辻川慎一つくば便り

母の日

昨日は、母の日でした。

妻は私の名で必ず私の母にプレゼントを送ってくれます。

もちろん父の日にも。


私は再婚ですが、どうして妻を選んだのか?

妻が私に言った言葉を忘れません。

「もしあなたが本当に大切であなたを愛しているのなら、あなたを育てたご両親を尊敬するはずです。」

私が、いつの間にか忘れて来たことでした。


(「ハリエンジュ」が満開で、甘い香りを放っています。木の成長がはやく、腐りにくい丈夫な性質に由来して、「頼られる人」あるいは「死にまさる愛情」という花言葉とのことです。)



幼い頃から、苦しい生活であろうと父と母に大切に育てられてきた。私は、父と母を人として、労働者として尊敬していたはずでした。

小学生の時に「父を尊敬しているので、父の様な労働者になる。」と作文を書いた。

だから、国鉄に入って労働組合運動をまっしぐらにやったはずでした。

それなのに「家族は、運動の大きな目標の疎外物である」と言う様な考えを真に受けてしまったのです。

私は間違えていた。

全てをかけて守り、育ててくれた両親に感謝し、尊敬できない様な考え方も愛情も虚偽であり人々に真に受け入れられるはずが無い。


(今日の愛妻ランチは、タイのフォーでした。生姜や野菜たっぷりのナンプラースープに鳥肉や海鮮。そしてJRの仲間に頂いた新玉ねぎ。美味しくて元気が出ます。)


妻が「母の日なんだから電話して下さい。あなたの親なんですよ。」と言う。何だか照れくさいけれど、確かに元気なうちに親不孝をわびて感謝の言葉を伝えないとと考えて電話をしました。

母は「過去は良いから前を見なさい!」と笑う。そして妻に代われと言う。

そして、妻に感謝の言葉を述べると妻に対して「愛してる」と言った。

世に言う「嫁姑問題」なんて分かった様な嘘だと思った。

本当に家族なのかどうか?
家族と言うのは、そんなに簡単な関係ではなく生死に関わる日常と人としての存在をかけた関係だったのだ。

家族は人間の共同性の土台。それがあって仲間との共同性を結んで行く。

私の場合、それが労働組合だった。

もう一度自分自身の原点に戻った母の日でした。

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