辻川慎一つくば便り
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断固とした一日。
一昨日は乗務が入り、昨日は強い雨で晴れた今日もいつも通り3時に目覚め、夜明けと共に動き始めました。
残念な事に、毎年見事な花を咲かせて見せてくれたドウダンツツジの生垣が無残にまだら枯れしてしまいました。なので枯れた木の伐採から始めました。のこぎりで幹を切りましたら、真ん中に黒い穴が空いておりました。どうやら虫にやられてしまった様です
ちょっとだけ街場で困るのは、切った枝を細かくして袋に入れなければならない事です。大量に枝が出ましたので、切った後が大変なんですね。
続いて、玄関の整理とペンキ塗りに挑みました。
何せ古い家なのであちこち傷んでおります。本当は、アメリカのちょっと昔の時代みたいに、家全部のペンキ塗りをしたいくらいです。とりあえず出来る範囲からと言う事で玄関内外の床とドアを塗りました。
矢沢永吉さんの歌ではありませんが「黒く塗りつぶせ!」って感じです。
そうさ朝から晩まで Night&Day
いつも働きぱなし
まるで犬ころみたいさ Night&Day
なのに文無し Night&Day
シャクナ
金持ちを
みんな
黒く塗りつぶせ〜♫
まあ犬ころには失礼ですが、文無しは一緒かも知れません。
どうもペンキ塗りも腰に来ます。
しかし、不屈に
飾り棚代わりにしようと考えた自作長椅子も黒く塗り。
さらに庭の畑の囲いも、芝をはぎ取りながら黒く塗った板でリニューアル致しました。
いやあ、ひたすら黒く塗った一日でございました。
安売りのペンキを買って置きましたので、費用は2000円。全て自力でございます。
すっかり汚れて、疲れてしまったのでシャワって洗濯機を回そうとしましたら「U4」エラー。ん?「UFO」ならずとも良く分からん。しかし、ここで洗濯機がダメになるのは痛すぎる〜。金がね〜。
諦め切れず、ネットで調べました。蓋のロック異常との事。ん〜。試しに蓋を上から押さえて見ましたら動いたではありませんか!
天は、我を見放さず!
いや、どんなに頑張っても報われるとは限らない。
どんな結果になろうとも、私は今日も一日断固としてやり抜きました。
それで良いのでございます。
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2025/05/03 17:02
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メーデーに農道を走りながら。
おはようございます。
昨日は労働者の祭典と言われるメーデーだったのですね。
67才で昔は労働組合の委員長までやっていた私ですが、多くの中小企業労働者同様に自分の仕事と格闘しておりました。私なりの「祭典」でございます。
(もちろん、バスを運転しながら撮った写真ではございません。)
私のメインの仕事は、工場の送迎バス運転で夜が遅くなります。「働き方改革」でバスやトラック労働者の労働時間規制があり、1週間続けると法令違反になってしまうとの事で、週に一回だけ小学校の送迎が入ります。
そのコースが4つあるのですが、昨日はまだ運転した事の無い田んぼの農道コースでした。
狭くて普通車でもすれ違えない農道を、マイクロバスで走るのでございます。
ちょっと間違えると田んぼに落ちて大変な事になります。
ちょうど田植えの時期ですので、軽トラやトラクターがあちこちで動いておりました。
午後は、低学年と高学年の子供たちの下校便が2回ありました。
迎えの時は、子供たちが待っていてくれますのでうろ覚えの停留所でも何とかなったのですが、帰りは悩みながら添乗員さんの助け無しには無理でございました。何せ初めて走ったのですから。
午後の1便目、土手の竹林の下草を刈払機で綺麗にされている年配の人がおりました。
こうして、下草を刈っているから綺麗な風景の中を走れるんだよなって有難い気持ちになりながら走りました。
そして2便目に通りかかりましたら、軽トラが停まっていたのでございます。
う〜ん。何とか通れないかなと軽トラの脇を通ろうとしたのですが、やはり無理。無理して田んぼに落ちたら、子供たちが乗っているのですから大変な事になってしまいます。
後続車の軽トラも来ておりました。
「無理ですか?呼んで来ましょうか?」と言ってくれる添乗員さん。警笛を鳴らすのも何だかはばかられていると、ようやくオジサンが来てくれたのですが、何も言わずにドアを開けてマイクロバスにゴンとぶつけて移動致しました。
何だか無愛想で、こちらが迷惑をかけている様な感じでした。
「もう少し広いところがあるのにね」と添乗員さん。「そうですね。考えてくれれば何という事も無いのですよね。」と私。
せっかく竹林を綺麗にしているのですが、別に見る人の事を考えてではなく自分のためだけなのかなって残念な気がしました。
茨城県人、惜しいよなって感じでした。何より、私が無理したら危険を呼び台無しになったよな、と反省しながらです。
結局、どんな時にも最後は自分の判断が問われるのです。
そんなこんなで、無事に終わりましたらやり切ったと言う高揚感もありながら、やっぱり疲れ切った私がおりました。
と言う訳で週一回だけの小学校の全コースを完全制覇した記念日が、2025年のメーデーと言う事になりました。
まあ、他の人には関係の無い私だけの小さな記念日と言う事ではありますが、人生と言うのはそれぞれの小さな記念日の積み重ねでできているのかも知れません。
だから、そうした事を共有してもらえる人がいたら嬉しいのだと思います。
何気に、私に話しかけてさりげなく助けてくれるやんちゃ青年に「頼んだ車は来たのかい?」と聞きましたら「今日届きました。何言われるか分からないので奥に止めました。」と言うので「そうなんだ!良かったね。どれ?」って一緒に見に行きました。
日産の黒塗り高級セダンのチョー車高短車でした。
「良いじゃない!フォルムもみんな同じ様な今風じゃなくて、なかなか素敵だよ。」って感想を言うと嬉しそうでした。「こんな素敵な車なら、彼女を助手席に乗せないと。」と言いましたら「いませんよ。」と照れるのでございます。そんなところが可愛いなって思います。
彼に取っても小さな記念日だったのです。
一緒に喜んでくれる人がいると、喜びが深くなるのだと思います。
たくさんの人が心を合わせて一緒に行動をしたり同じ場にいるから、コンサートでも、スポーツでも楽しいのだと思います。メーデーが楽しく無くなって来たのは、その心よりあれこれの立派な主張をぶつけ合って来た結果の様に思ってしまいます。
祭典と言うのは、みんなで心を合わせられた時に本当の祭典になるのではないでしょうか。心が合わない人同士に、記念日は成立しないのですから。
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2025/05/02 07:23
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木漏れ日
あ〜明日も休みだって、一杯やろうかと思いましたら会社の点呼さんから電話がありました。「辻川さん、明日は小学校の送迎が入ってるよ。◯◯コースね。」「ありがとうございます。◯◯コース一人なんですね?」と聞きますと「一人だよ。」との事でした。
何せ日給月給の身ですので仕事があるのは嬉しいのですが、停車場が他のコースの倍以上ある初めて運転するコースでございます。研修で他の運転士さんたちと、ざっくり一度だけ見たコースでしたのでうろ覚えなんです。
見るだけと実際にやるのとは違う事も知っております。まあ添乗員さんもいるので分からない時は聞けば何とかなるだろう。と以前に比べると動揺したり、心配し過ぎたりしなくなった自分がおりました。
さて、発車前に◯◯コースに乗ったばかりのやんちゃ君にアドバイスをもらい、実際にやって見ましたら難なく出来た次第です。何より動揺しなくなった心の持ち方の成長が大きい事を感じました。みなさんが嫌がる田んぼのあぜ道みたいなところをひたすら走るコースでございます。
離婚したので、きっぱり自炊する事にしました。朝食とお昼の分を炊いて、昼はおにぎりに致しました。雑穀ともち麦入りです。
公園の駐車場で木漏れ日を見ながら、静かに頂きました。とても心が落ち着きます。
そんなところにも、離婚を知った昔からの仲間たちからメールが届きます。
みんな「辻川さん、やけになって飲み過ぎるなよ。元気でいれば良い事があるから」って感じなのが、自分でもおかしくなります。まあ、私がどんな無茶な飲み方をしていたのか知っているからなんですね。
そんな暖かく私を思ってくれるメールが届くだけで、既に良い事が起きているよって思います。大切に思ってくれているのですから。その続きが「元気でまた一緒に飲みましょう。」と言うのがまた笑えます。
公園に咲いていた小さな花を見つけました。調べたら「なよなよワスレナグサ」と言う名前の様です。老眼には辛いですが、とても可愛い花で結構珍しい花みたいです。どうりで見た事が無いはずです。
以前も映画館で観てきた感想を出しましたが、私の理想みたいな人の映画「パーフェクトデイズ」をこんな木漏れ日の風景を眺めていると思い出します。
木漏れ日に包まれていたいために公園のトイレ掃除の仕事をしている人の物事です。と言ってもストーリーの背景は追わない不思議な映画です。
木漏れ日と言うのは英語には無い表現だそうです。言葉にならないものを表現した映画なんですね。
言葉にならないものを音楽で表現している人もおります。こちらも以前ブログに貼り付けました。
https://youtu.be/MyZ3JDf3tyA?si=kiJpMRrG2kBFk76w
どうでしょうか?
木は言葉を発しませんが、生きて何事かを発しております。草も花も。人にも言葉にならない事がありますね。安易に言葉にしてから、違うなって事もあります。
つまり心が伴わない言葉っていくらでも出て来るのですが、心に聞きながらだとなかなか言葉にならないのだと思います。上滑りな言葉を交わしているから、表面ばかりでお互いに心が通じていない。そこに生きている幸福感は生まれ無いのだと思います。
簡単に言葉にできない人を蔑んではならないのです。木も草も動物も、沈黙しているから心が無いとは言えないのです。
心が通じたいから沈黙する。大切な事の様に思います。感じるしか無い世界。
音楽はたくさん流されますが、沈黙の多い映画でした。
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2025/05/01 12:01
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三つ子の魂。
昨日は、ひたちなか市の実家に泊めて頂き両親の話しをゆっくりと聞きました。
「お前を置いて5メートルくらい先に行って、おんぶする格好をしても決して来なかったんだよ。他の子なら、喜んで駆け寄っておんぶするのに。置いて行った事に怒ったんだよ。そのくらい私から離れなかった。」と母。
「俺と二人で富山のじいさんのところに行った時は、家に入るのが嫌だって動かなかったよ。じいさんが何と言っても入らないんだ。あの時は参ったな。でも常願寺川で遊ばせたら一日中遊んでいて、それからお気に入りになったんだ。」と父。
二人して「慎一はみんなに可愛がられたんだよ。ラムネみたいな目をしてるなんてね。富山生まれだから余計に可愛がられたよ。」
そんな思い出話しをしてくれました。
私は二人が生きて来た人生そのものくらいに大切な存在なんだと、改めて深く思う一時でした。
父の90年、母の85年の喜びや悲しみ、苦労の中で私は育って来た。と言うか紛れもなく一緒に生きて来たのですね。その愛の深さをひしひしと感じました。
こちらは、母が用意してくれた朝食です。「このごろはだんだんと面倒になって来て、こんなもので悪いね。」と言いながら、私の好物の赤魚粕漬けを絶妙に焼いてくれて、味噌汁も美味しい煮干しで出汁を取っておりました。有り難く、美味しく頂きました。
あちこちに、散歩しながら廃屋のお庭から調達した季節の花が飾られています。
とても花が好きな母親で、古い家ながらあちこちに花があって艶やかにされています。
帰る時には「オニギリを作って持って行け」とふりかけや海苔を出してくれました。あーしろ、こーしろと世話を焼くのですが「大丈夫だよ」と私が握りましたら「お前、上手だね〜。」と驚きまながら「うるさいバアさんだって思ってるだろう?」と言うので「何言ってるの、母さんの心は伝わっているよ。」と返しました。
帰路もまわり道をしながら帰りました。息子の思い出がある場所を通ると胸の深いところからぐーっとこみ上げるものがあります。また、心がざわめき始めてしまいます。
そんな時には、一つ一つの事をなるべく丁寧にやる様に心掛けると落ち着いて来ます。
ちょうど干潮だった磯崎海岸に寄りました。
貝取のためでなく、流木を見つけに磯に降りて見ました。
なるべく綺麗で、気に入った形の流木を探しながらウロウロ致しました。
天日に当たると海苔の香りが致します。
無心に海風に当たりながら、流木探しをしていますと、それはそれで落ち着きます。
欲を出しては台無しの時間になってしまうのも感じます。
何事でも同じな様に思います。欲をかくと心の目が曇って、嫌な時間になってしまう。人にも、物事にも、愛情を持てなくなって結局時間をムダにしてしまう。
そんな風に思います。
人に怒ったり、憎んだりする事に使う時間がもったいないとも思います。
両親にも「お前が優し過ぎるから付け込まれるんだ。」と叱られたりします。「でも、仕返しだとか考えていると自分が嫌になるんだよ。言うべき事は言うけれど、囚われたくは無いんだ。」と話します。
自分の心は、誰にも何ものにも囚われたく無い。自由な心でありたい。だってそのために闘って来たのですから。
どんな支配にも心の自由は奪わせない。自由と言うのは、自らに由る事なのですから。
三つ子の頃から、そこは結構頑なだった事を知りました。なのできっと終生変わる事はないと思います。
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2025/04/30 16:39
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新緑の風の中で
時間が許す限り自分が見たいと感じる景色を見ながら、連休初日はひたちなか市にある息子のお墓に向かいました。
先日納骨室の石蓋に隙間があり、雨水が入り込んでいるのが分かりましたのでコーキングしようと思った次第です。
高速も、国道も混雑している事を予想して、どうせなら新緑の中を走ろうと考えました。
この時期の山林は、ハットするほど美しく感じて風が気持ち良い。
茨城がつまらないなんて言う人は、観光地しか見ていないからだよなって思います。
人が来ない日常の風景に、ハットする様な美しさがあるのです。
水が張られた水田の向こうにある農家の日本家屋にとても惹かれたりします。停車スペースが見つからず撮りそこねましたが。
あちこちで山藤が満開でした。
旧千代田町を抜けて恋瀬川のたもとにでました。
はい。恋瀬川と筑波山でございます。菜の花がギリギリ残っていました。
石岡市を抜ければ国道6号線は水戸までは空いております。
水戸の手前茨城町にある「松月堂」にて父が好きな「赤飯いなり」を予約していましたので寄りました。前回は売り切れていた柏餅がありましたので、こちらも買いました。
水戸市を避けて涸沼湖畔を通る事にしました。
若い時分に、組合の仲間たちやその家族とバーベキューをやった思い出があります。
めちゃ末広がりの鳥居とマツバウンランのコラボ。涸沼湖畔の芝崎神社です。
人気が無い分とても静かで落ち着きます。
車でフジコ・ヘミングさんの「雨だれ」と言うとても沁みる音のアルバムを聞いていると不思議に合いました。
https://youtu.be/op0aaD_R-8A?si=utSdfA2e4jmFuzdf
リスト作 コンソレーション(慰め)第3番を貼り付けて見ます。
実家に寄り母を乗せて、息子が眠るお墓に。
骨壺を12年ぶりに出して、汚れを丁寧に拭き取り、蓋を開けて顔の骨を整えながら撫でました。納骨した時は、悲しみのあまり良く見れなかったので「久しぶりだな。雨漏りに気が付かなくて悪かった。直して行くよ。」と声をかけました。
一緒に心地よい風にあたり、静かな時間が流れました。
私の悲しみが分かってくれると思い再婚したのですが、やはりそれは違っていた事が分かりました。
別に相手の人が悪い訳ではなく、悲しみは、誰にも分からないのです。分かってくれると思うのが誤解なんですね。
言いようの無い悲しみは、私自身が背負い続けるしか無い。それで良いのだと思う一日でありました。
そんなところに、党派によって断絶していた古い友人に昨晩思い切ってメールをした事に返信が届きました。
「メールをもらって嬉しかった。会いたい。」との内容でした。
そう、国鉄分割民営化の嵐の様な時代を共に闘い、共に生きた歴史の重みは消せないのです。
1985年に生まれた息子も、その渦中に生まれ、紛れもなく私の子として生きていたのです。
消されてなるものか!
私が消したら終わってしまうのだ。
私の心の動揺と後悔が終わり、揺るがなくなった自分を確認した瞬間でもございました。
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2025/04/29 15:35
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