辻川慎一つくば便り
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心のリトル旅
名前だけ知っていて、実は良く知らないのに勝手な先入観で決めつけているって事がかなりあります。
横瀬夜雨や長塚節もそうです。名前だけは知っていたけれど、実はどんな人だったのかを知らないで来ました。
奇病や難病を抱えながら、明治と言う厳しい時代に詩や短歌を糸口にして大地と時代と人に結び自分を鮮烈に表現した。
(横瀬夜雨の肖像画。絵も上手かったとの事です。)
昨日は、お風呂がある「ビアスパーク下妻」と隣接する「下妻ふるさと博物館」に行って来ました。
土曜日なので、お風呂の方には人がおりましたが「博物館」の方は誰もいませんでしたので、ゆっくりと見させて頂きました。65歳以上は無料というのも有難かった。
私の母も使っていた記憶がある「炭火消し壺」などたくさんの道具が展示されています。
道具にも魂を感じ、感心しながら一つ一つを眺めて来ました。
養蚕地帯でもあったのですね。木材の糸巻き機の凄さにも唸ってしまいます。作った人、使った人の魂が込められているとしか思えません。
そして、お目当ての「横瀬夜雨展示室」へ。
展示品の意味が分かる動画があるのが分かりやすく、助かります。
横瀬夜雨が、幼くしてクル病(昔は、背中に虫がいるなんて思われて「せむし」とも言われて差別、迫害されました。)になり、周りの子どもたちだけでなく教員からもいじめられた。成績は優秀だったけれど、学校に行けなくなり家に籠り本を友とする。姉が持っていた唱歌の本と出会う事で詩の世界を知る。自分の苦しみを詩として表現する事を通して、世界が広がって行く。容姿故に、深く悲しい失恋もするけれど花や郷土の自然、筑波山を心の傷と共に昇華させて表現して行く。
現代の口語詩に慣れた私たちには、なかなか難しい表現の様に感じます。
ところで、彼の代表的な詩の朗読も動画で見られるのです。
これが素晴らしく沁みて来るのです。
渡辺篤史さんの朗読が素晴らしい。
どうして渡辺篤史さんで、こんなにも良い感じがするのだろう?と思いましたら、渡辺篤史さんは下妻の出身なんですね。しかも長塚節の親戚だと言うのですから、驚きました。
横瀬夜雨や長塚節の表現を、きっと魂から受け取り自分の朗読として表現しているからだ。
そんな事を思いました。
幼い頃から過酷な人生を歩んだ横瀬夜雨なんですが、彼が書く字に暗さが無いのが凄いとも思いました。
失礼ですが「踊るポンポコリン」って感じがしました。めっちゃ過酷なんだけれど暗く無い。優しさを失わない。
だから、結局みんなに慕われた。
そんな人物像が浮かび上がってまいりました。
それにつけても、明治の成功者と言うのは人物だと思う人への支援を惜しまなかった。彼を支えた人たちから学ぶところもありました。
いつの間にやら失った心の文化にも触れた感じが致しました。
残念ながら生家は解体されてしまった様ですが、偲んで参りました。
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2026/07/05 09:13
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夜の雨音に誘われて。
みなさまお疲れ様です。
今週も何とか無事に終わり、休みを迎えております。昨晩は、ホッとして疲れが出たのか飲みつぶれてしまった様です。夜がうっすらと明けて来て目覚めました。
一緒の時間に乗務を終えた後輩同僚は、一人で外飲みするのを楽しみにしていると話しておりましたが、私には向いてない様に思います。
休日の朝、友人のために小豆を煮て餡子作り。草団子も作って見ました。
時間がかかりますが、コトコト煮ながら様子を見ながらかき混ぜて、洗濯機を回したり、掃除をしたり。ずいぶんと慣れて来ましたが、運転同様慢心しない様に気を付けながら、今日も美味しくできた感じです。
さてせっかくの土曜日なので、今日は下妻方面に出かけたいと思っております。
下妻出身の詩人に横瀬夜雨と言う人がおりました。幼い時にクル病と言う病になり背骨が曲がって「蜘蛛みたい」(本人の表現です。)になってしまい、とても苦しんだ。その中で詩と出会い。詩を通して人とつながった。とても心の優しい詩人として慕われた様です。
(花期に摘んだ忍冬の写真です。)
その彼も詩で表現しておりました。
野に山有りき忍冬(すいかづら)
蔓なる花のほのぼのと
匂いて暁の紫は
筑波に負える色となり
暁は、「あかつき」と読むのか「ぎょう」なのか分かりませんが、「あけ」と読むのがしっくり来ますね。そして、夜明けの筑波山が負う色が紫と言う事かと思います。
こちらは、私が昔撮った写真です。下妻市や筑西市側から見る筑波山のフォルムは端麗に見えます。
梅雨の夜に雨音を聞きながら。今日は、心優しい筑波嶺詩人横瀬夜雨さんに出会ってこようかと思います。
みなさまも良い土日をお過ごし下さい。
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2026/07/04 08:48
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すべてのものに魂がやどる。故に自分の魂を込める。
週末金曜日の今日は、小学校の送迎バスで「森林コース」(私が名付けているだけですが。)でございます。
雨に濡れた木々の葉が梅雨の晴れ間に輝く様は、表現しようのないくらいの圧倒的生命力が迫って来るのを感じます。
紛れもなくその一つ一つに魂(霊)があるよな〜と思う。
私が乗せている子どもたちをはじめ、すべての人にも魂がある。
ただ、利害関係で見たり関わったりしているから、その様に見たり関わったりできないだけだ。
そんな事を思います。
(世話を続けていたら、1年ぶりに咲いてくれた蘭の花です。花には花の魂があるな〜って感じがしませんか?)
昨日の話題に続きますが、人は心の世界を通してどんな境界も越えられる。死者とも生きられるし、すべてのものの中に魂を感じたり、自分の魂を込めたりもする。
突拍子もない話なんかじゃない。日本人のもの作りってのは、その様にして引き継がれて来た。自然を愛でるのも、その中に神性を見ながらだった。
資本主義化して、西洋に追いつけなんて事をやっているうちに置き去りにして来ただけだと思う。
僕は古いものを見るのが好きなんだけど、どんなものにも魂があると感じる。
それが、自分の周波数と共鳴するかどうか?って事の様に思う。
すべてのものは波であり、振動であるのだから固有の振動数がある。でも普段は意識していないだけなんだよね。
人の心ってのは、その振動に共鳴できるのかも知れない。と言うか自らも振動を発している。
だから狭い利害で固まっているとそれまでで終わるし、深く強い振動を発すると共鳴も大きくなる。発しない事には共鳴しようがないよね。
(今日のお弁当。たくさんの生命の力を頂きました。)
私のガン「騒動」に続き、年下の同僚がガンになってしまったと言う。「生きていても良い事無いし、もういいや。」なんて事を言う。なので「まだ分かりませんよ。医者の見立ても絶対ではありませんから。」と状態を聞きました。
あれこれと話にはなる。でも本当に大切な事って何だ?と思う。
今目の前にいて、交わしているのは儀礼的な言葉のレベルなの?その人の魂を見て、それと自分の魂が関わっているの?そこが大事だろう?
なんて思う。
ものだけでなく、人にも魂を込める。
それが、この島国に生きて来た人の文化であり特性だったんじゃないの?
だから僕は、やって来た事のすべてに魂を込めようとして来たし、バスの運転にも、自分が関わるすべてに魂を込め様としているんだと思う。
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2026/07/03 11:04
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お茶で一服。
今日は朝から雨ですが、気温が下ったためか心身共に楽な感じが致します。今週の山で、ラッシュアワーに大型バスのロングランですのでかなり助かっております。蒸し暑いだけで、とても疲れるのですから。
夕方の出庫前には雨が上がる予報ですので、洗車は夕方する事にして車内清掃をして早めに休憩に入りました。
一時帰宅して床に入り、2時間ほどウトウトして起きたところです。雨音がして「今日は眠れないなー」と思いながらも、時計を見ると2時間経っておりました。
目覚めの一服は、スペアミントと生姜と紅茶ブレンドティー。意外にも喧嘩にならない組合せで、心身共にホッとします。ちょっと甘いラスクもなかなか合います。
読まなくなった本は、時々まとめてブックオフに売りに行きます。でも背表紙とにらめっこしながら「きっとまた読みたくなる」と思う本は、取っておきます。
お陰様で寿命が少し延びたみたいなので、何年か置きに読み直して来た本の一つを読んで見ました。
読み直す度に、違う見方になって再発見があるのが愉しい。読書も心の旅なのだと思います。
まさにその人間の心の進化をテーマにした本ですが、心を扱っているのは最後の部分です。全編人間の特徴と歴史的進化が実証的に論じられて、最後に心の進化について考察される。そんな展開の本で、なかなか面白いと思います。
で、最後の結論に「あなたはひとりぼっちではない。」「あなたは心を通してひととつながっている。」「人は待っている人がいるがいるから生きられる。」「あなたの心の中でひとは生き。ひとの心の中であなたは生きている。」「いま地球上でそれをしているのは、驚くべき事に私たちヒトだけなのだ。」と書かれてあります。
他の動物たちとの際立った違いは色々とあるけれど、心のつながりと言う世界こそが最後に人を人たらしめている。そして、そうは思えない事もあるけれど、その世界も進化させ続けているんだよ。
そんなメッセージを感じる内容の本でございます。
私たちは、日常のあれこれに気を取られて「気にかけて待っている人がいる。」なんて事を忘れがちになります。ところで明日をも知れない絶望的状況に置かれた人が、生きる意味と希望を見出せるのは「待っている人がいる事を思い、がっかりさせてはならない」と思う心の働きである。人を思う心が豊かであるって事が、人が生きる力であり意味でもある。
そう言う事も素通りして来なかったかな〜と、自分で思い直すのでございます。
リュウマチ対策も兼ねて75歳から絵を描き始めたグランマモーゼス。女性だとか、高齢者だとかの固定観念や思い込みの世界から見事に飛び出している様に思います。社会的ルールは尊重しながらも、人をステレオタイプ(印刷物みたいに同じ)に見る「常識」から私自身を解放しなければと思うティータイムでございます。
それでは山場の乗務もクールに乗り切りたいと思います。
みなさまもご無事で。
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2026/07/02 12:02
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遊び心
7月1日の水曜日、今年も後半戦に入り、今週も中日でございます。
気温が上がり湿度が高くなり、ムシムシしてなかなかしんどい感じがします。梅雨って感じですね。
何やら気持ちも滅入りがちになりますが、こんな時には「遊び心」ってのが大事かも知れません。
効率に反して、無用で無駄な事何だけど楽しい気持ちになる。
遊び心(あそびごころ)とは、単なる「ふざけ半分」ではなく、心に余裕やしゃれっ気を持つこと、そして既存の枠にとらわれず楽しさや面白さを探し求める生きる姿勢を指すそうだ。
そう言えば、遊ぶと言うのは英語だとPlay。スポーツをするのもPlay。演劇や演奏もPlay。なので、どれもいい加減では成り立たない訳だ。
遊びって、人が人として成長して行くためには欠かせないものなんだよね。人は、楽しみながら社会性を育てて、大人になって行く。
なので遊び心ってのは、心に余裕がある大人ができるナイスなプレゼントかも知れない。
(今日は蒸し暑いので、休憩時間に自分で髪を刈った。周りは1ミリでございます。頭頂部は薄いので、既に涼しい。)
「遊び心」って英語だとplayfulnessなんですね。どうも昭和の劇画調ながらも、その枠に納まり切れずに外れっ放しでもございました。まあ、周りの人はだから面白かったのかも知れません。
遊び心ってのは、無駄に思える事の中にある。だから無駄を自分に許す事が大切なんですね。
考えて見ると無駄な事が山の様にある人生だったかも知れない。
でもね。人を縛り付けて言う事を聞かせるために、堅っ苦しい正統論をわーわー言う奴らってのはつまらなかった。人の心の世界も進化して来た事が分からないのだと思う。前世紀の乗りだから。
進行性のガンに違い無いと「家族と一緒に来院を」と言われ、胃の中から6ヶ所細胞を採り、結局「ガン細胞が見つからなかった。」けれど「大病院で精密検査を」って言われているんだけど、もう良いや〜って感じです。
大丈夫なら安心?安心って何だ?不安ばかり煽っているのと違う?病気が発見出来なかったら、医者の敗北なんだろうか?
何だかちっとも楽しくない事だけは、確かだった。
本当に大変な時に、心がホッと励まされる様な言葉や表現。それが「遊び心」の真髄かも知れない。
そう言う心を持った年寄りになれたら良いと思う。
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2026/07/01 12:45
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