辻川慎一つくば便り

昨日が終わり、新しい今日がはじまる

今朝は濃霧の中の出勤。視界が悪くて大変でしたが、みなさんは大丈夫でしょうか?

毎日筑波山を見る生活になりましたが、同じ風景の日は一日もありません。

当たり前の様に日々を過ごしていますが、私たちが無事であることは当たり前じゃない。大型バスの運転士になってから、身に沁みて来たことでもあります。

日々無事であること自体が、実は思いがけないことなんじゃないか。有り難いことなんじゃないかと思います。


(「ビールサーバー」?発見!)


「社会党が無くなってから国会が面白くなくなった!村山のやろうが解散させたんだ。」とは、国会中継をみながらの先輩の意見。

もはや「社会党」も死語かも知れない。1996年のことです。社会党は、労働組合を基盤にしていました。国鉄が分割民営化されて、国労解体が進み、動労は路線転換して「総評」を脱退。JR東労組の主導権を握り他労組解体を進めた。

総評が解散し、連合になったことで社会党は労働組合の支持基盤を失い「自社連立政権」成立で自ら解体しました。存在意味を失ったのです。


(レトロな公衆電話跡もあります。)


親ソ連(ロシア)であったり、親中国であったり、どの社会主義が正しいのか?にぎやかな論争があり、暴力的衝突までありました。

マルクス主義は、ペリーの浦賀来航の様にロシア革命の威光を背景に外国から来た。どのマルクス主義が正しいのか?それをはっきりさせることが党派闘争であり、党内権力闘争のかなめとされた左翼の歴史があります。

「外から持ち込まれたどの考えかたが正しいのか?」と言う考え方自体が、現実の労働者とその存在を絶えず下に置く発想の土台になって来た。

党(組織)が上で、労働者は下。労働者に正しい思想や理論を説教するのが党であり、常に正しく、清廉潔白でなければならない。

そして、労働者のためでなく組織のために生きるのが革命家だ。

実はその時点から、現実の労働者の存在と闘いから遊離している。闘うのは「労働者人民」であり、党はそれを総括し、評価する。労働者が離れて行くのは当たり前のことです。



(さてどこでしょうか?)


JR東労組が分裂し、組合員がさらに3分解していると現場から報告がありました。革マル派の影響にあった労働組合の崩壊って、どのマルクス主義が正当か?を争って来た時代の終わりじゃないですか?

現実の労働者から遊離しているのに、金や権威で労働者を支配して来たの時代の終わりを示していませんか?


歴史を作るのも、社会を動かしているのも現実には党派ではありません。あるいは労働者の外側からもたらされる思想でも無い。労働者自身、人間自身が作るのです。

当たり前の豊かな現実に立つこと、それが必要なのだと思います。


(1965年、カーナンバープレートに県名が付き、急速なモータリゼーションの中で開業した筑波山ロープウェイとつつじヶ丘駐車場。久しぶりに訪ねましたが、終わった感が凄かった。)


隣りのトラックの会社では、一気に5人の運転士がやめた(別会社に引き抜かれた)と言います。運転士不足であっても待遇は悪い。ならば少しでも良い条件に流れる。企業が利益を追うなら、労働者も金を求めてフローする。企業や国家へのロイヤリティなど糞喰らえになる。結果、会社も国も、既成の組織もたち行かなくなる。

崩壊しているのは社会そのもののこれまでの価値観なんじゃないか?だからこそ、労働者は労働者自身の新たな共同性を求めているんじゃないかと思うのです。

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