辻川慎一つくば便り

雑巾のしぼり汁と欲望

おはようございます。
今朝は氷点下2度、三日月が凛として綺麗でした。



昨日、午前中の乗務を無事終えて、洗車、窓拭き。


みなさんで一息つくと、いつもの様に介助人さんたちがコーヒーを入れてくれました。

先輩が話だす。

「先生に最近は(同僚に)携帯電話盗まれなくなったか?と、聞いたら最近は無くなったと言っていた。先生たちもドロドロしてるんだ。」

「うわー!やっぱり激辛カレーイジメみたいのあるんすね。」と私。

「頭が良い分、陰湿みたいだよ。」と先輩。

「うちの会社は大丈夫ですか?この前先輩方がニコニコ話していると思ったら、別れたとたんに『あの野郎はウソしか言わねー』と言うのでびっくりしました。」と私。

「そうそう、いなくなった奴の悪口を言って盛り上がるのさ。怖い職場だよ。」と別の先輩。

「私ら介助人さんの恨みは買ってないっすよね?」と私。

「分からねーぞ。コーヒーに雑巾のしぼり汁入ってたりな。」と先輩。

ん〜。コーヒーの味が微妙に変わるから不思議だ。

そう言えば、嫌いな上司のうどんに下剤を仕込んだJRの後輩の話を思い出した。

労働者を敵にしてはいけない。雑巾のしぼり汁も、下剤も嫌だ。

職場に団結を作る労働組合の大切さを、コーヒーをしみじみ眺めながら感じた次第です。


(筑西市には梨畑がたくさんありますが、ひときわ丁寧に冬を越している畑に感動しました。見えないところに手を抜いていません。)


しかし、どうして協力して仕事をしているはずの職場で、イジメや対立があるのでしょうか?

心が満たされていないことがある様に思います。

人間の進歩の原動力は、欲望だと言われます。「欲望の固まり」みたいに悪く言われますが「欲する心。まだまだ十分でないと望む心。」はとても大切なことではないでしょうか?

心地よく生きること。気持ち良く感じること。そして簡単に満足しないことが技術や芸術の原動力です。

運転だって、これで良いと思ったら終わると言われて来ました。

だから、簡単に手に入ったり、簡単にできるものに人は感動しないし、満足はできないのだと思います。


(ボブ・ディランの「欲望」。凄い作品だと思います。)

「あなたは、多く持てば持つほど(心は)貧しくなる。」とは、カール・マルクスの言葉です。

欲する心あるいは望む心と、たくさん持つこととは違うのでは無いでしょうか?

いくら持っていても、人間の心は満たされない。「欲求不満」の連鎖がイジメにはなっていないでしょうか?

大切なことは、日常にあり、目の前の人にある。労働組合が取り戻すのは、人間の感覚や感性そのものではないか?

そんな風に思いました。

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