木漏れ日の哲学
何か行動を起こすとリアクションがあります。
行動に意味や影響があるほど、リアクションも明確に起きる。
リアクションがない行動だと、あまり意味が無いと言う事なので寂しいかも知れません。
ともあれ私の行動には意味や影響があった様で、そのリアクションにも責任を取らないと行動の意味が無くなります。
今日も、リアクションに対応して時間が無くなってしまいました。
人を大事にするって大変な事だと、半端な覚悟ですべきことでは無いと改めて思います。

炎天下で一時間話し込みフラフラになったので、木陰で休みました。
https://youtu.be/usgY2xHcIqo
昔、カントと言う哲学者の代名詞みたいな方がおりました。
人間はどう生きるべきか?なんて人間しか考えないですよね。
その方が「知性と言う人間の力は、公共的に使用されなければならない。」として、自分はもちろん例えば企業や国家であっても公共ではなく私的使用なんだ。さらに広く人間全体のために使うのだと言った様です。
人間の知性・力と言うのはその時に本当に公的に生きると言うのです。
まあ自分のためなんてもちろんだけど、組織のためなんてのも人を活かすことじゃないんだってことかな。
一生一度をみんなで生きている。
みんなのために生きることに、人間の最高の知性の力があるんだよな〜。
現実は複雑なんだけど…。
木漏れ日に癒やされながらの哲学でございました。
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