枯れ葉舞う中で。
冷え込んで来ると字を書く事も、濡れ雑巾でバスの清掃をするのも辛くなって来ます。下手な字がますます汚く感じて、嫌になります。冷え切った指が痺れて痛くなります。色々と過酷な季節がやって来ました。
会社の車庫は森の脇。風が吹くと大量の落ち葉があちこちに吹きだまります。朝の大型バス乗務を無事に終えて、次は清掃だと思ったら管理職の一人が落ち葉掃除をしておりました。あまりに大量の落ち葉なので見かねて一緒にやる事にしました。
管理職の手伝いをするなんて言うと、点数稼ぎか?と昔なら思われたかも知れませんが、私の方はボーナス無しで勤務評価の対象外なので心配ないんですね。
同僚のみなさんの話題の一つは、ボーナス。一体いくら出るのか?出さないなんて言ったら辞めてやる!とか、少なかったら暴れてやる!とか。
「私は無しって決まってるから、そう言う心配が無いんだよね。無いものに期待はしないから。」と言うと「あると思うから期待するしらあてにするんだよな~。」と同僚たち。
そう、勤務評価や査定が気になって同僚たちにも疑心暗鬼になったりしてしまうと言う訳です。
そこから自由である愉しさは、JRの時代から変わらないかも知れません。査定どころか、はっきりと差別と排除の対象でしたから。私に疑心暗鬼を抱いても無意味だった訳です。

(会社の脇の森。私には毎日の癒しの眺めでございます。)
車庫の落ち葉掃除。枯れ葉をほうきで集めて袋に詰め込む。うんざりするほどあるのに、風が吹くとまた落ちて来る。腰は痛むし、服に付く。めんどくさいなと思う。嫌だな〜とも思う。まだバスの清掃もやって無いのにとも思う。
でも、そのままだとそう言う会社であり、そう言う会社の社員だと見られる。一人にやらせて、自分はやる事があると知らぬ顔をして平気な者になる。
そう、この会社のバスは他社のバスより綺麗だと言われた事がある。それが目には見えない信頼と言うものだと思う。ちゃんとしていると感じるのですね。
営利だけを考えて、だらしない会社も人も、一時的に成功しても結局人々から見放されて行く。
嫌な事をちゃんとやれる事。なるべくちゃんと生きたい私も、嫌だな〜と思う事でもなるべくやろうと思うのでございます。

(家事もめんどくさいのですが、なるべくちゃんとしないと身体も心も崩れるんですね。それが分かって来ました。なるべく愉しめる様に考えながら。)
大型バスの運転操作にもちょっと余裕が出て来ましたので、乗る人を見ながらのあいさつを致します。
毎日違うバスを運転しているので乗る人も違うのですが、だんだんとアイコンタクトをしてくれる様になるのが不思議です。
私の方は、あいさつが返って来る事を期待している訳ではなく、顔を記憶しておくとちょっと発車時間に遅れて来た人も乗せる事ができますし、人と人との関係の本質を学んでいると言う事でもあります。
ちゃんと相手を見てあいさつしていると、相手の方も私を見る様になる。ものも人もちゃんと見ずに、この世を去りたく無いと言う感じでしょうか。
何か見返りを期待している訳ではなく、生きていると言う事の本質を見つめ続け、学び続けている様に思います。
だから、日々小さな発見があるのですね。見えなかったものが、見えて来るのです。不思議ですよ。
ルームミラー越しに、私の目を見て会釈をして行く外国人実習生もおります。わざわざ発車を見送ってくれる人までいる。私もお辞儀をしたり、手を上げたり。そこに見返りを求める世界は無いんですね。
この世に生まれ、この世をいずれ去る仲間同士に国境も、人種も何も無いんだなって心から思います。
理屈は邪魔なだけ。礼儀もアイコンタクトも出来ずに理屈を語る人の心は通じるはずが無い。
そんな事を確信したり致します。
さて、今週のもうひと山。大型バスでのラッシュアワー運転ですが、それに心を奪われる事なく人と人のつながりの本質を見つめながら、安全運転で望みたいと思います。
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