辻川慎一つくば便り
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不完全な美
今日は暖かな金曜日になりました。
私の方はいつもの工場送迎バスで、これから金曜渋滞との闘いになります。
昨日は有難い事に、今週2度目の小学校送迎でした。何が一番違うかと言うと終わりの時間が違います。小学校の方は夕方には終わりますので、まとめて眠れるのでございます。
昨日は小学校のルートでは一番面倒なルート。狭い田んぼ道をひたすら走る感じです。対向車が見えづらい上、来たら上手く交わさないとなりません。
そんな道を子供たちを乗せて走りながら、交わし方がずいぶん上達したなと思いました。流れがある運転で、スムーズなんですね。
ラッシュアワーで鍛えて来た成果だなって思いました。どんな状況でも慌てる場面が無い感じです。
研修運転士さんたちの運転を見て来て、違いを自覚できたのも大きいですね。自分の運転との違いを見せて頂きましたので。
決しておごっている訳ではありません。惚れ惚れする様な上手いベテラン運転士とは比較にもならない事は自覚しておりますので。
不完全だと思うからこそ、この年でも向上心があるのでございます。
ところで、そうやって色々と頑張って来たつもりなのですが、どうにも家族の形成では失敗続きで恨まれてしまいます。
どうして努力して、色々やって来たのに恨まれるのか?
どうにも分からないのですが、まあ労働組合でも色々と相談に乗って解決してあげた人の方が、先にいなくなったり、私を恨んだりする事が多かったので結局「やって上げてもダメなんだ」って事が分かりました。
政治党派でも「辻川さんしかできない!」なんて言われて、散々応えて来て、自分たちの意に沿わなくなれば、一転して罵倒する。そんなサプライズも経験しましたので、あ〜人の世なんてのは、そんなものなんだなと勉強させて頂きました。人の心も変わる。世の中も変わるんですね。
車で走りながらも、ちょっと気になる花を見つけるとチェック致します。「ナヨクサフジ」と言うマメ科の花を見つけました。初めて見ました。なかなか綺麗な花です。
最近は「花博士」ですねと、メッセージを頂いたりしますが、植物や花と言うのは手を入れるとちゃんと応えてくれますし、私を恨んだりしないのでございます。
人と言うのは、自分の事情や立場で人と接しますので、どうも花の様には行かない。
私が木や花を見て癒されるのが分かる人は、かなり嫌な事を経験されて来た人ではないかと思います。
今日は訳ありで、お弁当を作ってウロウロしております。
紅鮭を焼いてほぐし、玉ねぎとハムを刻んで入れて焼いた玉子焼き弁当です。ビジュアルもいまいちの不完全弁当なれど、不完全なのが私らしいと思います。
お弁当にも伸びしろがあると言う訳で、向上心が大事かと思います。
散々やって来てこの程度かよって嘆きたくなる私ですが、千利休先生は「不完全なものに美がある」と言われ「古いものや欠けたものにこそ美があるのだ」と茶道の道を極め様とした訳です。
古くて欠けたもの?
う〜、それなら私そのものじゃないか!俺の美って何だ?
あ〜思い出しました。
人を恨まないこと。悪く言わないこと。そこを仲間たちが信頼していたことをです。
有終の美に向けて、討ち死にするしか無い様ですね。
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2025/05/16 14:06
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人を思う大事さ。
昨日、ひさしぶりに顔を見た仲間たち。私が一番年上ですが、仲間たちも60代になりました。
「元気ですか?」と聞きましたら、一人の人は「坐骨神経痛で一ヶ月も休んでました。いやあ酷かった。立つ事はもちろん、座るのも痛んで横になりながら食事をしてました。」との事でした。それを聞いていた仲間も「俺もダメなんだ。痛みが酷いよね。」と言います。「ゴルフは大丈夫なの?」と聞きましたら「前回の送別コンペは失礼したのですが回復して来たので何とか。」との話しでした。
そうだよな。身体の具合が悪くなると、仕事はもちろん、一緒に楽しい時間を過ごす事もできないよな〜と、実は健康である事だけで恵まれているんだと感じました。
(JR水戸線笠間沿いには御影石の産地があります。スタートホールに置かれたお稲荷さんのキツネが可愛いかったです。)
綺麗に整理されたゴルフ場の風景を楽しみながら、スコアの結果に左右されずになるべく一つ一つを丁寧にやりたいと思いました。大体欲を出し、力任せに飛ばそうとして失敗し続けて来ましたので、もういい加減に悟らないと。なんてグラブを振っていたのですが、ドライバーと言う一番大きなグラブでのショットが良く当たり、ミスが少なくなったのに驚きました。
いつも丁寧にアドバイスしてくれる後輩から「辻川さん打ち方変わったよ。ボールに当てに行かなくなったね。高い打球にミスは少ないんだよ。300ヤードだって飛ばせる打球だよ。」ってほめて頂きました。後2年で70才ですので、仲間とは言え嬉しく思いました。
まあ「寄せ」とも言うのですが、グリーン周りからのアプローチショットが落ち着かず結果はほぼいつも通りでしたが、一緒の時を過ごせると言うだけで幸せでございました。
そう、運転士は目も大事。紫外線対策のメガネをしっかりしながらのプレイでもありました。
(レストハウスもなかなか凝って楽しいゴルフクラブでした。鉄棒には「のび太くん」がぶら下がっておりました。)
「良かったらまた次も」と言ってくれた動労水戸の木村委員長。「お願いします」と私。
私よりは若いとは言え60代の仲間たちを見ながら「次が無い事もあるんだ」と思う私がおりました。
若くして、永遠のお別れをしなければならない人たちを見て来た私でございます。
「元気であれば」の限定付きで、次がある事を学んで来た日々でした。
逆に言えば、人は「元気でいる」と言う事だけで、本当は恵まれているのだと思います。
(「桜の宮」と言う名の通り、それは立派な桜の木がたくさんありました。桜の時期は見事だったでしょうね。)
そして、ひさしぶりに一緒にゴルフをしながら思った事は、人を支えているのは実は「習慣の力」ではないか?と言う事です。
バスの運転も、結局は自分にどういう習慣を付けて行くのかにある。上手くなると言うのは、その様に日々習慣付けて行く事の結果としてしか出ない。
日々を疎かにして、確たるものとして身に付くものなんて無いのではないか?
そんな結論でございます。
二つの動作を端折って、「効率的」に一度にやろうとするから失敗する。それだけでなく見苦しいのですね。あれもこれもと欲張ると本当には身に付かない。
疲れたのですが、乗務なので3時起き。朝食を作り、お弁当も作りました。
面倒がらずに、習慣にする。
元気でいる事も習慣の力から。
なるべく丁寧に、野菜も切っておりますと、丁寧に育てられたものと、そうでもないものとの違いも分かって来ます。
料理も下手ですが、なるべくちゃんとした習慣にできれば、それなりに上達できると思います。
別れた妻の様には行きませんが、私なりに学んで来ました。
学べる人に出会えた事は、結果がどうあれ人生の宝だと思います。
一体どれほどの人に学んで来れた事でしょうか。
例え明日死のうとも、学び続け習慣の力で身に付けて行く。
結果がそれなりに見えた時代では無くなったからこそ、目先の結果に縛られない生き方をする。
そして、出会った人とその時間を大事にする。
波乱万丈を経て、この時代にたどり着いた確たる私がおります。
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2025/05/15 11:33
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JR時代の仲間たちと
おはようございます。
私の方、今日は貴重な有給休暇でJR時代の仲間たちとゴルフを致します。
仲間たちとは年一回ペース。
会社の方はフル稼働状態ですので、いろんな意味で有難いオフの日です。
昨日までの「見習い」運転士さんが、今日は一本立ちして私の代わりをしてくれます。
JR時代の仲間たちとゴルフに行くと話しましたら「何かあったら電話します!」と言うので「出ません。」と返して笑い合いました。
クラブハウスの脇に「桜の宮」と言うお宮さんがありました。
62年もの歴史があるゴルフ場なんですね。私が5才の時にできたのですから。
私のハーフのスコアと同じくらいの数字です。まるで練習など致しませんので、当然とは言えます。
ゴルフと言うのは、バスの運転同様に、心の状態が素直にでるのでございます。
なので、スコアも下手なりに安定しているのだと思います。
と言う訳で、何があろうとも変わらぬ仲間たちと、新緑のコースを楽しく歩いて参ります。
みなさまも良い一日をお過ごし下さい。
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2025/05/14 07:38
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花は何のために咲くのか?
朝の出勤時間に明るいのは、有難いです。車に乗ろうとしたら甘い香りが漂って来ました。
ハゴロモジャスミンの花の香りが凄いのです。小さな庭ですが、福来ミカンの花の香りも致します。柑橘類は実の香りが爽やかですが、花の香りも甘い中に爽やかさがあります。なんてステキなんだろう!と気持ち良く出発致しました。
大昔の植物には、花が無かったとの事です。花を付ける植物は、進化した植物で、花を付けない植物より増えやすいのですね。
私の家の庭には、カタバミもたくさん生えています。
黄色の花のカタバミには、葉の赤いカタバミもあります。カタバミは、横に根を伸ばしながら、花期が長いのでタネもどんどん飛ばすのでいくらでも増えて行きます。抜くのも大変で、放っておくとカタバミだらけになってしまいます。凄い繁殖力です。
ところがカタバミは、これだけではありません。
こちらは、葉がちょっと大きい「ハナカタバミ」です。こちらの繁殖力も凄いのです。
そして、さらに
こちらの根っこが芋みたいな「イモカタバミ」もあっという間に群生状態になります。
世界には800種類ものカタバミ属があるそうです。
これだけ繁殖力が強いのですから、そんなに綺麗な花を付けなくても良いんじゃないの?って思ったりします。
で、私は考えた訳です。
虫や鳥に来てもらい、動けない植物が受粉を助けてもらい繁殖して行くために花が咲く。それはそうなんだろうけれど、どうして競う様により綺麗な花を付けようとするのかと考えました。
虫は人と同じ様に花は見えていないし、植物は自分の花なんか見えないのにな〜。それで思った事です。
花は、やっぱり人にアピールしているんだよって。
気に入った花を見たら、海を越えたり、国境を越えたりして広げるのって人間しかいない。
虫や鳥たちより、気に入れば強力に増やすのが人間です。人間は、さらに自然の花を改良して美しい花を咲かせたりします。
だから、究極の生き残り方法としての進化が、美しい花を咲かせて人間を引き寄せる事じゃないの?カタバミの花を見ながらひらめいたのでございます。
ネアンデルタール人のお墓にも花が飾ってあったと言う事でしたが、古代から人は花に引き寄せられて来たのです。
人を引き寄せるのが究極の繁殖方法なんて訳ないよ、と否定できない様に思います。人を引き寄せた花は、人が大事に育てて増やしてくれるのですから。しかも世界中に広げてくれるのです。
あまりに繁殖力が強く野生化した植物は、特定外来種なんて決められて駆除の対象にされたりしますが、そうは問屋が卸さないくらい繁殖して花を咲かせております。
人が惚れた弱みってやつでしょうか、手が付けられない現状があちこちにございます。
しかし、花が侵略して来たのではなく人が連れて来たから居る訳です。
勝手に連れて来て、邪魔になったら取り除く、排除するって事の方が人間の勝手じゃないのかななんて思ったりもします。まんまと引っかかったのですから。
自然が人間を生み出したのは、自らの美しさを愛でさせるためだ。と言った人もありました。とすれば、愛でられない人は人間たり得ないと言うか、人として生まれた幸せを本当には感じられないのかも知れません。
誰しもが、美しい風景や花に惹かれます。しかし、心に余裕がないと本当には見えない。
自分自身を振り返りながら、心の余裕が持てない人の運転を指導しながら感じた事でもあります。
今日のバス車庫「すみっコぐらし」では、スイカズラの開花が見えました。
こちらもとても良い香りがするのですが、指導そっちのけで用水路に落ちるとまたしてもアンビリバボーな「レジェンド」になってしまうので諦めました。花の魅力は恐ろしいのでございます。
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2025/05/13 13:59
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人は、捨てられたものにでも命を吹こめる。
今日は、雨のスタートになりましたが小学校の送迎バスです。やっぱり子供たちを乗せて走るのは、特別に楽しい私がおります。
青空でないと新緑の鮮やかさは今ひとつなんですが、畑のじゃがいもの花が満開でした。色んな花が次々と咲いて、田舎道の方が変化に富んでいると私は感じます。街場を走るよりは好きな私です。
昨日は、枯れてしまったドウダンツツジを伐採した枝の始末をしながら、実は気に入った枝を探しました。
気に入った枝と、先日磯崎海岸で拾って来た流木と石でオブジェを作って見ました。
流木に石を置いてみながら、何か足りないな〜なんて考えておりました。ちょうど手頃な大きさと形の枝を見つけたので組み合わせて見た訳です。
白い流木にはオイルステインを塗り、枝と石には透明ニスを塗って見ました。石も白っぽい石だったのですが、ニスを塗ると隠れていた赤味の色が鮮やかに出て来ました。
流木は、使われていた杉の板が捨てられて海の水に洗われ岩にぶつかりながら磯に打ち上げらたもの。石は、火山の噴火灰が蓄積して出来た凝灰岩だと思います。気泡が抜けた穴がたくさん空いているのが特徴なんですね。磯のあちこちにありました。その中から気に入った形の石を拾って来ました。
それぞれに私の知らない長い歴史があるのです。出会って拾わなければ、それまでの事。
庭の木も、私が植えなければ別の運命があったのですが、植えたと言う時点から私と運命を共にする事になったのですね。
家を売って、別れた妻の転居費用を捻出しようと一旦は不動産屋さんに見積もりをお願いしたのですが、古い家に価値がなく買値の半額と言う事。しかもせっかく植えて育って来た木たちも切られるしかない。
そう考えると家や木々たちが、だんだん可愛そうに思えて来ました。
私が買った時点、植えた時点から、運命が私に託されていたのだと気付きました。
同時に、私が死ねばいずれ壊され、切られる運命にある事も見えるのです。
そうしますと、やはり生きている限りは出来る限りの手入れをして大切にしてやる事が、生かすと言う事なのだと見えても来たのでございます。
それが、売れるとか売れないとかの資産価値の問題ではなく、共に生きると言う本質的意味なのではないか?
そんな風に思えて来ました。
筑西市で仕事の合間に野道を散歩して、初めて出会った「ナンキンハゼ」の木です。葉の形が可愛いと思い、近くに生えていた苗木を採取して家の入り口に移植しました。
こちらは移植したばかりの頃の写真です。
それが今ではとても立派な大きさに成長して、夏の強い日差しを遮ってくれる様になりました。
家の中が木漏れ日状態になります。蛾の幼虫が付くのが困りますが、有難い存在です。剪定して来ましたので枝ぶりもなかなか良い感じがします。
そうです。私の時間をちゃんとかけた分以上に、植物もちゃんと応えてくれる。それが分かりました。
つまり、私がかけた時間が、無駄な時間では無かった事を植物たちが教えてくれているのです。
今では、こんなに立派な幹になっております。しかも、木肌が綺麗です。
たぶん、私に残された時間にだんだんと限りが見えて来たのだと思います。
だからこそ、人にもものにも自分が納得する様にちゃんと接したいし、ちゃんと会っておきたい、語りかけて来るものを感じながら聞いておきたい。そう言う欲求が湧いている様に思うのです。
時間も空間も、目一杯満たそうとすると心は貧しくなる。ゴミ屋敷にはしませんが、捨てれば良いと言うものでもないと思います。
買って済ませる。買って心を満たす様な事はやめる。金銭的価値にとらわれず、自分自身の心の価値しか、自分に残るものなんて無いのだと思います。
なので、会いたい人にもちゃんと時間をかけなければなりません。
暇だからでなく、会っておきたい。会って時間と手間をかける。そうする事で、人の心も育つのだと思います。すると、もっと豊かなお返しが来る。
今日は、研修指導した運転士についての感想を初めて上司から聞かれました。「ベテラン運転士から丁寧な特訓を受けて良くなったと思います。精神的に弱いみたいなので、落ち着いて運転すれば大丈夫です。」そうお答えしましたら「それなら、明日辻川さんとの研修を最後にひとり立ちさせます。」との事でした。責任重大な事ではありますが、腕の良くない私などの意見を聞いて判断して下さる事に人として、運転士として信頼して下さっている事に有り難く思った瞬間でございました。
信頼は、かけた時間と共にお互いを育て良い環境を作り出す。
そんな事を思いました。
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2025/05/12 11:56
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