発見。
速いもので手術から10日が過ぎ、明日からはバス乗務でございます。
お盆休みは自宅療養で終わりますが、手術の打撃は残っておりますので仕事をしながらの療養になります。
昔と違い、無理なく動きながらの方が回復が速いと言う考え方の様ですし、頑張って行くしかありません。
仕事があって、働き続けられる事だけが私の経済的生存の条件と言う現実なのですから。
当たり前の事になりますが、心と身体が元気である事だけが明日への希望の土台なのだと思います。
昨日は、断食から朝ゼリー、昼は「介護食」を頂きました。お腹が空かないので全然平気なんですが、一足早い介護食体験を致しました。
ところで断食してから、消化の良いゼリーや介護食と薬で腸の回復を図る訳ですが、ろくに栄養は摂れてない訳です。
そうしますと声が涸れて来るんですね。「えっ。どうして?」って、自分で驚いた訳です。
顔の表情や色つやだけでなく、声もまた人の印象を決める大切な要素なんですね。そして姿勢も。元気がなく不健康な状態だと、それが崩れる。
そんな事も再発見致します。
調子が良くないと、集中力と持続力も弱くなります。何をしてもイマイチでしたが、昨日は大分回復して休みながらも読書には集中できる様になりました。
小学生の頃にベトナム戦争があり、広島への原爆投下と共に私が反戦運動に関わって行く大きな動因であった訳ですが、時代の劇的変遷と人々の意識の変化を東南アジア近現代史から見直す。世界と人々の変化を見ずして、動かない理想や教条に当てはめようとする事の古さと狭さを、つくづく感じさせられました。
時代も世界もどんどん変化している。その流れの中で、いかに生き、いかにあるべきか?
本当は、誰しもがその様に問われている。年の問題では無い。そんな気が致しました。
昨晩は少し空腹感が出て来ましたので、お世話になっている友人に小粥とリンゴ煮を作って頂きました。久しぶりに「美味しい!」と言う感覚がよみがえりました。
ちゃんとお腹が空かないと美味しくないんですね。当たり前の再発見でございました。
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2026/08/16 07:57
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お盆の養生。
痔の手術で痛んでいるところに、急性腸炎。全てに紆余曲折があり、困難があるところは、私の人生そのもの。受け入れて行くしか無い様です。
お盆に、お酒を飲まないなんて何十年ぶりでしょうか?断食になると、生まれて初めてのお盆になると思います。
明後日から乗務が始まりますので、それまでには何とかしなければと言う思いが強い。JR時代には、なりようが無かった気持ちでもあります。
一体、あなたが必要だと言う言葉に、どれほどの重みがあるのか?よく考え直す事からの様に思います。いつからか、何だかとても表面的で軽くなった様に思う。
(10日間も休みながら、庭仕事も出来ないので鬱蒼として来た庭でございます。お陰で、部屋はかなり涼しい感じがします。)
24時間の絶食から流動食へ。本を読んだり、音楽を聴いたりして養生に専念していたのですが、友人が来て「霞ヶ浦高校の試合だね。」と言うので一緒に見る事にしました。
実は、私が住む町にある唯一の高校なのです。しかし、申し訳ないけれど野球そのものに特別の思い入れが無いのでございます。
初回から観ておりましたが、特に目立つ選手もおらずかなり小ぶりな選手が多い。しかし、特別な選手がいなくても、それぞれの選手が自らの役割を全うする。そして、監督の采配も選手一人一人を良く見て活躍させる。つまり、勝ちだけを重視しているのではなく、将来を見据えながら育てる事を貫いている。 そんなところに感心しながら観ておりました。鳴門渦潮高校の選手たちも、感じが良かった。
スーパーな選手を集めて、勝って脚光を浴びる事に煽られてしまうけれど、ゲームの枠内ならともかく、これからの社会を担って行く若者たちを育てて行くって事が大切だと思う。
若者たちを育て、成長する事を大切にする地味なチームが甲子園で2勝した事。凄いなーって思いました。
それから映画を見ました。
こちらは、「マスカットアレキサンドリア」と言うブドウを育てる物語。
どうにもピントがずれていて、アンビリバボーな失敗を繰り返す少女が主人公。「こりゃあ無いだろう!」「それ、ダメでしょう!」と就職した高級菓子会社で、全てダメ。最後に配属されたのが原料のマスカット農家のお手伝い。そこでも厳しく拒絶されながら、大切な事を学んで行く。マスカットを育てながら、自分が育って行く。そんな物語でございました。
まあ、考えて見れば人は何もできないところから人のマネをして、学びながら育って来たし、終生育ち続ける。作品に完成はあっても、人に完成なんて無いのだと思います。
監督さんたちも、子どもを指導し、育てながら自分も成長している。きっと、それがちゃんと分かっている監督さんのチームも育って行く。なので強くなる。
世の中も同じ。一方的に相手がダメだと批難し、詰るしかできないリーダーに強いチームなんかはできない。一緒に育ち、成長する関係にある事を、忘れてはならないのだと思います。
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2026/08/15 08:05
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