辻川慎一つくば便り
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なすべき事よりやっては行けない事
「一体秋はどこに行っちゃったんだろう。」と小学校のスクールバス添乗員さんが言った言葉を思い出す。シルバー人材の方だ。
出勤した時の気温は3℃。既に「氷が張った。」とも言われた。確かに昨日、畑が白くなっていた。今年の冬の訪れは早いと感じる。
今日は茨城県民の日でスクールバスは運休。私の方は、同僚たちがほとんどいない静かな車庫から大型バスでの工場送迎だ。
いつもあいさつをして、冗談を言い合いながら緊張を解す同僚たちがいないのはやはり寂しく感じる。
大型バスの運転の方は、週2回程度だが回数を重ねる中で車体感覚と危険回避のポイントがつかめて来た。よくもまあ、6年前にいきなり大型バスを運転したものだと思う。「運転できて当たり前。道を知っていて当たり前。採用されたと言う事はそれを前提としている。」と言われたのだから、たった6年で状況が激変したと言う訳だ。
今は運転士不足で、定年を期にバス運転士になる人が増えたのでずいぶんと「親切」な指導がされている。外国人運転士が増えて来たら、状況がまた変わるかも知れない。
ともあれ、70歳にあと僅かのところでようやく自分で晴れて「バス運転士です。」と言える様になった。そして、これでも欠かせない「戦力」としての役割を果たす日々を過ごしている。
昨日スクールバスが早く上がったので、早めに休んだら結局今朝2時には起きてしまった。5時間睡眠が習慣になってしまった。
もったいないので、朝からきんぴらを作った。ゴボウ、ニンジンにさらに菊芋も合うはずと加えて見た。時間を置けば、味がなじみ、落ち着いて美味しいはずだ。
さらに一時帰宅してから、友人に頂いたサツマイモで芋ケンピも作って見た。今夜の帰宅が遅いので作り置きする事にした。たぶんこちらも美味しいと思う。
デンマークの「私のおじさん」と言う風変わりな映画を見た時に、2人暮らしの姪っ子と買い物に行くと必ず「ヌテラ」と言うので何かな?と取り寄せて見た。
イタリアで生まれた無添加のチョコペーストだった。ヨーロッパでもアメリカでも有名な様だが知らなかった。なるほど美味い。パンに塗るだけでなく、パウンドケーキに使ってもいけると思う。今度はパウンドケーキに挑戦か〜なんて考えている。
自分では分からなかったけれど、丁寧さを身に付けるとバスの運転だけでなく料理もやれると分かって来た。
別に自慢して自分を強調したい訳ではない。全ては、やれたと思った時に崩れ、過ぎ去って行くものだと言う事を思い知って来たから。
人生に成し遂げられたと言う事は無い。
成し遂げたと思った瞬間から崩れて行く。
それを見て来ただけでなく、味わった。
現実にあるのは今を生きていると言う事だけ。
それもまた、悠久の流れと共に消えて行く訳だ。流れが滞ると病になる。だから滞らせない様にする。その不断の努力をしながら、発見して自分の内面すなわち心の世界を変えて広げて行く。
そこに本当に伝えたい事が生まれるのではないか?と思う。
心から本当に人に伝えたい事は、私にはまだ無いと思う。だから、人も、植物も、生き物も、もの事も、よく見て、聴く様にしている。自分の心の声を聴くために。
そうすると、自分が何を成し遂げるかと言う事よりも、何かをする場合にやっては行けない事、言ってはいけない事の方をはっきりさせる方が大事なんだと分かって来た。
バスの運転と言うのはなかなか奥が深い。やっては行けない事がはっきりすると視界が広がり見えてくるのだから。
さて、そろそろ夜乗務の支度をせねば。
いつもお付き合い頂いている皆さまも、良い1日になります様に。
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2025/11/13 13:24
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自分自身で発見する喜び。
今日は、小学校の送迎です。夜大型バスを運転するのと、明るい昼間にマイクロバスを運転するのとはとても違う。大型バスを運転する様になって、昼間の運転も変わったと自分で実感している。
人に学び、書物にも学びながら、自分自身に発見がある事で世界が広がり、自分が変わって行く様に思う。
緊張するし、疲れもするけど、自分自身で発見するって事は子どもの頃から変わらぬ喜びの様に思う。
そこを抜きに、強いると勉強でも何でも子どもは嫌いになってしまう。
教える、育てると言う事は自発性として成功する。それを奪われた人の世界は狭くなるのではないか。
育てられるかな?と何日か迷いながら、何度か見て、俺はやっぱり気に入ってる!と買ってしまとた。櫨(ハゼ)の木の小さな盆栽。
人が樹木と作り上げた、小さな自然の世界。
盆栽だけでなく、これを作った人と木に向き合う愉しさがある。
やはり、驚きと発見があるから。
何かを見たり、やろうとする時に、人の意見はとても大事だと思う。書物もまた人の感じ方であったり考え方であったり、自分が気づかなかった事や知らなかった事の発見があると愉しい。
それを教科書の様に覚えるものと考えてしまうと愉しく無いので拒否してしまうのだと思う。
言った通りにできない自分が嫌になってしまったりするからだ。
そこに、何だか競争社会の優等生が、人としての魅力も感じられない原因の様に思ったりする。
大型バスを運転しながら、自分自身で見えて来たものがある。ヒヤッとする時にこそ発見のチャンスがあると言う事。だから、無事だったからと、そのままやり過ごさない。やり過ごさないでいると、そうだったのか!といずれ発見がある。
68才の爺さんだとかも関係ない事も発見する。
それから、年上の私に教えてくれたベテランの同僚たちの「あんた、良くやっているよ」と言う様な温かい目線も発見する。
盆栽では無いけれど、私がデコレしたカニクサ。気温が下がって来て、成長が活発でなくなって来た分長持ちする事も発見した。
それから。三日前に作ったレンコンハンバーグ。3個作り、1日置きに一つづつ食べて見たら3日目が格段に美味しくなっていた。料理にも味がなじむ熟成がある事を発見して、これからの糧にできる。
今朝3時のチャレンジは、長芋に天草産のめかぶと自家製クコの実をりんご酢と醤油で頂いて見た事。当たりだった。
考えたり、イメージしたりしてやって見る。失敗もあるが、成功もある。どちらも発見だと思う。
だから自分の世界が広がるチャンスなんだね。活かすも終わりにするのも自分次第と言う訳だ。
発見と言う言葉は、Discoverを翻訳するために作られたそうだ。カバー(覆い)を取り去ると言う事。
森鴎外は「発見」を「今までありながら目に見えなかったものを見えるようにする」ことと説明したとの事だ。
人間社会には、色んな覆いがある。常識なんてのも人が作った覆いかも知れない。
自然に常識なんか無いのだから。だから、発見に満ちているのだと思う。それぞれの常識の目で自分を覆ってはいけないのではないか?
ルールはお互いの安全を守るためにあるが、ルールばかりに囚われて自分も人も縛ろうとすると発見は無い。
だからワクワクしなくなる。そして、時に暴発したりする。すると空ろな目か、狂気の目かしかなくなってしまう様に思う。
人には、人それぞれの発見があるから愉しいはずだ。それを聞けば、聞いた私の世界が広がる。それを評価したり、批評したり、蔑んでいたら、自分の世界もそれまで。
そんなつまらない世界に縛られたくは無いと思う。心は自由にありたいから。
心は空よりも広いと言う歌があった。
でも発見無き心は、狭くなる一方なのだと思う。そして、自分に取って深い発見は、自分の内面の変化をもたらす。もらさらないとすれば、本当の発見では無いのだと思う。他の人の受け売りならば、内面は変わらないから。
今日も自分自身で発見する1日に!
午後も頑張ります。
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2025/11/12 10:47
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ゴッホの便り
ゴッホ展を見に行き、彼が出したたくさんの手紙を見て驚いた。とても細かく書かれた字に、彼の絵も描かれていた。手紙を受け取った弟さんたちの気持ちはどうだったろう?彼を好きにならずにはいられないはずだよ。そんな事を思った。
たくさんの手紙の中の一つ。小さな絵の繊細さや優しさに唸ってしまった。読めないが、字にも感心してしまう。
今はメールで簡単に済ませてしまうけれど、あんなにたくさんの絵に全身全霊を傾けながら、こんな手紙を出し続けていた事にも驚いた。
何気に私のブログは「つくば便り」。便りと言うのは手紙と重なる言葉だ。脅迫文なんてのもあるけれど、大切な人への贈り物が便りではないかと思っている。
今朝出勤する時の空。月を探したらほぼ真上にあった。夜明け前なのに、ステキな空だと感じた。そして、出勤すると夜明け。
やはり美しい朝焼けだった。
思わず同僚たちに「寒いけれど綺麗ですね!」と声をかけながらスマホで撮った。
雲の形によっては、地震雲だとか不吉の前兆みたいに言われるが、美しい空もまた自然の便りであると思う。
朝乗務を無事に終えて、自然食品の店に寄ると「まだ、火曜日なのに疲れているな」と思う。
しかし、顔なじみになった店員さんが「おはようございます。寒くなりましたね。」と笑顔であいさつしてくれるのが嬉しかった。
陸橋を走るとつくば山と空が美しく見えた。
早く休みたいけれど、もったいない景色だと思い車を停めて歩道橋に上がってみた。
何とも言えない青。
私たちは、自然からの便りをあまりにも受け取らなくなった気がする。
そう言えば、便りは一文字だと「便」。汚いものの代表の様な扱いをされているけれど、便と言う文字をあてた凄さがあると思う。
便は身体からの便りなのだから。それなのに気にするのは下痢や血便ばかりで、不幸の予兆の時だけ。あとは放りっぱなし。身体の日々の便りを受け取らずに、無視した結果にだけおののいてはいないのか?
便りは大切な贈り物。
色んな便りを大切に受け取り、感じて行く。
人が生きる豊かさって、そんなところにあるんじゃないか?
だから、疲れたって言うのも大切な便り。心の疲れも、頭の疲れも、身体の疲れも、自分自身が受け取らないと悪い知らせになって行くのだと思う。
自分からの便りをちゃんと受け取っていると、人の疲れにも敏感になれるのだと思う。
友人が教えてくれた、レンコンハンバーグを作ってみた。何気にレモンを浮かべたスペアミントティーが合うと感じる。
https://youtu.be/kyV9m_7Lv5Q?si=UqaitvNtUZEZTieA
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2025/11/11 13:56
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大切な人って。
週明けの今日は、大型バスのルート指定でした。だんだんと分かって来ました。自分の杜撰なところとの向き合いである事がです。
ちゃんとしている人は、自分の杜撰さと向き合って正そうとする人。格好良い人と言うのは、自分の格好悪さを自覚して、正そうとしている人なんだと思う。
年を重ねたからちゃんとしている訳ではない。
瞬間瞬間に、今のは良かった、今のはダメだ、改善するためには?と自問自答しながら運転している。そうして少しづつ手応えをつかんで行く。そこに増長する気持ちが出ると、思わぬ失敗をする。
容赦の無いところに、大型バスを運転する有難さがあると思う。
昨日は雨の日曜日。バリカンで自分の髪を切ったり、運動したりしてから部屋の植物の世話、そしてデコレを変えてみたり、それからギターの弦を張り替えたりしていたら良い時間になってしまった。
そこに、ゴッホ展に一緒に行ってくれた友人が訪ねて来てくれた。
たくさんの野菜やステキな和菓子を携えて。
栗の大福。紅葉しはじめたイチョウの姿をした和菓子。何とも可愛らしく、愉しい和菓子を頂いた。
「昨日のお礼です。」と言うので、「大切なお金を私に使わないで下さい。」と言うと「大切な人に使うのは喜びなんです。」と言う。
「大切な人」だなんて、しばらく聞いていない言葉だったと思う。
「大切な人」とは、かけがえのない存在で、自分の心の支えとなる人です。損得勘定とは関係なく、その人自身の存在が必要な、愛情や思いやりの対象です。
改めて調べたら、こんな事が書かれていた。「大事な人」と言うのは利害関係が絡むけれど、「大切な人」と言うのは心の支えなので違うとの事。
そんな事も知らずに安易に使っていたなと、今さらながら知った私。思えば、組織的利害や政治的利害に囚われて、そう言う関係の中にずっぽりいた。大切な人より大事な人との関係だった訳だ。利害関係は終わる。すなわち孤独しか残らない。そんな事を振り返る事ができた。
(谷中で食べた鶏唐揚を再現してみたいと挑戦したが、及ばないのでさらなる改良を考える。頂いたトマトと和菓子を早速有り難く味わう。)
言葉は、自分を伝えるものではなく、相手を理解するためのもの。贈り物なのだと言う事も思い出した。
「あなたは大切な人だから。」その深い思いが詰まった言葉を贈られて、自分を見直す事ができたのだと思う。
杜撰さは、私の行為だけでなく、言葉にもあったと反省する。私は、本当に誰かを大切に思っているのか?
そこを問わないと、私自身を大切には出来ないのだと思う。別々の事では無いから。
https://youtu.be/SXbEInYnEF4?si=Wzygecu0NzWnBSK_
それでは、引き続き自分の杜撰さと向き合いながら夜の乗務に臨んで来ます。
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2025/11/10 14:15
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死者の贈り物(ゴッホ展に行く)
休日と言うのもあっという間です。夏ににぎやかに鳴いていたセミが、地上に出てからは8日間ほどしか生きられないので儚く思われますが、例え人が100年生きようと儚さは変わらない様に思う。なのでやっぱり休日も儚い。
儚い休日ながら、昨日は「東京都美術館でゴッホ展やってます。」と知らせてくれた友人と一緒に見に行って来た。
約束した時間に合わせて、コーヒーを用意しながら、入場料を調べて見ましたら何と予約制。ヤバい!また安易に考えて「行きましょう。」なんて約束してしまったと慌てる。
大好評の様でほとんど売り切れ状態ながら、幸いにも昼時12時からだけ残りがあった。急ぎでネットチケットを確保して、ホッとする。
いつもながら、どうも詰めが甘い。
電車で上野駅へ。天気も良く公園口にはたくさんの人。予約時間まで上野公園のベンチで、一緒にコーヒータイム。美味しいマドレーヌのおやつも用意しました。ペルーのコーヒーにしっかり合い、ふ〜っと落ち着く。紅葉も良い感じになって来ていて、何気に木の感覚や剪定の仕方も良い感じがする。
「このままずっと座っていられるね。」と友人が言う。とてもくつろいだ時間が流れる。
1986年頃だったか、チェルノブイリ原発事故の後ここで数万規模の反原発集会があった。私もそこにいた。ずいぶんと綺麗になったと感心するが、もう40年も前の事なんだと思う。やはり外国人観光客が多い。
東京都美術館は、上野動物園の脇に位置していた。昔の入園口が美術館の脇に残っていた。
「パンダみたいに、ゴッホの絵も立ち止まらないで見て下さいなんて言われるのかな?」なんて思うくらいに人がいた。
「何だかドキドキする。」と言う友人。絵を見る前から、雰囲気を楽しんでいるんだなと思う。
チケットは、65才以上だと700円引き。当日券も案内されていたので「何だ〜」と思うが、何時に案内されるのか分からないよなと思う。
ネットチケットのQRコードをスマホで見せて、免許証で年齢を確認してもらいスムーズに会場に入った。
オランダ時代に影響を受けた絵などを見て初期の作品へ。失礼ながら老眼で説明書きが読めないので友人と共に一番前で見て行く。皆さんゆっくり見ながら歩くので、助かる。
それからパリ時代へ。多くの画家たちと出会いながら衝撃をうけ、自分自身の絵を模索した時代。オランダ時代とはガラリと変わり色彩が豊かになる。
それからフランス郊外の農村地帯で、ゴッホ自身の絵が強烈に確立されて行く。
うねる様な曲線と色彩の渦の中に現れるゴッホのあの世界。
「音楽の様に、人を癒せる絵が描きたい。」と言っていたと言うが、甘さの無い深い優しさを感じる。
近くで見るとおびただしい色彩の線に溢れている。それが、離れて見るとどうしてこう見えるのか?と感心してしまう。
そして私が感じたのは尋常でない優しさ。
友人が気に入った3Dの映像。実際に三面の壁が使われてゴッホの絵の世界を表現していた。
友人が「もっと見ていたい。」と3回見たが、もっと見たそうだった。
「柄にも無いけど」と言いながら、とても大切な時間にしている事を新鮮に感じる。
素通りどころか、2時間半。集中して見る事がで来た。入場時間を分ける事でそれが可能になるのだと感心した。
「二度と来れないから。」と言う友人は、一つ一つを良く見て、記憶して「とても楽しかった。」と疲れた様子が無い。
余韻に浸りながら、遅くなったランチの店を谷中で探す事にした。
途上に、東京芸術大学がある事を初めて知る。
上野は、芸術の街でもあった。
寺町の谷中。寺も多いがレトロでモダンなお店も多い。それを楽しみながら、通りの店がほとんど一杯なので、さらに裏通りに目をやりながらようやく見つけたカフェと和食のお店に入る。
和モダンなお店ながら、狭い通りの向う側は墓地。卒塔婆を眺めながらのランチタイム。何気にレンコンきんぴらの小鉢付き。
「私のレンコンきんぴらとは全然近違いますね。」と言うと「辻川さんが、作るのは別物の美味しさですよ。」と言ってくれる。しかし、唐揚げは「どうしたらこんな風になるんだろう?」と感心する美味しさだった。ぬか漬けとみそ汁は、私が作った方に軍配を上げた。
ずいぶんと味わう様になり、うるさくなったもんだと思う。
友人が初めて、と言うので谷中銀座を冷やかして、キムチとチャンジャが美味しそうな韓国人オモニのお店でお土産を買った。とても感じが良く、テキパキとしながら思いやりを感じたのできっと美味しいはずだ。
儚い休日ながら「こんなに愉しい事は無かった。」と心から喜んでくれる友人を見ながら、良かったと思う。
ゴッホは、37才で自殺してしまった。彼の良さを信じ、理解し支え抜いた弟のテオも半年後になくなり、テオの妻とその息子がゴッホを世界に知らしめた。
それから、ゴッホの絵を魂から愛し抜いた人もいた事を知った。
ヘレーネ・ミュラー。私が見て見たいゴッホの絵は、彼女が集めて作ったオランダの美術館にある。日本での展覧会があったのを知らなかった。できるなら、オランダに行っても見てみたいなと思ったりする。
長田弘さんの詩集「死者の贈り物」を思い出した。
いまはないもの。
逝ったジャズメンが遺したジャズ。
みんな若くて あまりに純粋だった。
みんな次々に逝った。あまりに多くのことを
全部、一度に語ろうとして。
62才で亡くなった演出家の渡辺浩子さんは、ニューヨークでジャズ演奏を聞いて
「ここにはあの空ろな目つきはない。ものすごい真剣さで自分をたたきつけてくる。…甘ったれていないなと思う。」
と言う言葉を残していた。
ゴッホ自画像の目を思う。
答えを急ぐ事は無いと思うけれど、甘ったれた目をしていてはいけないなとも思う。
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2025/11/09 13:04
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