辻川慎一つくば便り
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どうも「福耳」らしい。
一年の疲れが溜まったのか先週末から喉が痛み出し、鼻水に咳が出て来て、どうも頭がぼんやりする。重くはありませんが、典型的な風邪の症状でしたので冷やさぬ様に温め、美味しく栄養を取り、なるべくまとめて眠る事に努めました。幸い土日と休日でしたので、休養をメインにして過ごしました。
そうしましたら、今朝は痰が出て来ました。痰は、ウィルス等と白血球が闘った残骸との事ですのでどうやら頑張って勝ち抜いてくれた様です。ずいぶんと回復致しました。
風邪薬の対処療法でなく、ひたすら自分の免疫力を高める事で治癒して行く。やはり、間違いでは無い様に思います。
家に、黒豆と大豆がありましたので煮豆を作って見ました。ちょっと虫が喰っていて、古いかな?と心配でしたが、もったいないのでやって見ました。もちろん初挑戦でございます。
いやぁ〜。出来て見ましたら、自分でも恐ろしくなるくらい美味しく出来ました。出来てから時間を置くと、とても良い香りもして来ました。
煮魚が食べたくなりカレイの煮付けも作ったのですが、こちらもふっくら煮上がって絶品でございました。
私だけ食べても自画自賛にしかなりませんので、地元の友人に来てもらい食べて頂いてやはり大絶賛して頂きました。なのでお土産にお渡しした次第です。
一体何なのでしょうか。自分でも分からなかった才能があったのでしょうか?2度目の離婚で一人暮らしを初めてからの手料理なので、半年程度のキャリアでございます。でも作る料理、作る料理が感動的に美味しく出来ます。
素材があって、調味料があって、レシピもあってなのではありますが、最後は作る人になります。同じ様に作っても違うのが手料理の不思議です。
「変に思われるので言えなかったのですが、辻川さんの耳に触りたかった。見た事の無い福耳をしてるんです。」と友人が言いました。
「え〜っ。そうなんですか?そう言えば母に言われ事がありましたね。」と、全く気に止めていなかった事に気付きました。
改めて写真を見て見ましたら、確かに福耳の様です。
「持ってる人だ。」とか言われたり、自分では分からない事ばかりです。
まあちょっと違うと思うのは、良いと感じる事も、してはいけないと思う事も、人から学ぶ様にして来た事でしょうか。今でも日々学び続けております。マネでなく影響を受けながら生きている。
でも、それって生まれた時から、子どもの頃からそうなのだと思います。長い経験を積んで、自分で選択できる様になったと言う事の様に思います。
とてもたくさんの人にあい、たくさんの人と別れて来ました。でも、ちゃんと私の中には生きているのです。
読み始めた昭和の本です。
最初に名刺の効力と言うのがあって、会社でも何でも名刺の中には、そこで働いて生きた人たちがいる。その効力である事を忘れてはならないとありました。名刺なんて使う必要も無い私ですが、生きて、働いて、去って行った人たちがいての効力って人の存在そのものじゃないかと思いました。
何か偉い肩書きの名刺を持つと、自分が頑張ったからだなんて勘違いしてしまう。頑張って生きて、働いて、消えて行った人たちのお陰で今がある。それを忘れてしまうと、その人自身の効力なんてのはたかが知れているんだよ。
なるほど〜って感じです。
私は、私が学び、影響を受けた人。それからこの国や世界のために生き、死んで行った人たちがいてここにいる。
そう言う感覚って大切な様に思います。
母の煮豆作りも、幼い頃から見ていたな〜って思い返したりします。記憶の中にあるんですね。その記憶の引き出しを開けながら、今煮豆作りをする私がいるのです。煮魚の記憶もある。じっと見ていた私がいるのですね。
そして、今もじっと人を見つめ続けている。老眼で難聴気味なれど、心の目で懸命にカバーしながら。
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2025/12/15 11:39
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コキア(ほうき草)を頂いて。
喉が痛むのは、うがいをして治めたのですが鼻水と咳が出始めてスッキリしない体調なので、栄養補給を考えながら美味しいものを作り、食べて、身体を温める様にしております。いつもは4時間程度の睡眠時間なので、倍の8時頑張って間眠りました。でもバスのタイヤを縁石に当ててバーストして青ざめる様なおかしな夢ばかり見ましたので、寝るのも無理してはダメみたいです。
昨日は、パウンドケーキ。クリームシチュー。金柑ジャムを手づくりして「麦童」のパンで頂きました。天然酵母パンにはヌテラを塗りました。
一緒に食べて頂いた友人からは、大絶賛の感想を頂きました。美味しいと感じるのは、身体が喜ぶ事と一体なんだな〜ってつくづく思います。
今朝の遅めの朝食。一つ一つがとても美味しいと感じます。素材の良さが生きております。
ぬか床も毎日かき混ぜて、空気を入れて発酵を促し続けて来ました。昆布を加えて旨味を加えたり、自家製唐辛子を加えたりして来ました。唐辛子は、漬物の色も良くする様です。美味しく、とても良い色の漬物になります。やりながら、色んな発見があります。
何事も工夫しながら、試行錯誤しながら良くなって行く様です。
地元の友人が、ほうき草(コキア)を持って来てくれました。種を落とし、そのままでも使えそうなくらいでしたが、海で拾った流木で柄を付けて見ました。自然の恵みの有難さを感じます。
コキアの実は、秋田県の名産「とんぶり」。秋田生まれの母が好きかと思い、珍しく売っているのを見つけてお土産にしましたら「とんぶりは好きじゃないよ。」と言われたのを思い出します。
母の好きなものも知らない息子でした。無味無臭に近く、プリプリした食感を楽しむとんぶりですが、栄養価はとても高いとの事です。
こちらですね。
今では、紅葉の観賞用で有名になってしまいましたが、昔は生活と共にあった植物だった。だんだんと日常生活から離れてしまったと言うのは、コキアばかりでは無い様に思います。土台である日常や、その風景が記憶の土台に無いので不安定に彷徨っている。
そんな事を思いながら、ほうきを眺めておりました。
「失われた時を求めて」と言う有名な本がありますが、土台の記憶である心の原風景が無ければ何を失ったのかも分からない様に思います。
そこに今の時代の大変さがある様にも思います。
でも日常が無い訳ではありません。さり気ない日常とその日々よりも、別なものを追わされているだけの様に思います。そうして、日々を深く味わう事なく廃墟になって行く。
さて、雨が上がった様ですので買い物に出掛けて参ります。明日からまた仕事ですので。
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2025/12/14 12:33
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白系は汚れが目立つから
1週間を何とか無事に切り抜けました。
昨日は、大型バスで外国人の青年が研修同乗しての金曜ラッシュ。未明には、飲酒運転での死亡事故があり朝のルート途上が通行止めになり、朝乗務後に青年の運転研修に入ると途上で衝突事故。夕方もまた事故。事故渋滞に巻き込まれ無かったのは幸いでしたが、一体どれほど交通事故が多いのかと思います。
無理をしないで、良く確認すれば良いのですが、無茶な運転をするんですね。死亡事故や再起ができないくらいの障害を負ってしまう事故が毎日起きているのに「自分には起きないから関係ない。」と誤解している人ほど危ないと、毎日の様に交通事故を見る私は思います。無関係な人はいないのです。歩行者や自転車も無茶をするのを、バスを運転しながら見ております。
昨晩の帰宅は、週末バス清掃で帰宅が21時。それでも、優秀な外国人青年の助手がおりましたので早く終わりました。なので、同僚のバス清掃も手伝いました。青年が濡れタオルでボディを拭き上げるのに、悲鳴を上げるほど寒かった。
どうも、さすがの私も一昨日から喉が痛み、昨日からは鼻水が出始めました。軽い咳も。急な発熱ではありませんので、普通に風邪の様でございます。
対策は、冷やさずに休む事と栄養補給で免疫力を高めるしかありませんね。
有難いお休みです。栄養補給をしてなるべくゆっくりできたらと思います。
掃除、洗濯をして朝食を作った後に、さらに料理を作りました。
たくさんの金柑を頂きましたので、金柑ジャムを作って見ました。それからパウンドケーキも。ジャムは初めて作りましたが、なかなか上出来だと思います。パウンドケーキは、2度目なので失敗無く良い香りを放っております。
そして、自家製ルーのクリームシチューでございます。
いや、ど〜も。なかなかの出来でございます。
美味しく愉しく栄養補給ですね。安全性は私のバスの運転くらい(?)で、外食よりは断然安い。何より身体に良く、優しいと確信しております。
ちなみにガステーブルをわざわざ白系にしたのは、汚れが目立つから。綺麗にしておくためには、手間を惜しまずまめに清掃しなければならない。だから選びました。
急いで、慌てて浮かせた時間帯で何するの?事故になれば、大変な時間がかかるばかりでなくケガでもすれば痛い時間がさらに長くかかる。死ねばお互いに取り返しが効かない。
それを考えれば、心のリセットをしながらかける手間の時間と言うのは無駄ではない。
金曜ラッシュを大型バスで細心の注意を払いながら、悠然と走る。結局昨晩は、定時運行でおまけに2便目には乗客無し。つまり待機休憩だったのでございます。
前回とは別の同僚に「辻川さんは持っている人だね。」とまた言われた次第です。
まあ、良い時ばかりでは無い。しかし、動じずに落ち着いて切り抜けられる心の成長を感じております。
みなさま、良い土日をお過ごし下さい。
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2025/12/13 11:06
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今に生きる昔話
この爺さんは何を言ってるの?と言われるかも知れません。
今から40年前、国鉄が分割民営化される事が決まり12万人とも言われた人たちが職場を追われる事になりました。誰が生き残れるのかと不安と疑心暗鬼が渦巻いておりました。最強と言われた労働組合も、それぞれの生き残りをかけて対立を深めていました。
まだ若かった私は、組合の違いを越えて一つになれば道は開けると思い、職場の青年たちと共に猛然と声を上げて引かなかった。その結果として1986年には電車運転士を降ろされ「人材活用センター」と言う見せしめ隔離のために作られた場所に送られ、駐車場の管理をさせられました。しかし、心が挫けた事はありませんでした。仲間たちも、そんな私と一緒に耐えてくれた。
その頃の中心スローガンの一つが「士職奪還」。つまり運転士に戻せと言う事でした。無理と言われたこの目標を24年の歳月をかけて実現し、仲間たちは士職を奪還致しました。最高裁まで争って2度に渡って勝利しております。仲間たちが挫けたら、無かった勝利でございます。
さて、仲間たちは見事に運転士職を取り戻した訳ですが、私自身の方は対象外で電車運転士に戻る事はありませんでした。23年ぶりに電車検修の現場には戻り、仲間たちと夢の様な8年間を過ごす事は出来ましたが。
(家に飾ってある私の電車運転士免許証です。)
さて、前置きが長くなりました。
私自身の「士職奪還」は、私自身で果たす事になりました。電車運転士ではなく「バス運転士」としてです。
この会社では、辞令にきちんと「バス運転士」と発令されております。
息子を亡くした地で、その辞令を拝命された時には、私の中で特別の感慨がありました。
しかし、精神的打撃が深い中で新しい家族を持つと言う負担に耐えられ無かったのか重大なミスが続きバス運転士も一旦外されてしまいました。
そこから再び運転士に復帰するために、最低賃金で何でもやって来た日々でございました。そうして再び70近くなってバス運転士に復帰できたのです。
他の人にとっては「それが何なの」と言う事かと思いますが、私に取りましては特別の思いと感慨があるのです。40年ぶりに、本当に士職を奪還できたと言う思いです。
(6年前、未熟ながらも一旦大型バスの運転士になった私です。)
さて、どうして士職なんでしょうか?
士と言うのは侍、つまり武士と言う事です。運転「手」ではなく士に込められた意味があると思っております。
単に剣術の技がすぐれているから武士と言う訳であありません。礼節があって初めて武士と言われる。礼儀を知らない無礼者は、武士の名折れなんですね。
技にすぐれた上で、礼儀を重んじるのが武士なのでございます。
つまり、私たちは名前だけの名誉回復を求めていた訳では無かった。取り戻す過程そのものの中で、士を貫いたからやり遂げられたのだ。とその様に思っております。その時点で、既に勝っていた。士職を奪還していたと、私は思っております。
そのリーダーであった私が、再びバス運転士として復帰した時に、運転技術のさらなる研鑽と共に礼節を尽くすと言う事の中に、私の士職奪還の完成があるのでございます。
それは、長年の仲間たちに対する私の礼節であり責任でもあると思っております。
もちろんまだまだ、これで良いと言う事はありません。技術も礼節も、生きている限り研鑽し続ける。それが士の生き方であると私は思っております。
それは「士」の中に特別に込められた仕事を指す、日本人の文化を大切にする事だとも思っております。
今日は、今週3度目の大型バスで外国人運転士の研修担当です。技術的に問題の無い彼に、心の置き方の大切さ、礼節の大切さを伝える私であります。日本人で無くても、分かってくれている実感があります。どの国にも文化と礼節はあるのですし、礼節とは相手への敬意と尊重の心から成り立っているのですから、通じない訳がありません。
無礼とは相手を軽んじ、バカにする事に他ならないのです。そこから来る言動を失礼と言うのです。
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2025/12/12 13:20
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寄す処(よすが)
寄す処(よすが)は、寄りどころの家が転じて心の寄りどころと言う。
生きて行く事には、誰しもに不安があり、孤独を感じる。それはそれで人として大切な心の働き。だからこそ、自分で考えて自分で判断する力を付けて行かなければなりません。
ところが、自分で考えて判断すると言う事を否定されて「お前はダメだ!全て言う通りにしろ!」とされると依存するしか無くなってしまう。自己肯定感が持てないと依存してしか生きられなくなってしまうと言う訳です。
(今朝2時半に起きて作った朝食でございます。定番の具だくさん味噌汁にキュウリのぬか漬け。しらすおろし。友人に頂いた「ナチュラル納豆」に海藻卵。韓国海苔。デザートは地元の種ありぶどう。実はかなり贅沢で、美味しい朝食でございます。)
私は、労働組合の委員長を努めさせて頂いた頃から組合員にあーしろこーしろなんて言いませんでした。それぞれの判断があるし、それを信頼して受け入れる様にしました。組合を脱退すると決めた人も非難はせず、自分の至らなさを考えました。
去る人は去り、残ってくれる人も自分の判断で残りました。
ところで政治党派と言うのは、自分たちの主張だけが正しいので、「指導部」と呼ばれる上からの指示で動く事が絶対と言うのですから合わなかった。自分で判断する事でなく従う事が大事と言う構造は、組織へ依存してしか生きられない人格を作る。組織のためには、それが好都合な訳です。
まあ、根本が合わないのにずいぶんと無理をしておりました。
(頂いた「ナチュラル納豆」。茨城県日立市で作られておりました。納豆の香りがちゃんとしながら、とても優しい味がして美味しい。もちろん遺伝子組み換え大豆は不使用です。)
バスの運転でも、結局やるのは自分ですから自分で判断しなければ運転できない訳です。なので、研修指導で危ないと感じたところは指摘しますが、安全第一を前提に自分で判断する事を大事にして来ました。人のせいになんかしても通用しないのでございます。
まさに人生そのものと同じだと思うのですが、現実社会では他の人に依存する事で不安や孤独感から逃げ続ける人たちがたくさんおります。そう言うところにつけ込む様な宗教団体がなくならない理由でもあると思います。
世界も、自然界も、混乱に向かう。日常生活でもちらかるし、汚れる。
生命活動と言うのは、直向きに混乱を整理しようとする努力と言えるのですね。力尽きてそれが出来なくなった時に個別の死を迎える。
(小学校で見つけた「アミガサハゴロモ」と言う虫の卵。子どもが言っていた様に虫がいない自然界と言うのは死滅するんですね。)
私が子どもの頃は、遊ぶと散らかったので「片付けろ!」と親に叱られました。遊んでは散らかし、散らかしては片付ける。いつの間にか、何かをしたら片付けると言う習慣がついたのだと思います。受験勉強が行き詰まったりすると、やはり机や本棚を片付けて整理する。すると何となく心もリセットされる。
そんな経験が、大人になっても生きている様に思います。混乱し、散らかったら身近なものから整理して見る。掃除して見る。ほんの細やかな事ですが、人が生命として存在する事の本質が実はそこにある様に思います。
片付けられないとどこまでも混乱して、収拾がつかなくなる。それは現象の問題だけでなく心も同じなのだと思います。混乱の共依存と言う訳です。そうしますと、当然ながら出口のない混乱が深まるばかり。
自分の判断で、自分から片付ける。めんどうだからこそ、その達成感や気持ちの良さを感じる事が大切なんだと思います。それは強いても生まれない、習慣の力の様に思います。
(こちらがアミガサハゴロモの成虫だそうです。蛾の様ですが、セミやカメムシに近いとの事。確かに頭の部分が違いますね。成虫は見た事がありません。)
肉体も心も絶えず混乱の方に向かう。その中で日々休みなく整理しようと頑張っている。そんな自分や他の人です。自分自身への信頼を取り戻すのは、意外にも小さな事からの様に思います。
みんなとズレてぶつかってしまう青年と忘年会の話しをしました。ぶつかっても彼なりの判断をしていると思うので「なるほど良く考えてるな〜。俺は考えてもいなかったよ。」と褒めましたら「辻川さんと一緒の部屋に泊まれると良いな。」なんて言ってくれました。年の差40才に近いのですが、ちゃんと温かく見ているのを感じてきたからでしょうか。
人は、ちょっとしたきっかけで変わるし伸びる。そう言う力は、誰しもにあると思う。
深く温かな心の寄す処があれば。
そんな事を思います。
https://youtu.be/dbHPwFo_28o?si=gtUq_-nFbFQhYaNg
1985年。国鉄分割民営化との闘いの嵐の渦中に亡くなったた息子が生まれた年に流行った曲だったのですね。この頃は「ダイアル回して」たんだと思いながら、恋をする乙女の心って良いよな〜と感じます。
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2025/12/11 13:10
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