辻川慎一つくば便り

歴史を記録する意味?

みなさんおはようございます!
また、新しい一週間の始まりです。

人間は眠り、新しい朝を迎えることでリセットできる。だから眠れないと言うことは、大変なことです。しかし、起きられないのも労働者には一大事。

(夜明けが遅くなって来ました。利根川水系「大谷川」と筑波山。)

緊張しながら、日々の労働の責任を果たす私たち。しかしながら先輩運転士は「車はもう半自動運転になっているし、自動運転は目前だな。運転士をやってたなんて言うと『何ですかそれ?』って言わる時代が来るだろうな。」と語る。

AIの導入で、効率化が極限まで進み人間の労働や手間が駆逐されて行きます。働く意味も、生きる意味も希薄化しています。

この様な時代に、私たちが歴史を刻み残して行く意味は一体何なのでしょうか?

歴史を総括するのは、これからを生きる道標にするためだと思います。しかし、その努力にも関わらず歴史は書いた瞬間に古くなってしまい、新しく書き直す必要が出ます。

生きているからなんですね。


(2016年11月、結成30周年に出版した動労水戸30年史です。)


「AIを導入しようとも、大半の労働者が停滞と現状維持の中で生きて行くことに変わりはない。面白く無いし、みんなが求めているのは、根本的変化なんだ!」

と言う労働者が、この本を5回読んだと言いました。

労働者自身、自分自身の生きた歴史が、新たな歴史刻んでいることが分かるのかどうか?

AIは人間の歴史の道具であり主体にはならない。主体は労働者であり人間だ。労働者の現代社会における根本的変革性の現実性を見いだせるかどうか。そこに勝負がある様に思うのです。

コメント

プロフィール

HN:
No Name Ninja
性別:
非公開

カテゴリー

P R