辻川慎一つくば便り
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癒しの時。
有難い三連休の休日2日目。
午前中は、コンクリートでスロープ化した通路と劣化した出窓の内側の塗装作業を致しました。
スプレーガンでなく大きめの刷毛で塗りました。経験上その方が持ちが良いので。
午後友人が訪ねてくれる事になりましたので、里芋の煮物を作る事にしました。
水出し昆布の出汁を作って置き、新鮮な地元里芋を見つけたのできっと美味しくできるはずだと思いました。
醤油、砂糖(沖縄産黒糖)、ミリン、お酒を適量出し汁に加え落とし蓋をして10分、さらに15分火加減を見ながら煮ました。
母の言いつけ「火を使う時は、火から離れるな。」を守りながら気長にやりました。
そして完成!一つ味見をしましたら優しくて、上品で、柔らかな美味しい煮物が出来ました。昆布出汁、おそるべし!
友人にもお土産にして食べて頂きましたら、やっぱり美味しくて優しい味だと褒めて頂けました。
と言う訳で、晩酌には和食に絶妙に合った「稲里大吟醸風五百万石」を頂きました。
友人が私の誕生日に、酒屋さんのアドバイスで買って来てくれた日本酒でございます。
JR水戸線の稲田駅の近くにある磯蔵酒造で作られているのですね。
辛口ではなく雑味の無い甘めなお酒が、美味しい煮物にとっても合いました。
地元産のお米を大事にしている酒蔵ながら、五百万石と言う酒米は富山県南砺(なんと)市産だとありました。
なんと合掌造りもある山間の綺麗な街なんですね。水が良ければ米も美味しいはずです。
五百万石と言う酒米は、山田錦と言う酒米がでるまでは主流の酒米だったと言うので古くからの酒米なんですね。
そんな事を調べて感心しながら、味あわせていただきました。
良い機嫌になって、ソファ椅子に座りバッハの「G線上のアリア」等の作品集を聞きました。何て優しい曲ばかりだろうかと癒されながら、そのまま落ちてしまいました。
https://youtu.be/thQWqRDZj7E?si=aOxDgrIolTcKc-1f
癒しって肉体の疲れや傷、精神的な悩みや苦しみを解消し、心を和ませてくれることなんですね。
ギリギリで頑張り続けて来た友人は、結論の出ないお話しを交わしながら、私の弾き語りを聞いて「癒される」と言ってくれます。
同じ曲でも、全く印象が変わるみたいです。
そう言えば、クラシックも演奏する人によってずいぶんと違います。
心の奥深くにまで届いて来る様な演奏をされる人は、やはりその人の人生や感覚の深さが反映されている様に思います。だから沁みてくる。
心と身体のストレスかと思いますが、蕁麻疹の痒みと向き合いながら、お互いの心の旅を熟成し合える時間が持てると言う事が、一番の癒しなのかも知れません。
「G線上のアリア」と言うのは、正確にはバッハの管弦楽協奏曲の「アリア」をバイオリン様に編曲した曲の事なんですね。バイオリンの一番低い音の弦であるG線だけで演奏できるので「G線上のアリア」と呼ぶそうです。ギターだとE線ですね。低い音を綺麗に出すのは実はなかなか難しいのですが、低い音が生きて高い音も生きる。低い音に癒しのベースがある様にも思います。
https://youtu.be/mpnLM322vJU?si=3oIYPpsHnkM8wj0n
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2025/09/15 05:24
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さすがに疲れたみたいです。
昨日は、大型バスで金曜渋滞、トイレタイムを除き約3時間走りっぱなしでした。何とか無事に帰庫しましたが、あいにく雨でボディが汚れてしまい、運休日前日と言う事で給油に洗車、清掃をしなければならず終わったのが夜9時。
JR時代の後輩から、仲間たちの近況を知らせる電話を嬉しく受けながらもやっぱり疲れたみたいで寝酒を飲んで、片付けもせずに気を失った様に寝てしまいました。
暗くてよく見えないルートを、集中力を切らす事も無く良く頑張れたもんだと自分でも驚く訳ですが、当然ながら若くはありませんね。
今朝は7時まで起きれませんでした。
どうも調子が出ませんが、懸案事項がいくつもありますので、朝食を食べて動き出す事にしました。
ファストフード店より、早いかも知れません。
先ずは、掃除洗濯から。
起きたのが遅いので、スロープ工事第一弾に着手したのは10時近くになってしまいました。
先ずは、飛び石状態で綺麗に並んで無かったコンクリート板を整然と並べ直す工事から。
何が大変って、重い板を剥がしながら土を出来るだけ平らにして一人で並べ直す事自体でございます。
重さで腰にくるわ、暑さで気が遠くなるわ、フラフラになるわ。やばいな〜、一人で倒れたらシャレにならんぞと休憩して水分をとったり、梅干しを舐めたりして何とか並べ変えました。
そうして、ようやくセメントでのスロープ作り。
何でも自分でやる方ながら、ド素人で、やはり自分でもトホホな出来にしかなりません。
まあ、こんな感じでございます。
明日、黒く塗装すれば多少見栄えがするかと思います。
5センチほどの段差でも、怖がる様になった母を思いながらのスロープ計画第一弾でございました。
やりながら、70才を超えたら無理な工事かも知れないなんてしみじみ思いました。
重い板を何度も持ち上げて、セメントをこねる時には腰に来ていてつらかったので。
そんな訳で野菜とペンキの買い物に出たのは3時過ぎになってしまいました。
里芋が出始めましたね。それから柚子もありました。
小さな「ウリ坊」が可愛いので買ってしまいました。
疲れのストレスからか、蕁麻疹がまた酷くなって来ました。かゆ〜い!
と言う訳で、今日は早めに休みたいと思います。
みなさま良い日曜日をお迎え下さい。
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2025/09/13 18:10
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希望は自分の中に。
40億と68才5日目の今日でございます。
お陰様で金曜ラッシュは、ジタバタせずに覚悟して、心静かに臨めば大した事は無いと言う心境になりました。
今日は大型バスで臨みます。大きいので、ジタバタできない。してはならない。なので良い経験になります。
5年ほど前に撮った写真です。空の青が深い。「希望」を求めて彷徨っていた私の心象風景の様に思えます。
60才でJRを去り、幹部を務めていた政治党派と別れるために2年ほど追われておりました。称賛から非難へ。仕事もせず、何もできず、社会そのものから置いていかれている感じがしたものです。
そしてバス運転士になり、ミスの連続で運転士の仕事からも外されて2年間雑務に近い仕事を懸命にやりました。もはや権威もへったくれも無く、新しい家族のためにと頑張るしかありませんでした。
そして、再チャンスを頂いてのバス運転士への復帰でした。
気が付いたら、65才をとうに越えておりました。
そして離婚して迎えた68才の誕生日でした。
しかし、初めて一人で落ち着いてもう一度バスの運転に向き合う事が出来た様に思います。
フルタイムパートの運転士ですから、会社からの評価の対象外。年齢的にも社会の評価からも対象外。若い頃ならいざ知らず、色恋沙汰でも対象外。土台お金も財産も無い高齢者なんてのは、相手にはならない様に思います。
(午前3時の朝食。納豆、ぬか漬け、目刺し2本のおかずに致しました。)
つまり、ジタバタしても誰からも評価されないと言う現実の中にあります。
逆に言いますと、人の評価に振り回される事が無用になったと言う事です。
思い返せば、称賛や評価なんてものの中に確たるものなど無い事を思い知ったはずでした。
それでも、再び称賛を受けられるのではないか?と言う幻想も捨て切れていなかった様に思います。
多かれ少なかれ、過去に栄光があると思う人ほど難しい様に思います。
(一時帰宅のランチは、ちょっと疲れてしまい、お茶漬けに致しました。梅干しに新生姜、大葉、海苔を刻んでトッピングしました。)
時代の要請に応えるとか時代をつかむとか懸命に生きたと思うのですが、ところで時代の方は不確定性を現代的特徴にしている様です。
つまり時代を追い掛けて、人の評価を気にすればするほど振り回されるだけで不安定になる。評価は一瞬で潰え去る。私たちは、そう言う事を日々目にしております。
評価の中に自分を置くのでは無く、自分自身が納得できる事をやる。評価の基準も対価には置かない。
そう言う生き方が、実は現代に希望を見出す生き方なのではないか?
そんな事を思います。
ありのままの自分を受け入れながら、信頼できる人とのつながりを大切にする。
これまでの経験や既存のやり方が通用しない難しい時代だからこそ、自分に由れるかどうかが不安定の中で確たるものではないか?
そんな事を思います。
ありのままの自分を受ける事は、簡単ではありませんね。でも受け入れられなくなると、確実に心は病む。それも私たちは身近に見ております。
だからやはり先ず自分からなのだと思います。希望は、自分の中にあるものですから。
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2025/09/12 13:01
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スロープ・トウ・ヘブン
今日も朝から、静かな一日でございます。バスの運転の方も、心を静めながら淡々と対応しながら朝ラッシュの中、定時運転して参りました。
と理想的な様ですが、蕁麻疹の方が一向に治まらず、痒みが手や足の裏にまで来ているのには正直参ります。
皮が厚い部分で掻いても効果無しの上、ハンドルやブレーキに接する部分です。運転に集中するしかないのですが、なかなか辛いものがあります。
睡眠時無呼吸症候群の疑いと共に難なく快適にとは行かない様です。
まあ、私より年下の同僚でも膝や足首や腰を痛めたりしながら乗務されている方もおりますので、色んなものを抱えながらと言うのは私だけではありませんね。
何も無い様に見えるだけの様に思います。
(今日のランチは、お豆腐と豆板醤を買って来て麻婆豆腐を作って見ました。かなり上出来だった分、面倒がらずにお豆腐にこだわれば良かったと反省した次第です。やはり材料は、大事ですね。)
大切な息子を亡くしてから、60才を境にして次々と失って来ました。
一体何なんだ!とも思う訳ですが、そもそもは無常の世界にいる訳ですから、生きる事は失う事なんですね。失う事を通して、大切なものを学んで行く。失って初めて大切なものが分かったりする。しかし、それすらも失われて行く。ついに手に入れた!と思ったら消えて行く。
世界も心も、これで良い!なんて事は無い様に思います。
生きる事が失う事であるとすれば、失った経験を今大切な事やこれから出会うもののために生かす。それしか無いのですよね。
(我が家の階段の上には、JRの年下の同僚だった動労水戸の国分さんから退職記念に頂いたE657系の写真がございます。)
明後日から三連休の予定です。さて何をしたものか?と思案しました。私の母がちょっとした段差を登ったり、降りたりするのが大変になった事を思いました。
なので、段差をスロープに変える工事に着手しようと思います。
先ずは自分でやって見る。
友人との気分転換の温泉旅行にも行く事になっておりますので、欲は描かず今できる事をやりたいと思います。
昔好きで良く聞いていたレッド・ツェッペリンの代表曲に「天国への階段」がありました。さわりだけでしたら、私も弾けるくらいに好きでした。
ところで、私も含めてですが若い頃ならいざ知らず「天国へ行くのに階段は辛いよな〜」なんて思います。
なので「天国へのスロープ」が必要だよな〜なんて思った訳でございます。
母のためは、結局自分のためになっちゃうよな。
笑ってばかりはいられない現実かも知れませんね。若さも、元気に動く身体も失われて行くのですから。
遅咲き過ぎて68才になって、ようやく自分で納得できるバス運転ができる様になりました。
しかし、いつまでできるか分からない。それもいずれ失われる時が来る。だからこそ、今をできる限り大切にしたい。
そんな事を思います。
https://youtu.be/wzTLbMUYtqs?si=ZQw0dXjM78_nT10f
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2025/09/11 12:41
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心静かに過ぎるバス運転士の日々。
とても静かに毎日が過ぎて行きます。
落ち着いて、心静かにハンドルを握っていると周囲が良く見えます。すると大きな災いに遭う事も無く、やはり心は静かな時間になります。
昨日は、小学校の送迎バスでした。田舎の学校でも、昔とは違い心を病んでしまう先生が多いと聞きます。子どもたちだけでなく、保護者への対応が大変な様です。
そう。バス会社にも直ぐにクレームが来たり、SNSで流される時代ですから。
人と人がちゃんと向き合う事が、とても難しい時代の様に思います。
昨日は、下校便が2便ありました。添乗員さんもいるのですが、子どもたちになるべく「さようなら〜。きをつけてね。」と声をかけます。降りた子が見えれば、手を振ります。
運転専念義務違反!なんて言わないで下さいね。前も横も後ろもしっかり安全確認をした上でございます。
第2便は、4年生以上の高学年の子どもたちです。無事に降ろして、田んぼの用水路脇の狭い道を徐行しながら走っておりましたら、コンバインで稲刈りをしている田んぼの中を小走りしながらバスに手を振る男の子がおりました。
私も直ぐに気付いて運転席から手を振りました。もちろん前方に車も、自転車も、通行人もいない事は確認済みです。
むしろ周囲を良く見ているから見逃さないのです。
添乗員さんが「さっきの便で送った子です。とても賢くて、子どもらしくないくらいしっかりしてるのですよ。」とおっしゃいました。
「もしかして、運転席の後ろにいた子ですか?バス停に止まったら『ここの子は、今日はお休みです。』なんて教えてくれたので『良く知ってるね。ありがとう。』って言ったのです。なるほど、その子なんですね。」
そんな話しを致しました。
今どき、駆け足でバスに向かって手を振る子なんてあまりいませんよね。見逃さずに手を振れて良かったと思いました。
その記憶が、一生の思い出になるって事がある。私自身の経験にもあります。
何気に、子どもたちは電車にも手を振りますし、バスで走っているとお母さんと一緒に小さな子が手を振っていたりもします。
そんな時は、私も手を振ります。そうすると喜んでいるのも分かりますし、お母さんがお辞儀してくれたりもします。
安全運転で子どもたちや人を守るのを土台にして、人と人との信頼関係や大人と子どもの信頼関係を日々、色んなところで作っているんじゃないか?
そんな事を感じたりします。そう言う「小さな事」の積み重ねの中に社会への信頼の土台がある様に思います。
自分も人であり、相手も人である。ちゃんと向き合えたら、クレームにも喧嘩にもならない様に思います。
大きな声を出した方が勝ちって言う時代や社会って、良くはならない様に思います。
寂しくて大きな声を出したければ、みんなで歌えば良い。励ませば良い。
そんな風に思います。
(今日のランチは、ガパオライスにして見ました。まだまだなれど、出来合いのものよりは個性があって美味しいと思います。)
自分の世界は大切だけれど、人との関わりの中で確かな世界になって行く様に思います。
人と向き合う事が面倒で、大変で、閉じこもった世界と言うのは不安定なのだと思います。
人に心でつながり、受け入れられている事を実感出来た時に自分と言うのも確たるものになる。
そう思うから、にらみつけ、怒鳴るよりも手を上げる。手を振る。あいさつを交わす。
怒りのドーパミン攻撃の虚しさを知った私は、老いもあるのかも知れませんが微笑みのセロトニンに賭けているのかも知れません。「見つめる」「微笑む」「話しかける」「ほめる」「触れる」そして「手を振る」
さて相手の心に触れて、深くつながれるのはどちらの心(脳内物質)の働きでしょうか?生きていて良かった!楽しい!ってお互いに思えるのは?
私の静かな日常のかなり真剣な闘いなのでございます。
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2025/09/10 13:08
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