辻川慎一つくば便り
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お疲れ様でした。
おはようございます。
みなさま、良い一週間をおくれましたか?
私の方は、バスのトラブルはありましたが、月1回の工場の土曜出勤日を無事に終えてようやくの休みでございます。
いつもの習慣で3時に目覚め「今日は休みだった。」と二度寝しました。
眠れるって有り難いと思います。
人は、眠れないと新しく始まれない。いつまでも昨日が終わらないとリフレッシュできないのですね。
朝は、早く夜が遅い仕事ですが、夜勤の人の方が大変だと思います。
人の生理に反している訳ですから。
(晴れた日に日差しが当たると、障子にフウセンカズラのグリーンカーテンの陰が映ります。)
工場のベトナム人「実習生」に加え、日本人の労働者を乗せて駅に送る事になって2週間ほどになりました。
長い一週間を終えて、駅での下車お見送りの際「気をつけてお帰り下さい。」「お疲れ様でした。」と運転席からで失礼ながらお辞儀をして一人一人に声をかけますと「ありがとうございました。」と言って頂けます。
バス運転士ですので、不快な運転をして口だけ丁寧では通用しませんので、最初の頃より返してくれる人が増えた事をありがたく感じます。
駅でも、工場でも発車ギリギリに来る青年がいます。
大きな足音を立てながら、ゆっくりと歩いて来ます。その人なりのルーティンがあるのだなと思います。「障害者枠」採用の青年かと思います。
最初の頃は、あいさつしても返って来なかったのですが、小さな声で「お願いします。」と返してくれる様になりました。
口先でなく、感じるものだなって思うので、私に対して安心感をもってくれたのかなって嬉しく感じます。
なので、足音が聞こえないと心配になります。
記憶力が衰えを感じますが、一人一人のお顔を見てあいさつしていますと、顔は記憶するのです。顔で人を峻別できるのは、人の凄いところなんですね。
なので、昨晩も乗り遅れて走って来た人を見て、発車直後に停車して乗せたりもできるのです。
おいて行ってもクレームは来ないのですが、ちょっと止めて乗せてもクレームは来ない。
クレームの問題ではなく、人と人の気持ちと裁量の問題だと思います。
それを見て感じる人もいる訳です。
まあ、とにかくみなさま疲れていてようやくの週末。安全と安心第一。なるべく気持ち良くお送りするのが、私の仕事なのだと日々肝に銘じます。
そうやって日々、人として、運転士としての貴重な経験を積み重ねているのですね。
そして、これで良いと言う事がありません。
いつか終わる訳ですが、終わりのない旅の様に感じます。
みなさま良い日曜日をお過ごし下さい。
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2024/12/01 07:49
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土曜日なのに
今日は土曜日で、スクールバスはお休みです。朝早い出勤の人はあまりいませんでした。
「機先を制して」と言う訳でもありませんが「土曜日なのに出勤ですか〜?」と笑顔で同僚たちに話しかけます。「そっちこそ出勤かい?」と、何となく連帯感があるのが不思議です。
バスの点検の時にはまだ暗く、星も月も見えていて寒い。「寒いね〜。」と言い合いながら、また連帯感。辛い時ほど共感し合うって大事だと感じます。
灯火類も全て点検します。レンズが曇っていたら拭くと、何だか気持ちも引き締まります。
灯火類OK!
発車の頃には日が出て来ますので、終わりかけの街路樹の紅葉を見ながら気持ち良くスタート。
ところが交差点でブレーキを踏みますと「制動灯、尾灯」の運転席ランプが点いてしまいました。
アッチャー、ブレーキランプが切れたなー。まあ、ランプを交換しても5分程度。帰庫してからやろう。ついでにグリス給油装置にも、グリスの補充をしよう。等と考えました。
今日は土曜日なので、車庫も混雑していないので余裕だよ。なんて思っておりました。
誰もいない車庫で早速ランプ交換。
ビスを失くすのが一番面倒なのは、電車の修繕で経験済みなので外したカバーの中に揃えます。
楽チン、楽チン。
交換してOK!
それから車内とボディをできるだけ綺麗に清掃。燃料を満タンにして、所定の位置に停車する。
無事に終わったと思ったら、また「制動灯・尾灯」切れのランプが点いたのでございます。「え~っ!」
点呼に行って事情を説明しましたら「車両が古いので、ソケットの方の接触不良かも知れない。使ってないバスのと交換して見てくれませんか?」と言うのであります。
いやぁどうも。
バスの下に潜って見ましたら、暗く、しかも油で汚れておりました。しかも、ソケットには外れない様にフックがあるのですが、それがどこか分からないのでございます。
明るいところで、上からならば難なく見つかると思うのですが、下から手探りと言う感じなのです。
こんな時にはライトが必需品である事も、電車の検修の時の教訓でございます。
これを口に咥えながら、ソケット部分を何度も見て、マイナスドライバーで壊さない様にこじって見る。
シートは敷いておりますが、背中も尻も冷えて来る。首を上げながら良く見ようとするので、首も辛くなる。年を感じたりもする。
うわー一体どうなってるんだー。と独り言を言いながら、休んではまた挑戦する。
私の担当バスですし、誰もいないのですからやり切るしかない。
あれこれやっていて、フック解除の場所がようやく見つかりました。
場所が分かれば簡単な作業なんですね。
「コロンブスの卵」って言うと大げさかな?何でもツボが分かれば簡単なんですね。
こちらです。
悪戦苦闘約1時間。ポイントが分かれば、やはり5分とかからないの作業なのでございます。
こんな時には、不運と思うのかやれて良い経験が出来たと思うのかで全然気持ちが違いますよね。
古いバスなので、ポイントが分かってもその経験がどれほど役に立つのかは分かりません。
でも、音を上げずに自分でやり切れたと言うのは、何より自分の自信になるのだと思います。
分かる人、出来る人からすれば「それが何?当たり前の事だろう。」ってなるのかも知れません。
私は弱い。何より心が弱い。
だから誰かのアドバイスや存在があってではありますが、自分の弱さと格闘しながら、一つ一つ投げ出さずに自分でやり切る事で自分をつくり続けているのだなって思います。
他の人に取っては大した事でなくても、私に取ってはかなり嬉しい達成感があるのです。
出来ない人がいたとしても笑えないし、そう言う人を見ながら自分はどうだろう?って考えます。
残業にはならないのですが、報酬はお金では無いのでニコニコの午前中でございました。
これから夜の乗務です。
何があるか分かりませんが、一つ一つが自分の糧だと思いながらバスを運転したいと思います。
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2024/11/30 16:03
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無いと感じられるのかも知れない。
今朝家を出る時には3℃ありましたが、バスの点検をして窓が濡れているとタオルで拭きましたら落ちません。凍っておりました。つまり、氷点下だったのですね。10キロ程度なんですが、ずいぶんと気温が違います。
寒いのを我慢して書類を記入し、発車時間10分前までエンジン(暖房)を掛けずに待っておりました。
それでも昔の人に比べたら、大した我慢ではないよな。なんて思いながら。
思えば、我慢をすると言う事をずいぶんと忘れていた様に思います。
自分に取って大切な人や、本当に欲しいもののために我慢をする。
そうしてこそ、心からの喜びもあり悲しみもあった様に思います。
つまり心は豊かだったのではないでしょうか?
そんな事を考えながら、しばし耐えてみました。
こちらでは「燃える秋」も終わりに差し掛かっている感じがします。
明後日から12月ですね。
バスを運転しながら写真は撮れませんが、朝日を浴びた紅葉の街路樹は何とも言えないくらいステキです。
そんな贅沢の中での金曜日の出発でした。
発車の前に、まだ話しを聞いていなかった「後輩」の同僚に以前の職業を尋ねてみました。
驚く事が多いのですが、昔の道路公団で今は「NEXCO東日本」と言うのでしょうか、ハイウェイパトロールの仕事をしていたとの事でした。
高速道路で良く見かけるこの車ですね。
30年働いて、定年になって辞めたとの事でした。延長の制度はあるけれど2割くらいしか残らないとの事です。
30年で4人死んでいる。けがをする人はさらにいる。24時間体制で、リスクを考えると安い給料だった。殉職しても保険から400万円、2階級特進で退職金が少し増えるだけでした。給料が安くてもスクールバスの仕事の方が良いです。
そんなお話しをしてくれました。
「周りの車が100キロ超えで走る中、危ない仕事だとは思ってましたが、やはり亡くなっているんですね。多少給料が安くても、ご家族は今の方が安心ですね。」
そんなやり取りをしました。
道路公団といえば、昔の運輸省(今だと国土交通省)の天下りのポストでしたね。今も変わらないと思います。
上の者たちは、利権のグルーピングをしてしっかり守り続けている訳ですが、下の者は死んだり、再起不能のケガをしても守られたりはしない。
そんな現実の一端を見る思いがしました。
人を見るのではなく、お金と自己保身ばかり見て偉くなった気がしているんじゃないかな。
そんな風に思ったりしてしまいます。
(ドウダンツツジです。日当たりと栄養が良い場所だともっと鮮やかに燃える様な赤になります。)
「死」は貧しき者には希望であり、富める者には恐怖であったそうです。
一昨年の暮れに亡くなった私の叔母は、生前の名前からようやく解放されると言っていたそうです。現世がそれほど嫌だった事を亡くなってから知りました。
大変な時代と境遇を生きたのですね。
でも、彼女のかけがえのないはずの妹、つまり私の母に対してもいつも「お前は良い」とコンプレックスを持っていた様です。
私には良い叔母さんだったのですが、心の中は他の人との比較で不幸を背負い込んでいた様です。
他の人より豊かならば、幸福なのか?貧しければ不幸なのか?
どちらも人としての心を置き去りにすれば、地獄にいる事に変わりは無い様に思いはじめています。
比較で得られるのは自己満足と絶えざる不安、不満だけの様に思います。
どんなに立派な主張をしていようと、人としての中味が無いなら同じですね。
私も同じ様になりかけておりました。
本当は、何も持たず、それでも感謝を忘れず、人を思えるならば、幸せを感じられるのかなって思いはじめております。
空気の無い宇宙に行くと音も無くて、地球や星が見えるだけで、あまりにも何も無いから「感じる」と言う事が分かるって毛利衛さんがおっしゃっていました。
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2024/11/29 15:52
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道を求めて
昨晩、出だしの道路が思ったより混雑しておらず、今日は順調だなと思っていましたら「学園西大通り」と言う幹線で事故があり大渋滞しておりました。
みなさんが急ぐラッシュ時間帯には、交通事故が多くなります。結果、当該の人はもちろんですが、多くの人もまた一層時間がかかり、疲れる事になります。
私の方も、より一層気をつけながら夕方3便を大渋滞の中で目一杯走り続ける事になりました。
帰宅して、妻の話しを聞く事もほとんど出来ずにダウン。
今朝も何だか調子が良くない。バスを運転しても、何だかスムーズに行かない。まあ、技量がまだまだと言う事もあるのですが、いつも木曜日と言うのは何だか疲れが出るのかも知れません。
そう思うと、私だけでなく工場で働く人たちをお迎えしていて、何となく元気がございません。
働く人たちは、みんな同じ様に思います。
なので、調子が出なくても、やはりなるべく安全に、そして快適に乗って頂きたいと思うのです。
それが、私の仕事ですから。
(土浦市上高津公園の「コナラ」の紅葉です。)
時間があると少しずつ読んでいる「代表的日本人」と言う本ですが、中江藤樹と言う江戸時代前期の学者さんのところに進みました。
学者さんと言っても、名も、地位も、名誉も求める事なく村の人たちに教えて来た先生でございました。
その先生が「道と法と言うのは別である。」と言う。法と言うのは時代によって変わって行くのだが、道と言うのは永遠の初めからあるものだ。」と言う。「なぜなら人間が出現する前に、宇宙には道があった。例え天地が無に帰しても、それは残り続ける。」と説いたのでございます。
昨日取り上げた二宮尊徳も「自然には道がある。自然の道を探し出すことだ。」と言いました。
変わり続ける人間の時代や社会、そして法にすら左右されないのが「道」であると言う訳です。
(13000年前から約10000年続いたと言う縄文時代。もちろん電気もなく、冬の夜は真っ暗だったと思いますが、満天の星や月の見え方は全然違っていたでしょうね。宇宙船で行かなくても、宇宙と自然を今よりずーっと近くで感じていたのかも知れません。)
なるほど、私たちは激変する時代や情報化社会の中で、孤独化して今までと違う不安の中にあります。
変わる法(ルール)を作った者勝ち。その中でお金と地位を得た者勝ち。
そんな事で揺るがせない、人としての道がある。それは宇宙の道であり、自然の中にある道なんだよ。
あれやこれやのニュースやネット記事に振り回されて、何が大切なんたがわからなくなってしまいます。
しかし、時代が変わろうと変わらない事がある。自分自身がそこに立って生きるかどうかなんですよ。
そんな大切な事を教えてくれている様に感じます。
大河の一滴ながら、私たちはお互いに宇宙と自然から生み出された奇跡の様な存在である事を、時には思い出せると人への接し方も変わるかも知れませんね。
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2024/11/28 16:11
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万物には自然の道がある。
「万物には自然の道がある。」って二宮尊徳の言葉です。
どうも子どもの頃の「道徳」で「勤勉」の模範みたいに教えられて、あまり好きになれなかった二宮尊徳ですが、土台教えられて偉くなった人ではありませんでした。
学問って言うのは、厳しく苦しい状況であれ、あきらめずに投げない中で身についていくと言う事を示した人なので、それを学校で均一に教えられる事で分かるはずが無いのですね。
逆境でも投げ出さない事で、学ぶと言う事は本当に身について行くので、すらすらと答案が書ける事が「優秀」とされる中で身に付くはずが無い訳です。
関東だけでしょうか?
あちこちに焚き木を背負いながら勉強する二宮尊徳像がありました。
預けられた叔父の家で、油がもったいないと学ぶ事を禁じられ、働きながら時間を作り書物から学んだ姿なんですね。
それはそうと、万物には自然の道があると言う言葉ですが、その通りだなって思う事があります。
尊徳さん自身は、農民の出なので畑を耕し、作物を作りながら、自分自身でつかんで来た真理なのだと思います。
書物と共に、自然を見ながら自分自身の実践によって発見した事を言葉にしたのだと思います。自然の背後には宇宙があるとも考えていたのですね。
毎日の様に、夜のラッシュアワーの時間帯に毎日バスの運転をしていながら分かって来た事です。
人間の車社会が生み出しているラッシュアワーなんですが、それぞれが何とか早く切り抜けようと右へ左へ車線変更をする。ウインカーを出す時間さえ惜しみ、前が赤信号で止まる事になる場合でも他車より前に出ようとスピードを上げる。
なんて言うか、急ぎ、焦り、イライラしながら走っているので油断はできない訳です。良く見ていないと何をするのか分からないので、前後左右の確認は怠れません。
ところで私の運転するバスは、急停車を避けるための車間距離を取ります。
スピードは、法定速度以下。
武豊さんではありませんが、どんどん追い抜かれて常に後方から前の状況を見て判断する。
追い抜かれ安いスピードと位置取りでもあります。
とにかく自分が一緒になってジタバタするのが一番危ない事を学んで来ました。
一見カオスの様なラッシュアワーですが「自然の道がある」と言われると、なるほどな〜って思う訳です。
尊徳さんの時代に、自動車は無いのですが「万物には」と言う言葉に例外は無いのでは?と思う訳です。
全てには、自然の道がある。それを見出せるかどうかなんだよ。って事かなと思います。
自然の道を無視したり、逆らったりしても、そんなものは上手く行かないし、手痛いしっぺ返しを受ける。
人間が生きる道自体を教えてくれている様に思います。
(自然の恵みに感謝しながらの、今日のわが家ランチでございます。)
そういえば、つくば市にも二宮と言う町名があり、栃木県真岡市にも二宮があります。いずれも二宮尊徳から来ているのですね。
つくば市には谷田部藩がありました。
谷田部藩と言うのは、何と九州熊本にあった細川藩の分家だったのですね。
そして、栃木県にあった茂木藩も同じ分家の所領だったとの事です。
小田原藩から派遣された二宮尊徳は、両方で活躍していたのですね。
もっとも、つくば市の二宮の方はあまり上手く行かなかった様です。洞峰公園がある沼から、堀を引いて用水路を作ったけれど水が通らなかったので「尊徳のバカ堀」と言われたとか。
上手く行かなければ、こき下ろすと言う良くない県民性だけが残ってしまったなら残念ですね。
尊徳さんは、上手く行くかどうかは分からない。人が堕落していればどんなにお金をつぎ込んでもできない。誠実の念を取り戻し、心を合わせた人々によってはじめて可能になるとも言っております。
自分たち自身のための事業であったのですから。自らの責任でやらない人ほど人のせいにするのは、昔も今もあまり変わらないのかなって思います。
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2024/11/27 16:09
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