みんなのためにたのむよ!
職場の人たちが、長年望んで変わらないで来た事を班長になって伝えられました。
班長とは、会社と学校との橋渡し役であり、会社と学校からの連絡を現場の仲間たちに伝える役であります。
そこでは、当然ながら現場の仲間たちの意見を聞く事になります。
ところが現場の仲間たちの要望を会社に伝える回路が無いのです。
本当は中間管理職が、その役割を果たすべきなのですが大体の方は自己保身の言い訳と愚痴で終わり。
つまり血管が詰まって循環しない訳です。
それだといずれ大きな病いになります。
だけどとりあえず今が良ければ良い。
世の中の縮図が目の前にあると感じます。JRでも同じ事を感じて来ました。

(身辺整理!と強がる小遣い作りでございます。)
私は、JRの労働組合の委員長を任された事もあり「組合員を守るために!」と「強い意志と行動でみんなをリードしなければ!」なんて考えて頑張った時代もあったのですが、何か違ってたなと反省しております。
昭和の劇画の影響も大きかったかも知れません。
一番肝心だった事は、仲間たちの話を聞いて調整してまとめる事。そして、その意志と要求を怯む事なく実現して行く事にあった様に思うのです。
そこに、私に対する信頼があったのではないだろうか。

(仲間たちを訪ね古巣を撮る。)
バス会社に入り、もうすぐ3年です。そして、65才の嘱託社員の仲間入りをする寸前です。
私は、人に対するレッテル貼りや噂や悪口なんかを絶対に信じなくなりました。
私自身がそれで散々な目にあったからです。
自分自身の目と耳で感じる事を信じる様にして来ました。
実際に会い、一緒に仕事をしてくれた仲間たち一人一人と向き合い、心から尊敬して来ました。
その結果なのかも知れません。
労働組合に入っている人もいない人からも「辻川さんお願いします。」と言われる様になりました。
一昨日は、尊敬する運転士の大先輩から「辻川さん、みんなのために頼むよ。思いは同じなんだ。」と言われました。
学校では、先輩方に何を聞いたのか同業他社の運転士さんにまで「お願いします。」と深々と頭を下げられてしまいました。
一体何が起きているのでしょうか?
職場の他の班長さんや所長さんにも協力のお願いをしたら
「実現は難しいかも知れない。でもみんな同じ思いだ。辻川さんがアクションを起こすなら、協力するよ。」
そんな応えを頂きました。
誰かが変えてくれる訳じゃない。
自分たち自身が、職場でも、地域でも、つまりこの社会の主体なんだと思います。
主権だの主体だと言いながら、ぶら下がるのは止める。そこからじゃないかな。
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