辻川慎一つくば便り

限界に向き合う

私たちは、何をするにしても「できなければならない」と考えてしまいます。

「できなければ失格だ。落ちこぼれる。」みたいに思わされて来ました。

それ自体が、生産性や効率化重視の脅迫的考え方なんですね。

ところが実際に生きること、特に仕事をすることで私自身が向きあってきたことは自分ができないこと、つまり限界との格闘でございました。

JRの時代はもちろん。大型二種免許をとる過程。バスドライバーになってからの日々の失敗の積み重ね。

そして今なお様々な試練やアクシデントがあり、自分が出来ていないことと向き合い、格闘が続いています。

さらに、何があっても焦らず沈着冷静に対処しなければなりません。何だかずっと修行の日々が続く様な感じさえして来ます。


(「ハナダイコン」こういう花も好きです。)


昨日も、停留所に指定されている狭い場所に別の車が停まっておりました。

それを避けて停車しようと注意していたら、介助人さんが「アーッ!あと2センチです!」と言う。

何かと言うとバス後部とブロック塀が接触しそうになったと言う事でした。

私は前に気を取られて、後部の確認を怠ってしまった訳です。

接触すれば、事故である事に変わりはありません。

間一髪セーフに感謝しながら、深い反省をします。自分の限界すなわちダメなところを見すえるのです。

しかし、考えて見ればアーティストでも、競技者でも自分の限界と厳しく向き合っています。自分に甘く、自画自賛の人は通用しないのだと思います。限界を見ない人に修正も向上も無いからだと思います。


(昨晩は、私の大好きなカツオを「にんにく塩麹」で美味しく堪能させて頂きました。)


「自分は出来る」と言う考え方は、実は他の人を寄せ付けないのです。

自分の限界から考える。つまり出来ない事を見据えると言うのは、他の人の立場に立つ事であり、他の人を求める考え方だと思います。

他の人にも限界がある。その他の人が自分には必要なんだ。助ける自分がいて、自分を助けてくれる他の人がいる。

そうするとお互いに良い仕事ができる。お互いを尊重し、生きがいを感じられる。

生産性や効率化と自分はできると言う考え方は、一体なんじゃないかな?

厳しく自分の限界を見据えてる人にこそ、人が集まる様に感じます。

考え方の転換が必要なんじゃないかな。

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