辻川慎一つくば便り
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楽しみを見つけ、笑顔で健康回復だぜ
週末金曜渋滞を無事に走り、最後まで笑顔で見送り抜き休みに入っております。
思い返して見ると、以前の様な疲労感とどうしようも無い調子の悪さではなくなりました。
昨晩は、21時に帰宅してからちょっと多めに飲んでダウン。それでも4時前に目覚めて、清掃をして運動もやりました。いちいちお尻が気になるのは、何とも無いと言う状態にまだ慣れていないのです。何せ60年間の付き合いでしたので。
今朝のシンプル朝ご飯でございます。先週の告別式の香典返しの品たちがグッドチョイスだと感心致しました。その一つ「伊賀のたまごかけ醤油」を頂きました。一年半使っている糠床もちゃんと生きております。
今日は、体調好転のきっかけを頂いた鍼灸整体院の予約日でございます。全面的に良くなって来ましたので、月イチペースになっております。通院する事自体も楽しみながら、神崎町の魅力を見つけるリトル旅にもなっております。楽しみながら、健康を回復できるなんてとても贅沢な事だと思います。
石原享一さんと言う人は、人物像を追いながら歴史と現在を読み解いて行きます。私はとても共感できますし、違う見方も学べます。
中国の脅威が宣伝されて、中国嫌いの人が多い様ですが踊らされずにちゃんと見なければなりませんね。
日本人からの留学生の数は、中国と台湾を合わせるとトップだそうです。アメリカ以上なんですね。中国から日本に来る留学生も多い。お互いにどんどん学んで行かないと、時代も経済も見えなくなってしまう。アメリカ一辺倒で安泰だなんて時代が終わっている事、古い対立構造に存在意味を見出して来た保守もリベラルも左翼も通用しなくなっている。自分たちが安泰なだけで、これからの人たちとずれている。私自身を差し置いて言っている訳ではありません。
中国の現状について、社会政策の転換の推移をたどりながら人物で明らかにして行く。それを読みながら私が感じた事です。私は理不尽な事に対して、義侠心を発揮して闘い抜き、結局理不尽などんでん返しを受けた。戦争に典型的ですが、日本人の多くも大変理不尽な目に合った。
ところがです。中国の人たちとは理不尽さのレベルが違うのだとつくづく思います。こんな程度で嘆いて、投げていたら生きてなんかいけない。厳しく、過酷なんですね。全く甘く無い。だからこそ、深く学ぶところがある。好き嫌いなんて言うレベルで見ていたら損をする。土台私は、好きだの嫌いだので当たった事が無いから2回も離婚する事になったのでございます。そんなのは宛にならない。痛い思いをしながら、多少は勉強したのでございます。
と言う訳で、好き嫌いではなく違いをはっきりさせながら、隣人・友人として信頼し合い助け合って行く関係をどうやって築いて行くのか?そこのところが、肝要では無いのかと思うのであります。
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2026/09/19 09:27
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人は去りゆくとも
今週も何とか無事に、週末金曜日を迎えております。バスを運転しながら、他の人と関わり合いながら、自分自身の感情や心と向き合う日々が続いています。何気なく湧き上がる感情を、やり過ごさすに見据える。特に自分でも卑しいと思う事を、やり過ごさない。それは、どこから来るんだと考える。どうしてかと言えば、嫌な感情に支配される時間が嫌だし、ろくな事にならないからだ。大体、卑劣さってのは顔を曇らす。まあ、そんな時の自分の顔は見えないのだけれど。
「研修指導」を通じて大事にして来た「バス運転未経験者」だった人が1年足らずで次々と辞めてしまう。せっかく同じ境遇の「後輩」たちが職場に出来たのに、とても寂しく残念だ。それぞれ第二の人生の場を求めて来たのだが、求めていた職場や仕事では無かったのでしょう。
昨日が最終日だと知り、急遽探して来ました。
お金のお餞別だとお返しの手間をかけるかと思い、美味しいラスクにしてみた。
私が何かの作業をしていると必ず助けに来てくれた方でした。それを思い出しながら、お礼の言葉を伝えました。
人を迎えて、仕事を教えて一緒に働く。そして去りゆく人を送る。
一体俺は何をやっているのだろう?「末永く一緒に働き、支え合えたら。」と思って働きかけて来たはずなのに、結局意味は無いのか?とも思う。
でもね。迎える事、仕事を教える機会があった事、一緒に過ごした時間があった事、そして送る事。その経験は、確実に自分の心を深めていると思う。
そして深まっているのは私だけでなく、私に関わる人たちとの関係なのだと思う。
明日から連休に入るのですが、同僚たちが訪ねて来てくれます。
たぶん私の「人を迎える」と言う意識が、かなり変わって来たのだと思う。
何も言わずに去る人は「何を言っても分かってもらえなかった」という過去の経験を重ねていることが多いと言う。
そうだ、私の息子も私に何も言わずにこの世を去って行った。
まさに「本当の不幸は、自分が誰からも必要とされていないと感じる事。」だと思う。
だから真剣に相手を「重要だと思い」「好感を持ち」「有能視」しているのか?って事が大切なんだね。
お金や利益のためだと、そこは言葉を超える事が無いし上下関係が必ず付きまとう。だから心が繊細で傷付いている人ほど「(言葉で)言っても無駄だ」って事になるのだと思う。
つまり私にも分かってもらえないと感じられるところがあるって事だ。その結果を見ている。
それを振り返りながら、反省し、自分の意識を変えて行く。別にストイックな訳じゃなくて、そうして返って来る笑顔が、私の究極の癒やしであり喜びだからなんですね。
さて夜の部を無事に終えたら、連休です。
みなさまも無事に、良い週末になります様に。
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2026/09/18 12:19
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人生修行の旅
久しぶりに青空が見えております。
バス会社の方は、大忙しでフル稼働状態。取締役の上司まで、自らバスを運転しております。
私の方は、その端くれの方に位置しながらも、しっかりと自分の責任を淡々と果たしている感じです。同僚たちと共に、同じ場で働けると言うだけで幸せな私がおります。
苦節7年。目指したバス運転士を一旦外され、ようやく復帰したら2度目の離婚。負債を返し終える寸前で「進行性スキルス胃ガン」だと言われ、一旦終わりを覚悟して「ガン細胞が見つからなかった」と言われて60年間苦しんで来た痔の手術を決断した。
そんな私に取っては、痛みも無くバスの運転ができると言うだけで幸せを感じるのです。日々反省して、改善を図り、次の機会に生かして進化を続けられるって素晴らしい事だと思います。
(かなり使っているのですが、今年はたくさんのスダチの実がなりました。とても爽やかです。)
元気で働ける事、社会や人と関われる事。当たり前の様な事が、当たり前ではないと思い知っていたからの境地なのかも知れません。
まあ、それでもお迎えがいつ来るのかは分からない。私が、元気で動けるうちにやりたい事って何かと言うと人と心の底から信頼し合って繋がってると言う実感を持ちたいって事。
ずっとそれを求めてやって来たと思うのだけれど、捕まえた!と思ったら離れて行く事の繰り返しだったかも知れない。
人の気持ちと言うのは、状況によって変わるものだし簡単な事ではないよね。
でも、それって他人に求める事じゃないと言うのがようやく分かって来た。自分自身が信じられないのに、人を信じられる訳が無い。だから、自分で信じられる自分になって行くしか無いと言う訳だ。
だから、これで良いって事がない。何かに依存して乗っかって満足するのではなく、何事も自分の振り返りと反省にして行く。
そして最後の最後にも心から笑えるかどうか?
修行の旅が続いています。
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2026/09/17 12:36
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プーチンが仕掛けた戦争も、トランプの戦争も確たる勝者が無く国際世界の構造が一層不安定化しております。色んな疑問に便利に答えてくれるAIも、これから一体どうなって行くのかなんて事は分からないでしょう。
変動的で不確実、複雑で曖昧な現代は、「VUCAの時代」とも言い換えられ、ビジネスや社会の急速な変化を表しているとか。従来の常識や過去の経験が通用しなくなった社会状況の様でございます。
それまで前提として来た経験と常識が覆されて行くと言うのは、人に取っては大変な事です。国鉄分割民営化で、それまで信じて来た事が非常識とされ、そんな転換について行けない人から死んで行きました。
あえて言えば、そんな転換が容赦なくガンガン進んでいるのかも知れません。あまりに凄いので、訳が分からない。だから単純な攻撃的扇動に乗せらてしまうのかも知れない。この間の選挙を見ていると、そんな感じが致します。
恐るべきは、扇動された大衆であると言う歴史の教訓が忘れ去られている様に思う。
(本日のお弁当でございます。)
そんな時代を見つめながら、確かに生きる事って何かを考え中。
ホスピタリティと言う言葉があります。相手の立場に立ち、見返りを求めずに自発的な思いやりや心からのおもてなしを提供する事だと言う。実は不確実な時代と社会だからこそ、それが確実な信頼関係を生み出すと言う。
ホスピタリティとホスピタル(病院)と言うのは、同じ語源で中世のヨーロッパで、修道院などが旅人や病気・怪我をした人々に無償で宿を提供し、手厚く介抱したことに由来しているとの事です。
実は、金銭的な見返りは求めない思いやりやおもてなしの中にのみ確実性はあるって事なんですね。つまりつかみどころがない様な、心の世界に確実性はある。
日々バスを運転して、お客様たちと向き合いながら何より自分の心と向き合いながら何となく分かって来た事でもあります。問題は周りにあると言うよりは、自分の意識や心にある。自分自身の反省と振り返りの無い意識改革なんてのが振りかざされて来たから、インチキ臭い事になって来た訳だ。
心がこめられ、一生懸命であるものに人は打たれる。そこに確かな感動が生まれる。生きる喜びがある。そこで本物が問われているから、まだまだだと日々コツコツと精進を重ねる。
8月の電気代の請求が来ました。何と4531円でございました。エアコンで暖を取った作冬1月は、15000円でしたので三分の一になりました。庭木が成長して木陰の部屋を実現して、エアコンは一切使わず、さらにマメにスイッチを切る様にして来た結果でございます。
庭木の手入れは大変ですが、安易に原発に依存せず「温暖化」も他人事にしないと言う自分への振り返りを致しました。
大した事は無いのかも知れませんが、こんなところにも確かさを感じる事はできますね。変えるのは、先ず自分の意識からなのだと思います。
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2026/09/16 11:00
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古希の巡り合い。
「辻川さんバツ一だっけ?」と高齢の小学校のスクールバスの添乗員さんが聞くので「バツ二ですよ。」と返すと「良いな〜。一度で良いから自由になってみたいな〜。ず〜っと干渉されて来たから憧れなんだよ。」と言う。「同情されるかと思ったら、羨ましがられるとは思いませんでした。」と笑うと「自営業だったと言うのもあるかも知れないけれど、全てを妻に干渉される事から解放されたいって思い続けているんだ。」と言う。「それは何だか分かる気がします。私も結婚は懲り懲りですからね。」なんて話しをしながら、昨日も無事に仕事を終えました。
(田舎料理「家和楽」で頂いた酢味噌で芋田楽を作って頂きました。家和楽でしか出来ない味だと思います。美味しい!)
今朝は2時半に目覚めました。いつも通りに体操で身体をほぐし運動をする。朝ご飯を食べる。トイレに行く。風呂に入る。植物に水をやる。で、出勤まで一時間あるので「ケルン・コンサート」を流しながら安楽椅子でうたた寝をする。
誰にも気兼ねなく、迷惑をかける事もなく、こんな時間が過ごせるって幸せな事なのだと改めて思う。
(こんな納豆も頂きました。なかなか美味しい。)
そして、今日は朝乗務の後バス車内の非常スイッチ体験訓練がありました。
操作や解除の説明を聞いてから実際に運転して体験して見る。最初は外国人の青年。他の人が見ているのでちょっと緊張しているのが分かったので、軽い冗談を言って場を和ませる。
彼が終わると今年入った新人さんに代わった。
青年は私の脇に座って、ぴったりと肩を寄せて来る。何気にそこに、深い信頼を感じて「人として裏切る事があってはならない。」と内心思う。
新人さんとは言え前職のプライドがあるが故に無理をする。車庫内なのに無用に速度が高く、切り返さないとバスが回れなくなったりする。
次に私が代わる。大して上手くも無い私は、車庫内の状況を見て無理なくゆったり旋回し、非常スイッチテストの時だけ速度を上げる。
(電車とは違い)最後はガックンと止まるのだが「シートベルトをしていれば、大した衝撃じゃないね。」と感想を述べる。私の関心はそこだったから。
と言う訳で、「先輩運転士」としての見栄からも自由な私がおりました。技量ならば直ぐに追い越される事と心の置き方こそが何より大切である事を修練して分かって来たからなのだと思います。
つまり、お金や健康等色んな制約はあるけれど、心は自由になって来たな〜と思う。
狭い見方で、自分も人も見なくなって来た。そんな事よりも、人を大切にすればちゃんと心が返って来る事が見える様になって来た。
裏切らない責任ってのは、相手を思う心が問われているって事だと思う。所詮そんなもんだよって思い思われている事をぶっ壊す。
僕の古希からの挑戦だ。
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2026/09/15 11:11
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