辻川慎一つくば便り

男の嫉妬

「辻川。男の嫉妬ってのはやだねー。」動労千葉の委員長だったありし日の中野さんが、私に言った言葉です。「何のことですか?」と聞いても答えず「いつか分かるよ。」と言われた。

「辻さんを心配している」と口ではきれい事を言いながら、腹の中では面白くないと思っていた人が実に多い。いざとなった時に、人は分かります。

みなさんも権威をバックにしたもっともらしい話を信じると、痛い目に会いますのでご注意下さい。


(JRの後輩が送ってくれた今日のありがたい格言です。)


私が嫉妬する自分が嫌で汚いと思ったのは中学生の時だったと思う。自分がいつか死ぬことの恐怖とほとんど一体で嫉妬する自分を自覚した。だから人間の本質に関わる感情なのかも知れません。

嫉妬して、卑劣にたち振る舞う自分が嫌になり悩んだ。部活もせず、部屋にこもり勉強することで自尊心を満たす様な暗い思春期だったと思う。先生には「努力型の秀才」と言われた。

もっとも、40年後の中学の同窓会に顔を出したら野球が上手くて勉強もできて嫉妬していた友達から「俺は辻川にコンプレックスを持っていた」と告白された。本当は、友達思いの実に良いやつだった。お互い様だった様だ。


(今朝の筑波山。雲がかかっていてもやはり魅力的です。)


さて、嫉妬する自分が嫌でずいぶん悩んだ末、その答えを見つけて楽になった。

やはりマルクスを学んだルカーチと言う哲学者が、人間の意識が所有するものに置き換わってしまうことを「物象化」と呼びました。

人間の意識が所有するものに支配されてしまうと言うことです。

お金はもちろん、立派な家や車を持つことが自分に置き換わる。物だけでなく地位や権威、自分が所属する組織が自分に置き換わるのです。カルトは、こうして生まれます。


所有している自分が大切なので、他人とは比較の関係にしかならない。その裏返しは、妬みであり嫉妬になる訳です。

「友人」や「家族」も自分の所有物として認識される。

マルクスはこれを「あなたは持つことが多いほど(人として)貧しくなる。」と表現しました。

「君を心配している」あるいは「君の言う通りだ」と言って、自分の意のままに支配しようとする人たちは、マルクスを語る前提を欠いてないでしょうか?


(縄文人は、火炎模様の素晴らしい土器だけでなく「足跡」も残したらしい。でも、残そうって思った訳でなくその時を精一杯生きたんじゃないかな?)

どの様な人も対等な関係として、信頼を築くことは簡単なことでは無いのです。動労水戸と言う労働組合も、大変なことの連続の中でお互いの信頼を深め会って来ました。

あれやこれや仲間を批判する暇さえ無かったかも知れません。激しく攻撃してくれたJR東日本に感謝しても良いかも知れません。

仲間を思いやる。仲間のために何ができるのか考え、行動する。闘いとは、仲間の関係を突き崩すものとの闘いでしたから。


「所有」を超えたところに信頼を生み出した。そこに労働組合の新しい可能性がある様に思います。

お互いにあの世には何も持っては行けない身なのですから、自分の今を生きませんか?

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