辻川慎一つくば便り

父の日に

今日は父の日ですね。

妻と再婚して私の子になってくれた息子が電話をくれました。そして「お父さん無事でね。」との言葉。「ありがとう!お互いに大変な事があるけど、お互いに無事で頑張ろうな。」
そんな会話をしました。

父親としても恥ずかしいばかりの人間だとは思うのですが、色々あるからこそ支えあっているのが家族なんだと改めて感じました。


(父の日に乗務するお父さんの後輩をパパラッチしました。)


息子くらいの年の方からはブログへの嬉しいコメントも頂きました。(無断転載お許し下さい。)

「辻川さん、いつも愛読しています。さて、いま大学で勉強していますが、生物と人間との「共存」と「共生」は意味が違うそうです。例えば、ホタルと人間との関係です。叙情的に光輝くホタルに人間が心を寄せ、ホタルの生息環境を保全する。環境保全によってホタルは生息数を増やし、さらに光輝く。これが共生なんだそうです。対して共存は、単純に共に存在する意味なのだそうです。北海道の知床でヒグマの近くで働く漁師みたい関係でしょうか。知床では、ヒグマも漁師もお互いに干渉せずに共存しています。」

https://yositeru.ti-da.net/a11574017.html

共生の関係の例えとしてあげられている人間による環境保全とホタルの関係が、考えさせられます。


共生にも共存にも、人間との関係としてはその様にあると言う意思があるのだと思います。

そして共生と言う場合には、意思に裏付けられた協働のプランがあり、行動があるのだと思います。

つまり共生と言うのは、共に生きると言う積極的意思を共同の行為にまで高めて行く。そうして、お互いの命を輝かせて行く。

そう言う事なのかなと考えさせられました。


(パパラッチのために無断借用しているアパートの階段踊り場で、アパートの住人から「良いアングルなんですか?」と聞かれました。「すみません。」と頭を下げて「友だちが運転しているものですから。」と言ったところで、汽笛を鳴らしてくれました。アパートの入口に咲くアジサイも綺麗です。)


人と人の関係も、本来は共生関係なんだと思います。

するとやっぱり先ず意思が必要であり、共同の計画や行動に高めて行く事で実現できる様に思いました。

妻に「あなたのお父さんにも電話しないと。」と勧められて、私も電話致しました。

「こんな年になるまで心配の掛けっぱなしですみません。色々とありがとうございます。」と話すと「何だかたくさん送って来たね。ちょうど今届いたよ。何も要らないのに。」ととても喜んでくれました。

いくつになっても父は父。息子は息子。

共生の原点は家族の様に思います。
家族にまつわる悲惨な話しが多い様に思います。先ずは、そこから、自分からかも知れません。





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