辻川慎一つくば便り
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手術11日目。乗務。
手術から11日目。まだ痛みがあり、排便する事がなかなか大変です。
排出する。捨てる。放出する。と言う事ができないと自然の生態系は維持できないので、深刻なんですね。なので苦しく辛い。
仕方が無いので、少しずつ排出しながら何とかやっております。
今日は久しぶりの乗務。最近入った「新人」さんの研修・教官でございました。出勤ルートを運転して見せて、退勤ルートを運転してもらい必要と思う事を教える。そんな感じです。
最近は、未経験者でバスの運転士を目指す人が増えて来ました。私もでしたが、それぞれに前歴がある。プライドもある。なので「上から」言う事は一切ありません。注意やアドバイスはしても、相手を尊重する事を忘れない様に気を付けます。
(窓からそよぐ木の葉を見ながら、休憩しております。)
「人に上下はない」と言いますが、どうも四六時中人との上下関係を気にしながら生きてはいないだろか?
親子でさえ、親が上だと当たり前に思ってないかな?本当は、別の人格なのに。子は子で、力関係が逆転すると親の人格なんてのは関係なくなる。
夫婦でも、友人でも、同僚でも、上か下かなんてのに縛られるとどうも嫌な関係になる。
形だけ、口だけの平等なんて言う前に、自分の目の前の人全てに対等を貫けよ!なんて思う。
まあ、少なくともそんな風に、自分に言い聞かせている。自分を失わない様に。
(今日も小粥でございます。だんだんお腹が空くようになって来ました。昔、フィリピンで鳥の脚が入った中国風小粥を頂いた事を思い出します。美味しかった。)
子どもは、病気をしながら抵抗力を付けて行く訳ですが、しょっちゅう病気をしていた私を「お前は弱かった」と言う母。実は、たくさん病気をしたから抵抗力や免疫力がある大人になったのだけど、母の記憶は私が幼い時に心配して大変だった時のまま。
「◯◯は気を付けろ。」「リンゴは刷って食べろ。」「暴飲暴食はするな。」「近くで世話出来なくて済まない。」…いくらでも出てくる。「暴飲暴食なんかできる状態じゃないんだけどな〜。」と思いつつも「分かったよ。」と返す。
母親と言うのは、どうも対等の関係にならない。
たぶん、私の向き合い方に問題がある。他の人に向き合えると思いながら、母にはちゃんと向き合えていない。とすれば、他の人にも本当に向き合えているのだろうか?
実はず〜っと、人としての私の課題だったのかも知れない。
幼い頃から、痔に苦しんで来た私に母はずっと寄り添い続けた。私は、それを忘れて来た。
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2026/08/17 13:36
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当たり前の再発見。
速いもので手術から10日が過ぎ、明日からはバス乗務でございます。
お盆休みは自宅療養で終わりますが、手術の打撃は残っておりますので仕事をしながらの療養になります。
昔と違い、無理なく動きながらの方が回復が速いと言う考え方の様ですし、頑張って行くしかありません。
仕事があって、働き続けられる事だけが私の経済的生存の条件と言う現実なのですから。
当たり前の事になりますが、心と身体が元気である事だけが明日への希望の土台なのだと思います。
昨日は、断食から朝ゼリー、昼は「介護食」を頂きました。お腹が空かないので全然平気なんですが、一足早い介護食体験を致しました。
ところで断食してから、消化の良いゼリーや介護食と薬で腸の回復を図る訳ですが、ろくに栄養は摂れてない訳です。
そうしますと声が涸れて来るんですね。「えっ。どうして?」って、自分で驚いた訳です。
顔の表情や色つやだけでなく、声もまた人の印象を決める大切な要素なんですね。そして姿勢も。元気がなく不健康な状態だと、それが崩れる。
そんな事も再発見致します。
調子が良くないと、集中力と持続力も弱くなります。何をしてもイマイチでしたが、昨日は大分回復して休みながらも読書には集中できる様になりました。
小学生の頃にベトナム戦争があり、広島への原爆投下と共に私が反戦運動に関わって行く大きな動因であった訳ですが、時代の劇的変遷と人々の意識の変化を東南アジア近現代史から見直す。世界と人々の変化を見ずして、動かない理想や教条に当てはめようとする事の古さと狭さを、つくづく感じさせられました。
時代も世界もどんどん変化している。その流れの中で、いかに生き、いかにあるべきか?
本当は、誰しもがその様に問われている。年の問題では無い。そんな気が致しました。
昨晩は少し空腹感が出て来ましたので、お世話になっている友人に小粥とリンゴ煮を作って頂きました。久しぶりに「美味しい!」と言う感覚がよみがえりました。
ちゃんとお腹が空かないと美味しくないんですね。当たり前の再発見でございました。
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2026/08/16 07:57
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お盆の養生。
痔の手術で痛んでいるところに、急性腸炎。全てに紆余曲折があり、困難があるところは、私の人生そのもの。受け入れて行くしか無い様です。
お盆に、お酒を飲まないなんて何十年ぶりでしょうか?断食になると、生まれて初めてのお盆になると思います。
明後日から乗務が始まりますので、それまでには何とかしなければと言う思いが強い。JR時代には、なりようが無かった気持ちでもあります。
一体、あなたが必要だと言う言葉に、どれほどの重みがあるのか?よく考え直す事からの様に思います。いつからか、何だかとても表面的で軽くなった様に思う。
(10日間も休みながら、庭仕事も出来ないので鬱蒼として来た庭でございます。お陰で、部屋はかなり涼しい感じがします。)
24時間の絶食から流動食へ。本を読んだり、音楽を聴いたりして養生に専念していたのですが、友人が来て「霞ヶ浦高校の試合だね。」と言うので一緒に見る事にしました。
実は、私が住む町にある唯一の高校なのです。しかし、申し訳ないけれど野球そのものに特別の思い入れが無いのでございます。
初回から観ておりましたが、特に目立つ選手もおらずかなり小ぶりな選手が多い。しかし、特別な選手がいなくても、それぞれの選手が自らの役割を全うする。そして、監督の采配も選手一人一人を良く見て活躍させる。つまり、勝ちだけを重視しているのではなく、将来を見据えながら育てる事を貫いている。 そんなところに感心しながら観ておりました。鳴門渦潮高校の選手たちも、感じが良かった。
スーパーな選手を集めて、勝って脚光を浴びる事に煽られてしまうけれど、ゲームの枠内ならともかく、これからの社会を担って行く若者たちを育てて行くって事が大切だと思う。
若者たちを育て、成長する事を大切にする地味なチームが甲子園で2勝した事。凄いなーって思いました。
それから映画を見ました。
こちらは、「マスカットアレキサンドリア」と言うブドウを育てる物語。
どうにもピントがずれていて、アンビリバボーな失敗を繰り返す少女が主人公。「こりゃあ無いだろう!」「それ、ダメでしょう!」と就職した高級菓子会社で、全てダメ。最後に配属されたのが原料のマスカット農家のお手伝い。そこでも厳しく拒絶されながら、大切な事を学んで行く。マスカットを育てながら、自分が育って行く。そんな物語でございました。
まあ、考えて見れば人は何もできないところから人のマネをして、学びながら育って来たし、終生育ち続ける。作品に完成はあっても、人に完成なんて無いのだと思います。
監督さんたちも、子どもを指導し、育てながら自分も成長している。きっと、それがちゃんと分かっている監督さんのチームも育って行く。なので強くなる。
世の中も同じ。一方的に相手がダメだと批難し、詰るしかできないリーダーに強いチームなんかはできない。一緒に育ち、成長する関係にある事を、忘れてはならないのだと思います。
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2026/08/15 08:05
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断食チュー
あと一月ほどで、69才の誕生日を迎えます。思い切って子どもの頃から抱えて来た痔の手術をやって頂きましたが、やはりなかなか辛いものがあります。
手術から1週間経つのに、下腹部をはじめ色んなところが痛み、微熱があるのか意識もはっきりしない。排便時の痛みとの格闘に加えてなので、とても調子が悪い。
このままだと来週からの乗務が厳しくなりそうだと思い悩んでいるところに、友人の後押しもあり病院に行く事にしました。
血液検査からそのまま点滴。点滴をしながらエコー検査。で医師の診断はと言うと「急性腸炎で、10日間の入院が必要です。」との事。
それだと仕事が出来ないし、お金も厳しい。
なので「何とか通院でお願いします。」とお願いした次第でございました。
簡単に言いますと、薬を飲みながら徹底した食事制限をして腸を休ませないといけないと言う事らしい。
と言う訳で、昨日から断食して白湯を飲んでいる次第です。何故か美味しく感じられなくなった食事を、食べなければと食べておりましたので断食自体は辛くありません。たぶん良くなって来たらお腹が空いて来るのだと思います。
腸炎と言うのにはいくつかの原因がある様ですが「ストレス」も関係している様です。なので、手術のストレスが引き金になった様にも思います。
医師が入院すべきとの事態ですし、甘く考えずに養生しなければと思います。休暇は、あと3日です。余裕も持たせたはずでしたが、何だかいつもギリギリ、瀬戸際人生になります。
医師の指示で断食のあとはこちらになります。病院の送り迎えまでしてくれた友人が、探して来てくれました。
色々とお世話になっておりますので、病院に近い和菓子さんに寄って頂きました。
牛久市の「和楽」と言うお店のぼた餅、どら焼きなどです。
今まで食べて来た和菓子の中でもかなり良かったみたいで、「とても美味しい!」と喜んでくれました。
私の方は、回復してから頂きたいと思います。
手術に始まり、腸炎の併発で断食、食事制限と「惨憺たるお盆休み」とも言えます。
でも、辛くても回復して行く希望があります。辛さを耐えても、回復する見込みが無いとするときっと絶望しますよね。
アウシュビッツや、ラーゲリや、原爆病や…とてつもない絶望の中で悲惨な死を遂げた無数の人がいる。そして、それでも生き抜いた人がいて今の私たちがいる。
絶望の中でこそ、人としてのほんとうの真価が問われるのかも知れません。別れ目は、人は自分一人で生きている訳では無いと、とことん信じられるのかどうかかも知れませんね。
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2026/08/14 11:16
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私たちは、可能性の中に生きている。
お盆でございます。今日は実家に行って、息子のお墓参りをする予定でおりました。手術をして1週間もすれば大丈夫だろうと思っておりましたが、どうにも調子が悪いので医者に診てもらう事にしました。お盆も休まずにやっている凄い病院でございます。
実家にその旨の電話をしましたら、いつも返事をしない父が「身体を切って1ヶ月くらい調子が悪いのは当たり前の事だよ。」と母に言ったとの事。「お父さんが久しぶりに口をきいた」と喜びながら、私の心配をする母でした。
私の方は、17日から仕事です。それまでに少しでも良い状態にしなければと言う、思いがあります。
何を食べても、あまり美味しく感じ無いのですが、良い香りがして甘く、みずみずしい桃は身体が喜んでいる感じがしました。
痛みと共に微熱があるのか、集中が出来ずに直ぐウトウトしてしまいます。
映画を観ていても眠くなり、音楽みたいになってしまいます。
それでも、このメキシコ映画は良かった。言葉が印象的でした。「君たちは何も無いと思っているかも知れないけど、みんな可能性を持っているんだ。」「型にはめられて、世界が変えられるって思う子どもたちが、すっかりいなくなってしまった。」…好奇心とそれぞれの子の考え方や答えに、大切なものを見出し、決して否定しない。
あ~、私にもそんな先生がいたと思い出す。
だから世界を変えられるって信じて、国鉄に入った。褒められる事ばかりではないけれど、信じた事にひたむきに生きて来た。
それはね。大きく挫折する事ではじめて本物になって行く。そんな事も学ぶ事が出来た。
映画の題の「Radical」と言う言葉を、私も好きで良く使っていた。Radicalと言うのは、「根底的」とも訳す。半端なのはRadicalではないが、見かけのスタイルでも無い。人や子どもたちに対する、心と行動の姿勢なのだと思う。
その様に根底的な人に出会った人は、生涯に渡る影響を受けて、生きる力となる。
あ~、俺もそうだった。
不調の中でも涙しながら観れた映画でした。
ではみなさま、良いお盆休日をお過ごし下さい。
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2026/08/13 08:09
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