「辻川さん。俺たちが動ける時間は少ないんだ。自分の好きな事をやれよ。」私の過去や悲しい出来事を知る同い年の同僚の言葉です。
その通りだと思います。しかし、私のやりたい事って何だろう?と考えても浮かばないのです。でも、やりたかった事なら浮かんできます。

(公園の木は比較的に真っ直ぐですが、良く見ると真っ直ぐに育ってはいませんね。人もまた、真っ直ぐなんて事は無いのです。)
そう。一つは労働組合や政治党派の運動に賭けて、自分の生業はこれだと言える仕事が持てなかった事。
心が深く傷いて心の変調に苦しみながら、既に62才になっていた私。そこから、息子が命を絶った地でのバス運転士への挑戦。ところが、自分のミスでバス運転士を外されてしまった。再起を期してどんな仕事も腐らずにやった日々があった。それから2年越しでのバス運転士への復帰。そして、68才になり大型バスも任せてもらえる様になった。
他の人はやれている事だから、そんなに特別な事ではありません。
しかし、ようやく「私はバスの運転士です」と自分で言える様になった。例え日給のフルタイムパートであろうと、バス運転士を生業だと自分で思える様になった。
自分で言える自分の生業を持つこと。つまり、今、私はやりたかった事をやっている。

(落ち葉だって雨にぬれて、光って美しく感じます。)
それから、やりたかった事。自分のやる事の本当の魅力を見つけたかった。それが、人にも喜んでもらえると言う実感が欲しかった。
その一つが料理。そして、弾き語りの歌。それから、書く事。でも詩を書けなくなってしまった自分がいる。
全て自分が生きている事の表現の領域です。

(今夜の夕食。すり鉢で胡麻をすり、小松菜のお浸しに。ささみには、ネギを軽く炒めたのを乗せました。香りとビジュアルのアクセントで、美味しくなります。まあ、単に焼き鳥のネギマをヒントにしただけですが。)
そんな時に、良き友人、理解者の存在が大切な事を改めて知った。
自分から料理をやるのは、離婚してから。2ヶ月後に友人たちが家に来る事になり、人に食べて頂く料理への挑戦が始まった。
そして、友人が思い出に残ると感動してもらえる料理が作れる様になった。
つまり、これもやりたかった事。
ギターを買って弾き語りをやって見たのは高校生の時。でも、色んな事をやっていて忙しく、集中してやった事は無かった。元々は、フォークが好き。でも鉄道の仲間たちとやったのはロックバンド。そして私は、ベース担当。
それでも何故かフォークギターは、ずっと手放さなかった。
フォークギターを弾いてみるのは40年越し。
改めて聞いたり、弾いてみると、日本の曲もアメリカの曲もとてもたくさん記憶の中からよみがって来る。あ〜、やはりフォークソングが好きだったんだ。その事に改めて今気付く。
なので、これもやりたかった事。
そして、毎日の様にブログを上げる。書くのではなく打っているが。
ただ自分を表現したいと言うのではなく、コミュニケーションの本質が贈り物である様に、贈り物になる様な表現をしたい。
なかなか欲深なん人間なんだと思う。

人に喜んで、感動してもらえなければ本当の贈物にはならない。
高価でも、ブランドでも無く、深く喜んで生きる力になる贈り物。それが出来たら、自分が幸せを感じる事にも気付いた。
私も含めて、誰しもが天からの贈り物なのだと思う。
だから人には、贈る事に幸せを感じる本質がある様に思う。奪う事は、心の貧困であり幸福を決してもたらさない。