辻川慎一つくば便り

無差別殺人事件と孤立化

新学期がはじまりました。

久しぶりに見る子供たちの笑顔がまぶしい。着任の頃は、仕事も、子供たちとの接触もまるではじめてでぎこちなく失敗続きでした。

「大変失礼しました。失敗してしまいました。」とアナウンスすると笑いが起きました。

子供たちだからとごまかさず、失敗を率直に謝っていたら逆に助けてくれるのです。初心者の強みですね。


子供たちとアイコンタクトできて、微笑みかけてくれる時の嬉しいこと。逆に元気が無かったり、休んだりすると大丈夫なのか心配になります。

人と心が通い会うのは簡単じゃない。相手に対する思いやりが無いとだめだし、時間も必要です。だから、心が通った瞬間が嬉しいんだと思います。


(筑西市。バスを走らせていると右手に筑波山、正面に日光男体山が見えます。)


昨日から「やまゆり園」の45人殺傷事件の裁判が始まったとニュースでやっていました。

無差別殺人事件が後をたちません。共通する特徴は、犯人の圧倒的孤立の様に思います。

社会で孤立化し排除された人が、無差別に他者を排除し殺す。その犯人を、法で社会から抹殺して社会の形式上の「安定」が保たれる。

殺した人も、殺された人もこの社会から葬られて終わり。それで良いのだろうか?

本当は、その悲惨な事件の中にあるべき社会に向けた重要なヒントがあるのではないのか?


(北から見た筑波山)

アイコンタクトができたり、心が通じ、生きていて良かったと感じることより、効率化やお金に価値があるとされて来た社会の限界が見えている様に思うのです。

誰か邪魔者を「打倒」し葬れば「安泰」な社会で、日々葬られているのは実は人としての自分なんじゃないか?そして、かけがえの無い仲間である他の人との関係ではないのか?

無差別殺人の犯人が死刑にされても、青年たちが圧倒的な孤独にさらされている現状を変えること無しに何の解決にもならない様に思うのです。

青年たちも、私たち高齢者もみんな小さな子供だった。子供たちを守ることと青年、高齢者を守ることは人として同じだと思うのです。

私一人ではできない。だから私は、労働組合にこだわりたいのです。

新学期2日目。子供たちにも助けられながら、子供たちをしっかり守りたい。

行って来ます!

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