辻川慎一つくば便り

連戦連敗で愛される武将

戦国武将に自分たちの今を重ねて思い入れて楽しむ人、昔から結構います。

つくばに来るまで地名すら知らなかったつくば市小田に「小田城」を訪ねました。

下妻市大宝城、筑西市関城の落城と下妻氏、関氏の滅亡に深い関わりがあることを知ったからです。

歴史が詳しい訳ではありませんが、道を覚えるのも目印など知っているところから展開して行くのは同じかと思います。


(小田城跡。筑波山麓の東側に位置します。)

現在ではかなりローカルな場所ですが、常陸国の半分近くを支配した小田氏の拠点だったそうです。

資料館もあって、ざっとながめたのですが15代400年続いたとのこと。へ〜!江戸時代より長いんだ!と言うのか驚きでした。

小田城も何度も追われながら奪還しています。

(筑波山を背景にした小田城跡の全景)


どうして長持ちしたのかな?と考えてしまいます。

南北朝時代に、5代目治久は南朝側の拠点大名として下妻氏や関氏と一緒に戦う側だったのが自分が敗北すると寝返ってしまい、逆に攻める側に立つた。

なんて卑劣な奴なんだ!って思うけど、結局どう生き残るか?支配を拡大するか?だし、武士に命がけで戦わせて南北朝は和解してしまう訳ですから寝返りだけを非難できないのかもしれません。


(一部復元された城の中です。)


戦国時代の15代小田氏治になると連戦連敗で、最弱の戦国武将トホホキャラで結構有名なことも知りました。

小田城は佐竹氏に奪われてしまいます。しかし、小田氏としては滅亡せずに江戸時代にも生き延びた様です。


(城内でドッヂボールをする子供たちの姿が可愛い。命がけで城を奪い合った意味は何だったのでしょうか。)


何だか情けない印象ですが、領民からは支持されていた様です。領民が佐竹に年貢を収めず、襲撃された記述もありました。家臣の土浦城主に何度も救われているので、家臣にも恵まれていた様です。

トホホな大将でも共同体の誇りだったのかもしれません。 

南北朝の乱は、農村共同体と貨幣流通の発展を決定的に進めた様です。それまでの支配のあり方が合わなくなったのですね。戦国時代を経てようやく安定します。

まあ、一介の労働者と武将は違いますが、それから500年が経ちます。

連戦連敗に自分の人生を重ねつつ、それでもメゲない精神力には学びたいと思います。

そして私たち労働者もこれから100年を展望する共同体の拠点「城」を打ち立てられたら良いな。

なんて夢だけは諦めずに持ちたい私でした。

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