辻川慎一つくば便り

老親を見直す。

かつての子供たちは、両親が働く姿を見ながら育ちました。

今は、人が働く姿そのものが見えなくなっていないでしょうか?

働くこと無しに生活できないのに、働くことで社会が動いているのに、働く人自身はかえりみられない。

そして、人と人の関係が全てお金で換算されている。少なくなった子供たちも、増え続ける高齢者たちも全てお金儲けの対象にされています。


(那珂湊線阿字ケ浦駅)


老人福祉施設で働く女性から、語られる理想と全く違う職場の現実を聞きました。

慢性的な要員不足の中で、命を守る必死の日々。無理だと辞めて行く人たち。必要な要員も揃えられず、正規の残業代を支払っていないのに赤字経営で、出口が無い。一体どうすれば良いのか?

そう聞かれました。

労働条件、賃金条件について「法に基づく支払い」を求めて行くのは労働組合の役割だ。そこまでは、説明できる。

しかし、そこに法に基づく現実が急速に破綻していることに対する回答は無いのです。

子供たちも、若者たちも、高齢者も金に換算され、金銭の関係にされています。

いずれも「人」として大事にされてはいないのです。

(ひたちなか市発祥の「サザコーヒー」めちゃウマです。)

私の父は、下3人の兄弟を高校に行かせるために自分は中学を出て鉱山で働いた。85才になる今まで、兄弟から故郷富山の名物が送られて来ます。

金のために「中卒」のレッテルがついて回ったが、兄弟には尊敬され愛され続けています。

そして母は、貧困のためにやはり中卒。16才で結婚し、17才で私を産み。子育てをしながら働きづくめの人生だった。青春時代なんてものも無かった。

だから、もし私が彼女を尊敬できないならば、彼女が生きて来た意味さえ無くなりかねません。

高齢者を金勘定にすると言うことは、人が生きて来た意味を根本から否定することではないのか?

子供たちに対しても、若者たちや、仲間に対しても、そして自分自身に対しても生きている意味を日々無意味にしてはいないのか?

金ではなく、人と向き合うことは自分自身の今までのあり方と向き合うことだと思います。

特に母親と向き合うこと。大切だと考えさせられたお正月でした。

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