辻川慎一つくば便り

真実の関係を求めるから孤立する

東日本大震災と原発事故から9年目の3月11日。みなさんにはどんな日でしたか?

私は、茨城県のつくばみらい市の旧伊奈町にある板橋不動尊を訪ねお参りしました。
一旦焼失したとのことですが平安時代からの歴史を感じさせる、立派な建物でした。


三重塔が目を引きます。

安産を祈願し、子供を守る神様として信仰を集めて来たとのことで、たくさんのお地蔵さんもありました。
この日は、人影もまばらでしたが縁日には賑わう様です。私はJRの友人の分と「交通安全」のお守りを買いました。


人はどうして信仰するのでしょうか?

天災や人災、あるいは病いや愛する人の無事を願ったり自分一人ではどうしようもないことがあるからではないでしょうか?

どんなに強そうなことを言っても、一人では何もできない。信仰には、共同性の中でしか生きて来れなかった人間の本質がある様に思います。

だから同時に、信仰だけで終わらない人間と人間の本当の深いつながりを求め続けて来たのでは無いのでしょうか?

「人の関係はわずらわしい」「一人でいる方が気楽だ」と言う人たちも多いですね。困ったら買い占めれば良いし、一人なら日常生活に困らなくなりました。人との関係はめんどくさい。しかし、その人も人の子です。


(子犬を守る母犬。狛犬ではなく白犬が祀られています。)

しかし、一人の方が気楽だと言う人も本当の孤独には耐えられない。人との関わりが気になるから、一人が気楽なのだと思うのです。


(中世の魔女狩り)

信仰と言うのは人間の共同性の証でもあります。疫病や災害等でパニックになり、危機に陥った社会の共同性を守るために「魔女」を仕立てて大量に処刑した歴史があります。


「朝鮮人狩り」や「赤狩り」もありました。人間の集団が共同性を守るために人間を狩った恐ろしい歴史です。



それを批判する「共産主義」の側でも「反革命狩り」が行われた。

いずれも自分たちの主張の正義の共同性を守るために、人を追い込み人間を狩った歴史です。


JRの後輩から、会社を批判する立場で職場代表選挙に出たら彼に票を入れた人を探し出す「魔女狩り」が行われているとの報告がありました。

会社と言う共同性を守るために、異端者を探し出し追い込む姿には民主主義のかけらもない。しかし私は、その会社や国家の共同性のいつわりを批判する政治党派の側の異端者狩りも散々見て来たのです。

そんなもので維持される共同性自体がインチキなのだ。労働者に心から受け入れられることはないのです。愚かだと思います。


私は、狩られる側の異端者こそが圧倒的な孤立の中で人への愛と連帯の共同性を求める存在なのはないかと思うのです。人間の真の共同性に生きようとするから異端者にされるのではないか?

孤独をしっかり感じ、口先だけの人間を見極め、本当の仲間を求めて生きよう。異端者と見られる人こそが、人間の新しい時代を切り開いて来たのです。グローバリゼーションとコロナウィルスは、古くて狭い共同性の終わりを告げている様に感じます。

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