辻川慎一つくば便り
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人類の発見。
昨日からフワフワ舞っていた雪が降り止まず、朝起きましたらかなり積もりさらに降り続いておりました。
(よく見ると雪の結晶が見えます。不思議です。)
休日で良かったと思いながら懸案事項を片付ける事に致しました。
先ずはせっかく頂いた金柑を無駄にせず、ジャムと甘露煮に致しました。
茹でた金柑を二つに切り種を取り除くところから。この手間が一番大変です。
出来ました!
しかし、昨年頂いた金柑に比べると僅かに苦味がありました。やはり、旬と言うのがあるのだな〜と感じます。
そしてさらに、貧者のリフォーム。2階の部屋の床張りとペンキ塗りも致しました。
はい。完成でございます。6枚1000円の杉板5セットと床用ニスで10000円ほど。素人なれど金銭的価値の無い家でございますので、出来る事は自分でやります。そんなに見かけは悪く無いと思います。
4時起きして動いておりましたので、10時までには片付きました。
まだ雪が降る中を衆議院選挙の投票と買い物に行く事に致しましたが、車と道路に積もった雪かきが必要でした。
ペンキ塗りに雪かきで、足腰が痛み出しました。もう若くは無いよな〜って改めて思います。
そんなところにJRの後輩から、選挙権の行使についてこれからの子どもたちのためにブログで取り上げて欲しいとのメールが届きました。
いやはや大変なテーマでございます。
私が今読んでいる本でございます。文化人類学者川田順三さんと前衛的作曲家武満徹さんの言葉と音楽をめぐる往復書簡です。
なかなか興味深い内容ですが、その中に人類が自分たちが人類である事を発見したのは結構最近の事なんだとありました。
アフリカで誕生した人類が何万年もかけて移動して、世界中に広がった訳ですが、そんな事は知らない。大航海時代になって、諸大陸で先住民を「発見」する。そうしてどうやら我々は人「類」と言う類である様だと分かって来るのです。
つまり新大陸と先住民の「発見」で、自分たちが人類である事も発見して行く。
それまでは、◯◯人と言う呼び名はあっても同じ人類だなんて思っていなかった。かなり最近まで、人類としては一緒だとか同じなんて言う考え方は無かっと言う訳です。
それから、黒人や様々な先住民族と同じであるはずが無いと差別・搾取する人とい~や同じ人間なんだと言う人が利害関係を背景にして対立して来た。
私たちは、そう言うところに立っている。それは既に解決された問題ではありませんね。
だから「世界人権宣言」が、世界人類の一つの到達点として掲げられている。
人種はもちろん性別も、年齢もあらゆる差を超えたところで人としての権利を認めなければならない。その権利と言うのは、自分の利害から主張されるものではなく侵してはならないものとしてある。
つまり子どもであろうと老人であろうと、障がい者であろうと、何があろうとも人として尊重されなければならない。それが侵される事に対しては、人として断じて戦わなければならない。そう言う激しさを秘めた宣言なのだと思います。
狭い利害関係に縛られた権利の主張と言うのは対立します。こちらが先じゃないか!なんて道路上だって死者やケガ人が出ます。それが国家間になれば、戦争になる。
つまり権利の主張と言うのは、常に対立含みである事を忘れてはならないのだと思います。
選挙権を含めて、あくまで利害対立で衝突しないために考え出された「権利」なのだと思います。
さて、ここで大切なのは同じ人であり人類だと言う考え方にあると思います。
自分が不安だったり、辛い時に「自分だけがどうして。」あるいは「自分たちだけが」なんて思ってしまう訳ですが、それは他の人も同じだって事なんだと思います。
遠い世界の人も友だちになれば分かりますが、目の前の、周りの人も友だちになって行けば分かる。
友だちのなり方?
簡単だよ。人の辛い事や不安な事を感じたり、想像して、先に行かずに待つ事、何もできなくても寄り添う事、一緒に泣くこともできるし、大丈夫だよ僕がいるからって励ます事もできる。
自分が不安だったり、辛い気持ちがあるなら友だちの気持ちが分かる。それが全ての人につながっている。だって人類だもの。それは「権利」なんてのを超えたところにある。
それが一番大切じゃないかな。
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2026/02/08 13:40
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人が友だちなら待つ。
1週間の疲れが溜まる金曜日。ラッシュアワーの中の大型バス運転を3便。さすがに疲れてしまいました。
それでも、注意を怠れば一瞬で大変な事になり飛んでもなく疲れてしまう事になります。
焦らず、慌てず待つんだ、疲れているのだから気を付けてと自分に言い聞かせながら運転します。疲れたからは言い訳にならず、出来ないなら運転士を辞めるしか無いのでございます。
何事も自分の心の反映なのだと、いつも思います。
そんな中、信号機の無い交差点の暗い横断歩道に自転車に乗って待つ人を見つけて停車しました。子どもと高齢者以外に自転車に乗ったままの人を待つ義務は無いのですが、飛び出されるのが怖いので待ちます。
十代くらいの女の子に見えました。私のバスが停まっても対向車や右から来る左折車を見て、なかなか渡らない。参ったな〜、渡らないのかな〜?と焦れながらも、ここで動いたら危ないとさらに待つ。
で対向車と左折車が無くなってからようやく渡ったのでございます。今どきの若い娘なので、期待はしていなかったのですが前を見ながら、ちゃらっと手を上げて行ったので可笑しくなり笑ってしまいました。
全ての車が停まってくれる訳ではないので、むしろ身を守るためにしっかりしているな〜って感心しながら、待ってくれた事にサンキューサインは送ってくれた訳です。後続車も焦れたろうなと思いながら、そこは王道を行く大型バスなので大半は諦めてくれている様に思います。
私の方は待った事で心の余裕が出来ました。
(今日は疲れておりますが、頂いた金柑でジャム作りをしようかと思います。)
何とか無事に切り抜けて帰庫しました。ヘトヘトではありますが、それから給油と週末の清掃をしなければなりません。
バスの事故と言うのは、実は車庫で起きるのが70%。疲れてほっとしたところで起きるのですね。特に年配の新人運転士の研修でも、その事をお伝えして来たのですが、給油をしてから無事に車庫入れしてエンジンを切り、清掃の事を考えながら運転日報を書き始めたら何やらおかしい。隣のバスが動いているの?と思ったら私のバスが後退している「ヤバい!」とブレーキを踏む。要するに、サイドブレーキを引いていなかったのでした。転動防止手配をしてからは基本中の基本な訳ですが、疲れているのにあれこれと先の事を考えていると抜けてしまうのです。
小移動で何事もありませんでしたが、やっぱり疲れている時こそ慌てず、先を考えずに一つ一つしっかりとやらないといけないと反省した次第でございます。
そうです。そう言う事と無縁なバス運転士はいないのですね。痛い思いをしながら、そのような素養を身に着けてやっているのがバス運転士なのです。運転している姿は、ほんの一部分なのです。
腕の良いベテランでも隙が出てしまうと魔が忍び込むのです。なので、とても慎重でストイックな方が多いと思います。
だからこそ、笑い合う事も大切にしている。
その魂を感じながら、学びながら私自身を作り上げている。
一人で運転している様ですが、日々人から学ぶ事で成り立っているのがバスの運転士なのだと思います。なので人から学べ無い人には難しい仕事なのだと思っています。
さて、今夜から雪予報です。乗務の日で無いのが有難いと思います。気温が上がりませんが、休みの日にしか出来ない事をやりたいと思います。
みなさまも無事で、良い土曜日をお過ごし下さい。
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2026/02/07 09:23
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馬年に神憑る(かみかる)
今週最後の乗務は大型バスでございます。スキーツアーで、貸し切りバスがフル稼働しておりますので運転士の配置が大変な状況です。バス会社を一つのチームと考えれば、それぞれの力量を見極めて配置につけてみんなで勝ちに行っていると言う感じが致します。ロートルな私なれど戦力である事が何やら嬉しくも感じます。
(梅の花が次々と咲き始めました。)
宇宙から来た生命40億年の歴史と言われます。
私たちは、母親の胎内で40億年の進化を「十月十日」で辿ってから人として誕生しております。原生動物も魚類も両生類も辿ってから生まれている。そうしますと、本当は生まれてからの記憶だけで生きている訳ではありませんね。普段は意識していない、潜在意識の世界がある。
どうも現世御利益に囚われておりますと、自分も他の人に対する見方も誤るのではないか?そんな事を考えているバス運転士は、あまりいないかも知れません。
馬年の今年、風水にも詳しく霊感が強く、しかもバス運転理論もしっかりとしている新しい同僚ととても「馬が合い」、親しくなりました。
その方が「辻川さんに憑いている人がいて、その人の言葉を伝えています。」なんて、恐山のイタコの様な事を言いました。そんな事を信じた事は無いのですが、その言葉にもとても説得力がありました。何せ、その方とは何の利害関係も無いのでございますから。むしろ、出会ったばかりで私に誘われて「危ない人かも知れない」と警戒したと言っておりました。
「憑く」と言う言葉には馬が付きます。馬が何かに憑かれた様に走る様から来た言葉なんですね。
(ホトケノザの花も咲き始めました。)
短期間のうちに、先輩同僚二人の告別式に参列して、御尊顔にお礼とお別れを告げた後に何やら心が清められた感じがして不思議でした。
お葬式にも「顔を出しておかなければ」とかの損得勘定が働く訳ですが、故人との関わりを思い出しながら心からのお礼とお別れを伝えて来ますと違うものが来るのです。
それで分かった事がありました。亡くなっても、心の記憶に留めて忘れない人が守り神の様に私に憑いていると言う事です。
そうしますと、私に一番強力に憑いているのは息子と言う事になりますが、それだけでは無い。私の人生に影響を与えながら共に生きて、この世を去って行った全ての人が私には憑いている。
なるほどそう言う事か。と合点が行ったのでございます。その人たちが「自分の天命を生きなさい。」と言っているのです。
(真冬に咲くビワの花です。いずれも小学校の校庭に咲いておりました。)
それが分かった時、周りにいる人はもちろん私に関わりある人たちをつまらぬ目先の利害関係から見るのではなく魂のレベルから見て関わる事で、全く違って見える事が分かりました。
「現実」の見方もまた変わるのです。現実は変わらないのではなく日々変わっている。その現実と言うのは、魂のレベルで結びついて行くための土台であると言う事なんですね。
なので、厳しかったり過酷であったりすると、なお一層強く結びつく。
なるほど、それは地球生命の本質的あり方では無かったか?
そんな事を考えます。
さて、そんな訳で今夜もちょっと過酷な金曜ラッシュの中を、大型バスで走ります。その大変さが分かる同士には、魂から結びつく条件がある。それを生かさないのはもったいない。
かつての鉄道労働者の結び付きと言うのも、そのレベルにあった。しかし、そこを見る事や感じる事が出来ずに金勘定にすり替えてしまった事でその魂は憑く人を失ってしまった。
ところで、私が関わった人は私に憑いているんですね。私が忘れずに生きているからです。それに私は守られているので、強力に「持っている人」なのだと言われるのだと思います。
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2026/02/06 12:18
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もうすぐ春ですから
何気無くやり過ごしてしまう日々ですが、今日と言う日は二度と来ません。そう思えば、愛おしく大切な1日の様に思います。2026年2月5日の今日は、小学校の送迎バス担当でございます。
今日はかなり古い三菱製のマイクロバスです。エンジン快調なマニュアル車。オートマよりも好きなのですが、ヒーターが暖まらないのが難点。車庫から学校に着くまで暖まらない。それが分かっておりますので、暖かな下着にカイロを貼り防寒靴、さらに厚手の白手袋で構えたのですがそれでも指が痺れてしまいました。
やはりまだまだ朝の寒さは厳しいですね。それでも雪が降らないだけ有難いと思います。
公園ランチにしようかとお弁当を作ったのですが、身体を暖めた方が良いと一時帰宅する事にしました。
暖房を効かせて、お弁当を頂きました。
70才で癌で亡くなられた恩師が、徹底して身体を温める事で余命宣告を超えて頑張った事を思い出します。冷えは免疫力を下げる。温めると上がる。なので身体を内外から温める事は、癌だけでなく全ての病に効果があると思います。
私には、たくさんの亡くなられた人たちが守護神の様に憑いている。そんな事を思う日々です。
なので、私も善き人の守護神にならなければバチが当たると思っております。
食事をして音楽に浸りながら、安楽椅子でウトウト致しました。
今日聞いたのは、学生時代にバイトして買ったLPレコードの中の一枚だった井上陽水の「氷の世界」のCDです。
改めて浸ると、やはりとても独特の世界を表現していたと感じます。約半世紀前にもなります。
聞くと言うよりは浸って、別世界に行って見た感じです。
あまり目の前の事柄に囚われていると、目の前の世界の捉え方も貧しくなってしまう。
そんな事を感じます。
私の目の前の人も世界も、だんだんと豊かさを増しておりますし。つまりは、私がどう見るか?で世界は変わる事を実感中なんですね。
同じと思っている事も、実は人それぞれで違う。だから、人の話しと言うのは面白い。同じだと思っていて、好奇心を失った人の話しと言うのは私も面白く無い。
世界を知り尽くしたなんて事は無いのに、全て分かる見たいに思っている人ほどつまらない。
どうも最近は、未知との遭遇があったり再発見があったりとだんだんと愉しくなって来た自分がおります。
同時に悠然として参りました。
「辻川さんは、別格の人ですから」と28才の同僚がさり気なく言ってくれました。「異次元の人」と言われたら困りますが、言葉が残りました。
さて、そろそろ午後便のために再出勤致します。みなさま、無事で良い1日をお過ごし下さい。
https://youtu.be/SUicv9I4Q3U?si=92jsj2mURFRXUkB0
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2026/02/05 11:59
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縁を生きる無縁様
無縁様とは引き取り手の無い遺骨または縁を失った魂の事を言うらしい。してみると私も無縁様一直線と言う現状でございます。
しかしながら、私が夜乗務をしている間に節分の豆撒きをして下さった方がおります。「辻川さんに福がたくさん来ます様に。」との事でございました。
しかも散らからない様に丁寧に小袋に分けて撒いて下さった。
どうも有縁を生きる無縁様と言う感じが致します。
そう言えば、私の息子と同じ28才の娘さんを突然亡くされたと言う小学校の添乗員さんが「命日になると名も告げずに花束を置いて行く人がある。」と言う話しを思い出します。
それから、私が25年ぶりに仲間たちと合流して一緒に働き、闘ったJR勝田車両センターの線路向こうにはひたちなか市一番のパワースポットと言われる「無縁様」がありました。
無縁様の縁日の時に、おやきやラッキョを買って来て私たちに振る舞う同僚もおりました。昼休みなのに、お神酒を飲んで来ると言う風変わりな同僚でもございました。今はどうしているのでしょうか?
私が無縁様になると息子も両親も無縁様になってしまいます。諸行無常を感じます。
かと言って、何やら縁が縁を呼んで不思議な出会いが次々と起こり、68才にしてなかなか充実した日々が訪れているのも確かなのでございます。
まるで修行僧の様に自分と向き合いながらのバス運転の日々の中で、毎日新しい発見もあります。
不思議なところにたどり着き、不思議な発見をする旅が続いております。
まあ、無縁様と言うのも今の時代には普通にある事になってしまいました。なので、私は紛れもなく時代を生きていると言う事になります。
無縁の時代に、より深い魂レベルの縁を求めて生きているのかも知れません。きっとそれは、国政選挙で躍るスローガンの中には無いものの様に思います。
そもそも、日々働き、生きて、死んで行った人たちの大多数の人には無関係なところで成立して来た政治の様に思います。しかし、その結果の影響は強く受けると言う訳です。
(私が働いていた時の勝田車両センター「電留線」)
思えば、たくさんの縁を生きて今があり、今もまた縁を生きている私です。
どうなるか?なんて事を考えてもそうはならない事も学んで来ました。
本当に一人になり、無縁になった時に見えるものがある。既に見え始めている。本当の縁とは利害関係からは見えないと言う事を。
魂の縁を求めながら自分の心、魂に耳を傾け、亡き息子や亡き人々とともに今日も悠然と歩き、ハンドルを握り続けるのみでございます。
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2026/02/04 14:01
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