辻川慎一つくば便り

ムラサキツユクサに思う

昨日は、久しぶりに仲間と飲み楽しいひと時を過ごしました。
ちゃんと帰れるかどうかを心配して、酒量をセーブして家まで一緒に来てくれた仲間がいます。

階下からは、彼のにぎやかな声が聞こえています。

 
(庭では梅雨に咲く「ムラサキツユクサ」が綺麗に咲いています。「ひと時の幸せ」あるいは「尊敬しています」が花言葉だとのことです。)

昨日のブログにも、たぶん旧知の方かと思われる人からコメントをいただきました。ありがとうございました。

私は、旧国鉄の時からずいぶんと先輩たちには可愛がられて来た様に思います。私を非難した方もいましたが、大体は事実でないことを対立党派から煽られた方でした。

そう言う先輩たちにも、労働者であればきっと今に分かってもらえると考え、反論することもなく自分が信じることを貫いて来ました。

国鉄分割民営化でも自分の守りに入らず、運転士からも、鉄道の仕事から外されてもみんなで闘うことを訴え続けていた私に、大先輩の一人が「俺が間違っていた。お前に謝る。」と言って職場を去って行きました。

若い人たちには厳しい方でしたので嫌がる人も多かったのですが、最後まで自分の生き方と筋を通された立派な方だったと思います。毎年年賀状を交わしていたのですが、昨年喪中ハガキをいただきました。

人のうわさや意図を持った決めつけは、人と人の関係を曇らせます。実は、全くあてにならない。自分の目や感覚を明け渡すことは、せっかく思いがけずに生を受けていること、思いがけずに出逢った人との関係を疎外するのだと思います。


(北海道産の培養土ですくすく育っているキュウリの花です。)


私の様な者をいまだに大切にしてくれる仲間はもちろん有り難い。しかし、私を非難した人たちも、きっとその時その時に守るべきものがあって非難したのでしょう。私には、その一人一人に何の恨みもありません。

ただただ自分が正しいと信じ、一生懸命生きて、闘ったのであればそれはそれで、労は労われるべきだと思います。

散々頑張った人を非難して、足蹴にする様な人を、結局人は信用しません。

政治党派と自分の正当化が目的であれば、みんなのためにはじめた運動の根本否定であり、堕落でしかありません。

主張や立場の違いは当然あるでしょう。しかし、そこに相手の存在に対する尊敬がなければ、人の関係を変える運動の前提を欠くのだと思います。

今日は、ちょっと難しい話でしょうか?
私を無事に送るために、自分は飲んでいるフリをしながら水を飲んでいた仲間。相手への労りや気遣いと言うのは、そう言うことなんだと私自身の胸が熱くなり学びます。

そこには、目的も裏もない。目的が立派だと、人への思いの純粋さはどうでも良くなっていき、言葉だけが踊るのです。

私の目的は、人と人の信頼の関係を築くこと。労働組合こそ、それを実現する道だと今でも思っています。高貴や正義を競った古い関係が通用しなくなり、地上と日常を土台にしたもっと根本からの変革の時代が来ている。

そんな風に思うのです。

コメント

プロフィール

HN:
No Name Ninja
性別:
非公開

カテゴリー

P R