辻川慎一つくば便り

私のヨイトマケの歌

美輪明宏さんの「ヨイトマケの歌」って知ってますか?

ヨイトマケって「ヨイと巻け」のことで今の様な地面を突き固める器械が無いときに、人力で行った作業のことです。日雇い労働者の歌なんですね。


(ヨイトマケ)


私の母は、ヨイトマケをはじめ日雇い労働からパートタイマーまでやって私を育てました。

私は、母が働く姿を目に刻みながら成長しました。父は元炭坑労働者。中卒で兄弟の世話をして働き続けた。

私の幼い時からの疑問は、こんなに働いているのにどうして貧しいのか?と言うこと。

そして、美輪明宏さん自身が長崎の被爆者でもありますが、どうして戦争をするのか?と言うこと。

2つの大きな疑問を抱えながら成長し、その答えとして労働運動の道を選択したのです。

世の中は、ものが無い時代から溢れ返る時代に激変しましたが、見えない貧困が拡大しています。

「防衛」の名で軍備も拡大の一方です。

やはり私の疑問は、解決していません。
では、一介のバス運転士となった今の私に何ができるのでしょう?


(若き日の美輪明宏さん。)


さて昨晩は、勤務終了後筑西市からひたちなか市へ向かい、動労水戸の仲間の家にお邪魔しました。私の両親が住む実家の近所です。

実家に車を停めて両親に顔を見せたら、母が「年寄りが作ったのは喜ばないだろうけど、煮しめを作ったから持っていけ」と言う。

母の煮しめを持って組合員のお宅を訪ねました。すでに酒盛りをはじめていた他の組合員と一緒に煮しめを頂く。
みんなが「美味い。母の味だな。」と言ってくれる。

信頼する仲間との一時は、無上に楽しく、笑い合っているうちに零時を回る。なごり惜しいのだが、人生に限りがある様に時間にも限りがある。

お開きにして帰宅しました。布団に潜り込むと、足元が温かい。何と母が湯たんぽを用意してくれていたのです。

私が小さな時。貧しく、暖房もろくに無い寒い部屋で寝る時に湯たんぽを用意してくれたことを思い出しました。

ヨイトマケや土方の仕事をして、朝、昼、夜の食事に加え兄弟2人のおやつまで作ってくれました。

その母がわがままな父の世話をしながら、残りの時間を愛おしむ様に生きている。

ヨイトマケの頃は20代でした。秋田美人で、綺麗なお母さんだと良く言われた。自慢の母でしたが、ささいなことで凄まじい殴り方をした父を恐れながら母を守ろうとした息子でした。

しかし、私自身は父に殴られたことは無いのです。能力があっても、勤勉でも、中卒がついて回った。悔しさのはけ口が母だったのかも知れません。

「母さん。みんなが美味しいって言ってたよ!」と伝えたら「年寄りの味付けだから…」と言いながら瞳を輝かせていました。

子供のために生き抜いた綺麗な目。20代と変わらない母が見えました。

私にもヨイトマケの歌がありました。非正規雇用労働者だった母の歌です。

https://youtu.be/NQMUspZWTiU

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