辻川慎一つくば便り
Home
20歳のめぐりあい。
みなさま、今週最後の乗務は工場送迎の中型バスでございます。油断禁物ながら、大型バスよりはサイズが小さいので気楽な感じがします。
大型バスは、気を付けないと直ぐにぶつかる。まあ、その分無事に終わると達成感もあります。
私もかつては、身長179cmで体重は85㎏ありましたので比較的に大きな部類だったと思います。
ところが、この2年ほど激ヤセして今や73㎏。あと1㎏減ると国鉄に入った20歳の時の体重になります。
健康診断をやった医師からは「どうやってそんなに体重を減らしたのか!」と褒められたり、胃カメラ検査をしたら「進行性ガン」だと言われたり、なかなか忙しいのですが、それくらい急激に減量したのですね。
私にだって良く分からない。たぶんそれくらい大変なストレスが続いたのだと思います。
「成長期」には、少し太めのサイズを選んでおりましたが、ウエストもどんどん細くなり31インチ(78〜79cm)で余裕になってしまいました。6cm細くなりました。
まあ、痩せ続けていると言わずに「もう一度20歳に戻っている。」とポジティブに考えようかと思います。
下妻市に横瀬夜雨に出会いに行き、感銘を受けて本を取り寄せて見ました。横瀬夜雨の本は、再版されませんので、見つけても高いのです。
ようやく見つけたのがこちらです。
横瀬夜雨を紹介しながら、詩も紹介して行くと言うなかなか助かる本だと思いながら、何気なくこの本を書いた「横瀬隆雄」と言う人のプロフィールを見ました。
何?茨城工業高等専門学校って、俺が通ってた学校じゃん!と驚くと「あ〜、横瀬先生って言う国語の先生が確かにいた!」と半世紀ぶりの記憶がよみがえったのでございます。
すっかり忘れてたけれど、横瀬夜雨の存在を教えてくれたのはこの先生だったんだ。
とても地味な先生でしたが、下妻からひたちなか市の学校に通いながら横瀬夜雨や長塚節を研究して紹介していた方だったのですね。目立たないけれど、叙勲もされている先生だった。
「驚き桃の木山椒の木」ってやつでございます。
出会い直し、巡り合い直しって事、あるんですね。
20歳どころか10代の記憶をたどりながら、著書に向き合いたいと思います。
どうも世界は、大陸的発想の覇権主義や帝国主義に回帰している様です。外圧に慌てふためいて、また同じ道を歩むのか?
世界は、アメリカや中国やロシアだけでは無い。自分では見えているつもりで、良く見ていないからぶつかる。
小賢しさや、小手先ではなく、心から行動する事が必要な時代なんじゃないかと思います。人の存在と命が軽い時代だと思うから。
https://youtu.be/cMW3PE4kJ10?si=VnT--L1WCUkBuqEl
未選択
2026/07/10 13:27
0
す固定は死なり
いよいよ暑くなって来ましたが、こちらではあと10日もすると子どもたちは夏休みに入る様です。ワクワクしていた子どもの頃を思い出します。人に対しても、ものや生きものや色んな事に興味津々だった。それは、自分の目や手、全身を通じて心の世界を広げて行く事でもあったと思います。小さな小川一つあれば、そこはミラクルワールド。一日中遊んでいても飽きませんでした。私の子どもの頃は、そんな自由がありました。空き地もたくさんあって、友だちと遊ぶ事も楽しかった。
今は子どもたちが少ないのか、管理が強いのか、そんな子どもたちを見る事が無くなりました。でも、いじめや虐待が後をたたないのはどうして?なんて思う。
身体も心も思い切り使って、ぶつかりもすれば喜びも感じる。自分たち自身でつかみ取って行く機会が奪われてはいないのかな〜って、監視管理社会が一層強まって行く事を懸念します。
作られた商品や情報から選択する「自由」はあっても、安全・安心のためにはそこを飛び越えてはならない。すると、自分たち自身の興味や欲望と言うのも狭く制限されたものにならないのか?だから、結局つまらなくなる。
(今年もピーマンが成って来ました。)
今日は、週一ペースで担当させて頂いている大型バスでございます。油断も慢心も禁物ですが、ずいぶんと余裕が出来てクールに運転している私がおります。
同僚たち一人一人の興味も違いますが、私の方はバスの運転をしながら人を見て、道路を見て、自然や社会を見る事に興味があるのだと思います。
もちろん生業(なりわい)なのではありますが、生業を真摯にやると言う事を通して、社会や人に関わりたいと考えている。もちろん70近くになっても働かなければ生活できないと言う事情はあるのですが、それだけでも無い。人生って何?世界と社会ってどうなっているの?って考えながら運転している。
で、笑顔で迎え、笑顔で送りながら一期一会を愉しんでいる。ちゃんと余裕を持って安全に快適に運転すると言うのは、その前提なんですね。
今は、興味を持った本を買って読む自由があります。
現代世界が何故こうなっているのか?
偉そうに言う訳ではありませんが、私が考えて来た事に重なりました。と言うかはっきり見えて来た。
赤坂真理さんも言っておりましたが、世界史的にも80年代が転換点だったと言うのが共通しております。
他のすべてのあり方を越えようと、国鉄分割民営化に抗して闘い抜いた事の意味がそこに見えて来る思いが致します。別に、誇大に自分を評価したい訳ではなく、あれは日本と世界のあり方をめぐる闘いだった。でも大半は、そんな風に考ずに体制に寄りかかりちまちまとしと生き残ろうとした。原爆を落としたアメリカに寄りかかっって生き残って来た事って、とても色濃い。そうして指導指示して来た責任からも逃れて来たと言う訳だ。
私が言っている事を分かる人は分かると思う。
虚偽の根っ子は、歴史をちゃんと見て来なかった事にある。歴史って今を規定しているから、大切なんだと思う。
世界と社会を見る私のレンズが生業かも知れませんね。
「なんのために生まれて なにをして 生きるのか こたえられないなんて そんなのは いやだ!」(アンパンマンのテーマソング)
私もそうなので、人も、社会も、世界も見続けているのでございます。バス運転士になって、ちゃんと見ていなかったところが見える様になって来ました。面白いでしょう?視力は衰えているのに、何とかしようと思うと見えるんです。人の対応力ってのは、どんだけ凄いんだろうって感心します。
「固定は死なり、生きている事は自ら行動する事そのものだ。」(カール・ゴッチ)
宮本武蔵に学んだプロレスラーの言葉通りであると思います。
未選択
2026/07/09 13:14
0
七夕ナイトの夢
昨晩は七夕でございました。曇り空ではありましたが、織姫と彦星は会えたのでしょうか?とは言え、そもそもは中国から伝わったお話しに日本の神事を重ねたので「七夕」と書いて「たなばた」と読んで来た。日本の漢字は、中国の文字を使って日本語として来ましたので、融通無碍(ゆうづうむげ…自由)であると同時に、それぞれが勝手に解釈するって事にもなる。子どもの読めない名前が、それを示しております。
なので、コミュニケーションが取れている様で、実は自分勝手に解釈しているだけって事にもなる訳です。
本当は、大切な事なのに「まあ良いか」ってスルーしている。なのでラブラブのうちは良いけど、結婚して現実問題が絡むと「こんなはずじゃなかった!」と後悔する。
昭和思い込み男の、深い反省でもあります。
七夕ナイト。有り難くも小学校の送迎でしたので、夕方には帰宅できました。
私の好物を有り難く頂いた次第です。
織姫と彦星は、結婚したらラブラブのまんまで働かなくなってしまった。なので、神様が一生懸命働いたら、年1回7月7日に会わせてあげるよって事にした。そんなお話しでしたね。間違ってたらごめんなさい。
私の方は、ラブラブの時も、結婚しても、離婚をしても懸命に働いて来ましたので、七夕ナイトのちょっと贅沢は許してもらえるかな。
穏やかに、心愉しく飲むアルコールは飲み過ぎるって事が無い事も分かって来ました。
何事も心の所在なんですね。
蒸し暑さのためか疲れもあって、19時にはバッタリ。七夕ナイトに見た夢は、残念ながら意味不明な内容でございました。どうも私には夢よりも現実の方が良い感じが致します。眠る事自体は、いつまでも寝ていたいくらい好きなのですが、たぶん仕事上いつも細切れ睡眠だからかも知れません。
(パセリの花の終わりに、今年もようやく出現した「パセリワーム」。キアゲハの幼虫でございます。)
今日は、さらに気温が上がり明日からは30℃越えの予報です。いよいよ夏本番でしょうか?
春物の片付けも始めました。
あと一月したら、60年ぶりの手術のために入院です。どうなる事やらですが、力を込めて働ける様になれたらって、実は私の積年の夢でありました。ドクターに「痛いです」と言われておりますが、現実になったらあと10年は頑張れる!なんて思います。
それぞれの暑い夏を、無事に乗り切って行きたいですね。
未選択
2026/07/08 12:19
0
旅の途中
すっきりしない天気が続いておりますが、今週末から30℃超えの予報。いよいよ夏本番の到来でしょうか?しっかり構えながら、無事に越えて行きたいですね。
今日は、小学校の送迎バスで帰宅するほどの時間がありませんので会社の駐車場ランチに致しました。まだ、何とか耐えられる暑さです。
(おかずが、17品。ありえへんくらい凄いお弁当だと思います。ガンも逃げて行きますよね。)
さて、私の方年は取って来ましたが、だんだんと気力も回復して来た感じがします。
なので、私が求めて闘い続けたものって何だったの?と言う事を考え直し始めました。
間違いだの、時代遅れだのって事で片付けられない本質的なところですね。
ずっと思って来たのですが、私のブログを嫌がる人と心の支えにしてくれる人がおりました。
一体何なの?って思った事があります。簡単な話し、言って欲しくない事を言われるのが嫌な人と、心に触れるものを感じる人がいる。それだけの事だと思います。
(博物館にあった藁製の品。良く作ったな〜と感心しますし、藁の中は空洞なので保温性も良いよな〜と思いました。子どもの頃、稲刈りが終わった田んぼに積まれた藁に寝転がった感触がよみがえりました。)
触れられるのが嫌だと言っても、別に悪口を書く訳ではなく事実を出されるのが嫌なんですね。
そう言う空気って、実は日本の社会のあちこちにある。事実でも触れない様にして、忘れさろうとして来た。
例えば、太平洋戦争で置き去りにされて餓死した230万人の兵士たち。長崎、広島に原爆を落とされ亡くなった人たち。沖縄戦で盾にされた人たち。米軍の空爆で亡くなった人たち。そして、家族を亡くした人たち。満州やシベリアに置いてきぼりにされた人たち。…にも関わらず、米軍を歓迎してアメリカラブで復興し、繁栄してきた日本社会。庶民を見捨てながら、アメリカオンリーで舵を取る政治家たちが「極右」と言われる奇妙さ。
人々は忘れさられ、いつまでもこだわるのは時代錯誤でおかしいとされる。
ところで、前提が奇妙なのだから時代の認識自体がはっきりしないまま、またしても忘れ去られる。
どうも簡単な話しが、昔の武家社会の家臣みたいなもので「犬死」ばかり強いられて来たんじゃないか?でも、そんなもんだよと人も自分も忘れ去られる。
炭鉱労働者だった父。ヨイトマケをやった母。そして、鉄道員を選んだ私。そこで働いて来た人たちは、みんな置き去りにされた。酷い時には、炭鉱の穴の中に。
でも、そんな事はすっかり忘れ去られている。今が良けれは、見たくない事実と歴史は見なくて良いと。
ところが、それを引き継ぐ世代の存在の前提が奇妙で、分からないものなのだから理不尽な同調圧力だけが強いられる。
自分たちを作り上げて来た原風景が無いのだから、立ち戻り様もないと言う訳だ。
原風景がある私の世代と、10才も離れたら見て来たものが違う。つまり形成のされ方が違うのだ。
その分岐点が1980年代にある。と言う論考を読んだ。
まさに仲間たちと一緒に国鉄分割民営化に抗して、懸命に闘った時代が分岐点だと言う。何だな、そうすると理不尽な同調圧力ってのに「そんなのおかしいべ!」って抗ったのか!って思えて来た。
うなりながら読み、そうだよそうして俺たちは、世界と社会を自分たちでつかみ取るために闘ったんだよ。と思えてきた。
ところでそれは、肝心なところを曖昧にして来た人たちの枠を越えてしまった。右だろうが左だろうが、奇妙な枠の中で張り合っていた人たちの枠だ。
まあ、あんまりはっきりさせないと言うのが日本の文化でもある様ですが、それを引き継ぐ世代になると訳が分からなくなるのは当たり前の事の様に思います。そこがおかしいべ!って言えるの大事。
(ちょっと怖い感じの藁人形もありました。)
今日はちょっと難しいテーマになりましたが、簡単な話し「私は忘れない。」世界と社会を自分自身でつかみたいから。それは、人を魂(霊)として見て、接する事があって見えるものの様に思う。私はまだ、みなさんと一緒に、この世の旅の途中なのでございます。
未選択
2026/07/07 11:19
0
色々と結びつくのが面白い。
静かで愉しい休日の余韻を残しながら、乗務の日々が始まりました。
3時起きで食事をしてから、朝乗務を終えて一時帰宅するまでに6時間以上が経ちます。なので軽い食事を頂いて、穏やかな音楽に浸りながら安楽椅子でウトウト休みます。それがまた、一人至福の時間でもあります。
(15年ものの梅干し、自家製大葉を使ったお茶漬けと梅干しを漬けてできる梅酢を使った大根の浅漬け。梅酢と赤しそからできた色が、感動的に素晴らしいと感じます。)
現代であれば、ビタミンD不足等の原因が分かっていて改善されたのだと思いますが、幼い時からクル病で醜い姿になった横瀬夜雨さん。子ども時代から迫害されて、思春期にはどれほど辛かったかと思います。
詩人として知られる様になり、その詩と名声に惹かれて近付いて来る女性も結局離れて行く。
そして、そんな彼の妻になったのが瀧子と言う名でした。何と茨城県の山方町の染物屋さんの娘でした。旧姓は小森なんですね。
何故「何と」と言うのかと言うと、山方町と言うのは水郡線沿線でJRの労働組合動労水戸を引き継いで守り続けている木村委員長がいるところなのであります。
(動労水戸木村委員長)
明治の茨城県では、北部の山岳党と西部の平原党で激しく対立していたとの事ですので山間部から、西に嫁ぐなんて事は大変だったと思いますし、しかも病気で背骨が曲がった人の妻になるのですから尋常な覚悟では無かったろうなと思います。
夜雨さんも凄いけれど、奥さんも凄い。そして、子ども3人を産み育てたのです。(長女は14才で亡くなってしまいましたが。)
で結婚したのが1917年(大正6年)。そうでしたロシア革命が起きた年で、日本でもデモクラシー(民主化)の波が立っていた時代です。
瀧子さんも歌人だった。当時の茨城新聞の社長飯村丈三郎の依頼で、選者をやっていたのが横瀬夜雨。きっと直接手紙のやり取りをする様になったのでしょうね。
歌集や詩集で、若者たちが新しい息吹を吹き込み合ったのだと思いますし、郵便の普及が進んだと言う時代背景もあったはずです。
飯村丈三郎と言う人は、水戸線の前身「水戸鉄道」の経営にも携わり、現在の常総線建設にも尽力した人だったらしい。その人が横瀬夜雨をバックアップして、瀧子さんとの結婚の媒酌人だったと言うのです。平原党の代表人格だったと言うのですが、山岳党の人たちともつながっていたからできた事だよな〜なんて思う。
今の保守政治家の源流なんでしょうが、どうもスケールが違う様に思ったりします。
(元鉄道員は、こちらもちゃんと喜んで見て来ました。)
横瀬夜雨と出会い直しただけで、色々とつながって想像が発展して行く。そこに時代と社会を背景として精一杯生きた人のつながりの変化が見える。
損か得か、良いか悪いか、白か黒か、そんな二分法の分け方に当てはまらないところに人の存在がある。命を分けても分からない様に。
分かった気にならないと妄想がふくらみ、発見がありますね。決めつけるからつまらない。
今日もブログにお付き合い頂いて、ありがとうございました。
未選択
2026/07/06 11:21
0
前のページ
Home
次のページ
プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
カテゴリー
未選択(1865)
最新記事
道を究め続けたい。
(10/05)
秋晴れだ!出かけよう。
(10/03)
今の自分以上のものはできない。
(10/02)
朝(あした)に道を聞かば…
(10/01)
人は限界を知る故に愛せる。
(09/30)
RSS
RSS 0.91
RSS 1.0
RSS 2.0
リンク
管理画面
新しい記事を書く
P R
ページトップ