辻川慎一つくば便り

組織の論理?

会社、労働組合、政治党派、宗教…人間は組織を作り活動します。

どうしてなんでしょう?
チコちゃんに聞いてみますか?

ちょっと時間が無いのでシンちゃんの考えです。

それはね〜、人間は共同して生きる存在だから。一人では生きれない存在だからです。

たから「寂しい」とか「孤独」だとかの感情を示す世界に共通する言葉があります。

逆に一人に追い込むことが、組織や集団での最高の制裁になります。

昔の「村八分」だとか「島流し」から、子供たちの世界の「シカト」や「ハブ」に至るまで、孤独に追い込むことは存在を抹殺し、人の命を奪うことに等しいのです。


(昨晩は、動労水戸平支部の忘年会&送別会だったと写真が送られて来ました。)


動労水戸組合員は、国鉄分割民営化に反対して新たに労働組合を作ったのでJRから村八分にされ、鉄道事業から20年以上追放されました。

辛く苦しい時代があって今があります。一番苦しい時代の長が私でした。
会社組織から追放されてもどうして頑張れたのか?と言えば、孤独ではなかったからです。

同じ厳しい試練に耐える仲間がいた。むしろ試練が仲間とは何かを半端なく問い続けた。

会社という共同体から排除されても、自分たちが生きる共同体を作り上げて来た。それが動労水戸という労働組合です。

共同体は、人間が生きるためにある。人間を生かすためにある。それが第一。

ところが、いつのまにか共同体の維持が第一の目的になり、人間を支配する道具に転換してしまうことが起こる。手段が目的になってしまうんです。

そうするとその共同体は、本質に於いて求心力を失う。生命力を無くし、消えて行く運命にあります。

そして人間の共同体は、長と言う人格を通して体現されます。だから長と言うのは、共同体の命運を左右する存在になります。

会社の経営者で神格化されていた人が会社が潰れると、惨めな存在でしかなくなってしまう例がたくさんあります。会社と言う共同体がある限りでの長たがらです。


(一昨日は、動労水戸勝田支部の忘年会に呼んで頂きました。)

かつて国労や動労と言う大きな労働組合の長をやっていた人たちも、自分の力を誤解して組織が無くなればそれまででした。

組合員、すなわち労働者の求心力がある限りでの組織。

求心力が無くなるのを恐れて、組織人として縛る、統制する。そうしたことを始めた時には、その組織の共同性の根本が崩壊している。

そう言うことをたくさん見て来ました。

だから、私は信頼は信頼としか交換できないと言うマルクスの言葉を貫いた新しい共同体を目指し続けているのです。

だって一人では寂しいからです。

今日は仲間が待っていてくれるいわきに行きます。


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