辻川慎一つくば便り
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トゲトゲ曼荼羅
三連休明けの今日は、朝乗務を終えてから耳鼻咽喉科へ。健診で聴力が落ちていると病院行きが命じられたためでございます。
バス運転士の仕事を続けて行くためには、高齢化と共に様々な難関が次々と出て参ります。
耳の聞こえを良くする薬なんてのは無いのですから、補聴器くらいしか対策は無い様に思います。
全音域の精密検査を受けましたら、やはり高温域が聞こえていないとの事でしたが中温域は聞こえているので補聴器の必要性は無いとの診断でございました。1年に一度程度で経過観察しましょうと、そんなお話しでございました。
まあ、何はともあれ無呼吸症同様ギリセーフって言う感じです。1年1年が勝負になっているのは、寿命と同じなのかも知れません。
もはやワイルドには行かないのですね。
友人から曼荼羅も頂きました。
マンダラ(曼荼羅)とは、サンスクリット語で「円いもの」を意味し、仏教(特に密教)における仏の世界や悟りの境地を幾何学的に図式化したものです。中心に主尊を据え、諸仏や守護神などを秩序立てて配置した構造で、悟りへの「見取り図」や仏の宇宙観を視覚的に表現している、との事です。
そうしますと、
こちらも曼荼羅と言えますね。モミジバフウの実ですが、何やら宇宙的な不思議な姿をしております。自然界にはたくさんの曼荼羅がある様に思ったりします。
三連休の最後に映画を見ました。
宮沢賢治のお父さんを主人公とする家族の物語でした。
自分の人生を重ねながら、泣きました。
この時代は、結核が不治の病。大切な妹を結核で失い、自分も結核になり早世した宮沢賢治さん。彼が短い間に書き残した作品と言うのは、何よりもその大切な人のために書かれたのですね。だから人の胸を深く打つ作品になった。
そんな背景が胸に迫って来る映画でございました。
で、そろそろ休もうか?と思っているところに、本物の鉄道員から電話がありました。
今秋末にあるJRの後輩の退職慰労会の案内電話でございました。
わざわざ電話をくれて気にかけてくれる事が嬉しい。私も心配していた近況等を聞いたりしました。
みんな、それぞれの世界があり波長が違うのでぶつかったりもする。でもね、やはり相手を思う心があれば、波長を合わせられる。思う心が無い人とは合わせられない。
当たり前の事の様に思います。
マルの中のトゲトゲ曼荼羅の意味は、その辺りにあるかも知れませんね。
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2026/02/24 12:18
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新たなる飛翔
未明から強風が吹き、暖房要らずの暖かさになっております。まだ2月なのに20℃超えの予報。まさかの春一番なのでしょうか?
世界はトランプの強風が吹いている様ですが、背景にはアメリカのどうしようも無いくらいの弱体化がある様です。
時代にはいくつもの荒波があり、そこに生きる人の人生も荒波が幾たびも襲い掛かる。飛び上がったと思ったら、どん底にたたき落とされる。
生きて来た人生が全く違うのに、とても共鳴する友人が手料理とお酒を携えて訪ねて来てくれました。
そして、こんなステキなお土産まで用意してくれておりました。
インドのヒンドゥー教の神ラクシュミー。美・富・豊穣・幸運を司る女神との事です。仏教にも取り込まれて、日本へは吉祥天として伝わったのですね。
「辻川さんに、金運ももたらされる様に。」と自ら会社を起こし、激しく生き抜いて来た方らしい思い遣りを有り難く受けさせて頂きました。
私も簡単な手料理を作り、友人が作った美味しい手料理を肴にしてゆっくりと飲みながら、約5時間尽きないお話しを聞かせて頂き、私が抱えている問題にも全く別の視点からアドバイスを頂きました。
「資産の無い者が会社を経営しながら商売をやると言うのは、3ヶ月で飛翔しないと無理なんです。1年2年で結果を出すと言うのは、余裕がある金持ちの発想です。低空飛行のセスナだと落ちる。ジャンボ機の様に上昇できないとダメなんです。」とそんな話しをしてくれました。
そして「私も辻川さんもどん底でようやく自由になって巡り合った。どん底から再び飛び上がるために。そのためにはもう一度高い目標を目指す事が必要なんです。辻川さんは、まだ強い気を放ってますよ。」と言うのです。
さらに「無駄な出費を見直す事から」と具体的に金運まで呼ぶ方策のアドバイスまでしてくれました。
う〜ん。半ばもう良いか。後は息子のところに行くだけだ。なんて思いもあり、体調も思わしくないと感じていたので「それも、新しい高い目標を持たない事に起因しています。」と言う分析に「なるほどそう言う事か。」と合点する私がおりました。
いくつになろうとも、高い目標を目指して飛び立つ。挑戦し続けないと墜落する。低め安定と言うのは幻想でしかない。
厳しい世界を渡り歩いて来た人の有難い言葉と言うか言霊(ことだま)でございました。
(父の兄弟がいたと言うので、両親を「予科練平和祈念館」に連れて言った時の写真が出て来ました。)
バスの運転だけでなく、人生への向き合い方もまだまだ甘い様です。堕ちないためには、流れを呼び上昇しなければならない。低空飛行で良しなんて事は無い。
得難い友人との出会い自体が、私自身が呼び込んだ流れなのだ。
そんな事を思う休日でございました。
https://youtu.be/Az_e-zqRMmw?si=rUSwEnHrjjATtZgm
山崎まさよしさんと言う方、良いお顔をされていますね。
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2026/02/23 08:16
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奢らず、贅沢を言わず。
友人のみなさま、良い日曜日を迎えられておりますでしょうか?
かつては「超人」の様に生きていた私ですが、古希の年を迎えてガタガタの感じがしております。
フラつきが酷く、血圧が高いばかりか、腰は痛み、膝も痛み、蕁麻疹が治らず、お尻も痛みます。健診では大腸の精密検査を指示され、人生初の内視鏡検査を受ける事になりました。難聴でも医者に行かなければなりません。
5日間の乗務を終えてほっとするとド〜っと疲れが襲いかかります。
古希と言うのは、昔は70歳まで生きる人がまれだったので長寿のお祝いなんですね。
両親の事を思えば、まだ頑張らなければならないのですが、なかなか大変だなとも思ったりします。
そう、胃まで痛み出したのでキャベツを食べたり、自家製スペアミントティーを飲んだりしております。
何だかボロボロって感じが致します。
それでも笑顔でいられるか?
修行の日々が続きます。
ふらつきが酷かったのですが、友人に手伝って頂きながら玄関周りの壁のペンキ塗りをしました。2.8mの竿付きローラーで大まかは塗ったのですが、細部や仕上げのためにはやはり梯子を掛けて登らないと綺麗になりません。
ふらつきながらで怖かったのですが、だんだんと慣れて来るのが不思議だな〜なんて思いました。
なんでもそうですが、手入れをしないと痛むのです。
まだ梯子に登れるうちに、痛んだ壁を自分でペイントしたいと思っています。
廃墟に住む、廃人の様にはなりたくありませんので手入れし続けたいと思います。
家は自分が住むだけではなく、大切な友人を迎え入れるためにあるのですから。
まだ小さな二本の梅の木が、満開状態になり良い香りを放っております。
もうすぐ春ですね。
医者に行くのは、時間もお金も掛かりますし気持ちが落ち込み勝ちになります。
会社からの指示ですし、「異常」があればその様に指示せざるを得ない立場にある事を思えば、ちゃんと行かなければならない。それも運転士としての責任だと思い直したりします。
何事にも奢らず、贅沢を言わず。
自分のあるがままを受け入れて行くしかありません。
今日も愉しい友人が訪ねて来てくれます。
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2026/02/22 08:54
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深さは間違いの中に。
速いもので、色んな事がありながら週末の最終乗務でございます。
どうも最近の傾向として、ちょっとした間違いを叩いて自分を優位に置こうとする事が多い様に感じます。間違わない様にとばかり考えるので、ピリピリトゲトゲするばかりどうもつまらない。楽しくも無い。
どうしてなのかな〜と思っておりましたが、デジタル化社会が進むと共にって事なのだと分かりました。
「音霊(おとだま)の詩人」と言われるピアニストの遠藤郁子さんと言う方のエッセイに、デジタル化してから音が外れると録り直しになるので外れない事ばかり気にかけていると、どうもつまらない演奏になる。レコード時代の巨匠の演奏と言うのは大きく外れた音があっても名演として残っている。とそんな事を書いております。
間違う事にダメ出しされてばかりいると、結局つまらないものにしかならない。そう言う事なんですね。気持ちや魂がどっかに行ってしまうものに、人が深く感動して心が揺り動かされるはずがありません。
な~るほどって思いました。
(ベートーヴェンの月光。好きで、何人かの演奏を聞きましたが、この方の月光は、別物でございました。音の間の取り方が、とても日本的に感じます。)
約半世紀前、国鉄水戸機関区で労働組合運動を初めた頃、職場には色んな達人がおりました。
書道の達人が、組合に頼まれた看板の字を間違えました。しばしにらんでからサラサラと間違えた字に書き足しましたら古い字体に変身して、一層立派な看板になり驚いた記憶があります。
そう、間違いの中に深さが宿る。間違ったら消してやり直せば良いと言う手軽さの中に、人としての深みなんか出ない。故に面白くも何とも無い、と言う事になる。
そんな事が、あちこちに満ちていてとても生きづらく、楽しく無い社会になっていないのかな〜なんて思います。
(本日のランチ。意味不明の組み合わせ「あんかけ丼」。栄養豊富なだけでなくなかなか美味しいのでございます。)
私の技量未熟と言う問題はありますが、私の研修「指導」は危険と思われる運転以外のダメ出しは致しません。
ダメ出しは他の方が散々やられておりますので、むしろ困った事態への対処方法について「今の判断良かったですね〜。」とか、ちょっと危ない時にスムーズに対応できたら「今の対応は、緊急時に大切ですね〜。」とか伝えます。本人はしまった〜と思っている場面でです。失敗を気にしてもたついている方が、はるかに危ないのですから。
失敗から学び、対策を創造していくのは本人なんですね。
失敗は成功の母なのでしたね。
いずれにしても、失敗だらけの私には人をダメ出しする資格が無いのでございます。
私自身はめちゃくちゃ落ち込みながら、反省を繰り返す中でようやく自分の失敗を笑いのネタにできる様になって来ました。
そう言えば遠藤郁子さんは、自分自身の苦しさや悲しみを表現していた時より、人の悲しみや苦しみを思いながら演奏する様になってから格段に音の深みが増したとも書いております。
人としての深みが表現する音に現れる。
自分にまでダメ出ししていたら、せっかく生きていてもそんな境地を知らずに終わりそうですね。
人を思い、自分を思う。やはりそれが大切な事の様です。
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2026/02/20 13:45
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失われた世代(ロストジェネレーション)
昨日は大型バスの研修「指導」で、今日は自ら大型バスの運転です。
いつも運用しているバスが暖房修理のために、初めて乗るタイプのバスです。既に40万キロ走行している三菱製のバスですが、とてもパワフルなエジソン音が致します。マイクロバスや中型バスを運転してから、大型バスを運転しますとやはり大きいな〜大丈夫かな?と感じてしまいます。しかも初めて運転しますので、スイッチ類を含めてかなり違うところがあります。
戸惑いながら、一つ一つ確認してから発車。うん、なかなか快適なバスだと感じながら一つ目の停留所に到着しましたら、ドアスイッチを扱ってもドアが開かない。え~っ!一体どうなってるの?と思いながら、時間が無いのでドアの非常スイッチを扱い手動で開ける。
走行して信号待ちの時に、あれこれ確認しても分からない。そう言えば、スイッチ類の確認をしながらドア開閉テストを失念した事に気が付きました。
しかし、そこで慌てても焦ってもダメ。停留所に着く度に、ギアをニュートラルにし、駐車ブレーキを掛けて確認し、立ってドアを手動で開ける。締めて戻す。所定の作業をして、安全確認をしてから発車する事を繰り返しました。
いつもより多少送れましたが、無事に帰庫致しました。そして、ベテランの先輩がおりましたので聞きましたら、乗車前のドアロック解除のためのレバーとスイッチが車外に2つありスイッチの方を扱わなければ車内からの操作ができない事を知りました。私がいつも乗っているバスはレバーを引くタイプで、観光バス用だとスイッチタイプ。私はレバーを引いて扱ったために開閉が出来なかった事を知りました。
いやぁど〜も。色々と注意点は事前に聞いてはいたのですが、落とし穴がありました。ちょっと大変ではありましたが、何があっても慌てず落ち着いてと出来た事には自分の心の成長を感じた次第です。
(今日のランチでございます。若くはありませんし、誰かと行く時以外はなるべく自宅でちゃんとしたものを食べて休む様にしております。)
昨日の研修「指導」を受け持った運転士さんは、私より一回り下の方でした。バス運転の経験者で大型トレーラーも運転された事があり、ルートやバス停等の細かい注意点以外は私の方が有り難く学ばさせてもらっております。
その方のさらに一回り下の世代の運転士が何人かいるのですが、共通して笑顔が少ないと言うか笑わないと言う話しになり「就職氷河期世代」の心の闇ではないか?と二人で思いあたりました。
1990年代から2000年代初めの頃まで、バブルがはじけて大学は出たけれど就職先が無いと言う時代がありました。それまでは約束されていた就職先が無くなって、大学を出ても望む様な仕事も収入も得られない時代だった訳です。
努力して勉強すれば大丈夫なんて言う常識的前提が崩れた時代だった訳です。その直撃を受けて、かなり深刻な心の打撃を受けてしまった。笑え無くなってしまったのですね。
(1994年松本サリン事件の被害者でありながら、容疑者とされた河野義行さんが、被害者である妻澄江さんを看病する写真です。)
その時代を象徴する事件が、1995年の地下鉄サリン事件でした。オウム真理教の信者となった優秀な若者たちが、実行犯の中心にいた事が衝撃的でありました。その直前には、阪神・淡路大震災が起きております。
やはり、その時代を象徴する様な事件であり若者たちの心の闇を見る様な思いが致します。
何の偶然か、ピアニストの遠藤郁子さんと言う人の本を取り寄せましたら河野義行さんに会いに行くお話しから始まっておりました。
遅い帰宅で、寝るまで1時間ほどしか時間が無かったのですが惹かれる様に読み始めてしまいました。
それぞれの世代が育ち生きた時代の前提が違っている。ですから自分が当たり前としている事が他の世代の前提では無い。
自分の当たり前で、人を決めつけたりダメ出しなんかしても理解などし合えない。しかし、思う事はできる。人は類であるから。
やはり、狭い自分の世界の節穴から人を見るのでなく、人として魂のレベルから人を見る様にしないと見えないものがある。
そんな事を改めて思います。
「グルーピングして、人の噂話をして勝手に伝播する事が多くないですか?」と一回り下の運転士さんが言うので「私は、みなさんと楽しく冗談を言ったり、さり気なく励ましたりはしますが、噂話をしている様なところには行かないのですよ。空でも眺めてた方が良いですから。」と言いました。
空から見ると小さな事ですものね。みんな最後には空に登って行くのだし。そして、余計なものに囚われない本当の心は空よりも広いのだと思う。
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2026/02/19 13:32
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