辻川慎一つくば便り

自立ってなんだろう?

三学期がはじまり、ちょっと見ない間に子供たちが成長したと感じます。

毎日見ていると逆に気付きにくいのかも知れませんね。

三学期が終わると卒業して新しい道を歩み出す子もいますが、自分のことを自分でやらない子は何だか心配になります。

ところで、自立を一人立ちとか表現するので、一人で生きられる様になることだと思ってしまいます。

でも、一人では生きられないのが人間です。あらゆるものが、人の手や労働を前提に成り立っています。

土台「私」と言う言葉も、あなたや周りの誰かがいるから「私」として成立するのです。


(今日は妻が休みなので、お昼は体が温まるものをと作ってくれました。美味しく一緒にいただきました。)


一人では生きられないのに、自立とか一人立ちと言うのは、本当は人間の「共同の中で」「自分で」生きれると言う意味でしか無いはずです。

つまり、困ったり、辛かったりする時に「助け」たり「助けられたり」する関係を築く、あるいはその中で生きる。それを本当の自立と言うのではないでしょうか?

親や学校から、より広い共同性の中で、共同性を発展させながら自分の人生を全うして行く。

一人で何とかすると言うのでは、自立でなく孤立になる。

孤立は、とても弱いと思う。


(カレーは私が、ライスは息子が、トッピングは妻が…昨夜の合作メニューでした。)


ファストフード店で一人で食べる。
居酒屋でも一人飲み。
コロナで孤食が一層増えているのでしょうか?

「孤食」は、人間の猿への退化だ!と言った方もいました。

人間は、狩りに出かけた昔から、自分だけのものは採らず、必ず余計にゲットしてそれを分けて食べたと言う。

分け合うことが、人間を人間にして来たのだと言います。

常に自分以外の家族、そして仲間を考え分け合う。その共同で生きて来たのですね。

ここをちゃんと据えて生き抜き、それを子供たちに伝えて行かなければ人間として終わる。

私が労働組合の長として認められたのは、一人の仲間が困った時に、自分が先頭に立ってみんなで助けたからだと今になって思い出すのです。

共同性と共生。労働組合をやりながらずいぶん強調して来たはずなのですが、現実に分け合う家族や仲間がいて改めて分かることです。

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