辻川慎一つくば便り

人間は自由を求める。

日曜日に、1987年の国鉄分割民営化・JR移行に反対して結成した労働組合、動労水戸の定期大会がありました。

私は初代の執行委員長でしたが、4代目の委員長が就任したと現場組合員から知らせていただきました。そして、こんなことを言って下さいました。

「辻川さんの悪口をどれだけ言われても、辻川さんを信じついてく仲間も凄いけど、仲間とちゃんと向き合ってきた辻川さん本人が、やっぱり凄いですね。」

私への強烈な反感も、変わらぬ支持もある。支持だけだと怪しいですが、反感もあって当然かと思います。失敗しながら、反省しながらだと思います。


(出勤したらバス車庫を月が照らしていました。)

「3人に1人は職場を去れ!」と言われた国鉄分割民営化。その時に、まず逃げたのは、それまで威勢の良かった労働組合の幹部でした。

そして政党や政治党派は、現場労働者そっちのけので「組織を守る」争い。


本当は、現場も労働組合も労働者が主人公で、全てをひっくり返す力があるのに…

逆に「現場組合員が闘えない」ことが、屈服や退却の口実にされました。それが悔しかった。


だから動労水戸は、それを根本から批判して「現場組合員にこそ全てを変える力がある。」を貫いて来たのです。

特に2008年の最高裁勝利・全組合員鉄道職場復帰から今日までの闘いは、少数組合でも現場を拠点にすればどれほどのことができるかを証明したと思います。


私は、国鉄分割民営化の教訓から「労働組合は、組合員のものだ。」を柱にして「組合員の上に立つ執行部の責任」について厳しく戒めて来ました。

「政治党派の出しゃばり」についてもです。


勝田車庫センターに行ってから日常から一緒に働き、共に闘った現場組合員の揺るぎなき信頼。

逆に厳しく言って来た人たちからの非難。


どちらも国鉄分割民営化との闘いを総括して、貫いて来たことの結果です。良くも悪くも、この結果の総括から次に進むことが、労働組合をめぐる新しい時代を開いて行くのではないでしょうか。

現場組合員と一体の労働組合建設の新しい段階へ!

そんな風に感じます。

私は私で、自分の足元から頑張ります。


(昨日の筑波山。人間の自由を求めた歴史が刻まれて来ました。)

それにつけても、人間の自由と解放を目指していたはずの政党が、自分たちの主義主張に労働者を組み伏せることしか考えられなくなっている現状は何を意味するのでしょうか?

現実の労働者と別のところで、自己確認するだけの保守性あるいは保身性を感じます。


自由とは「自らに由る」と言うことであり、自分の感覚を大切にすることと一体のはずです。

つまり人間が生きる目的そのものと言えます。だから、自由を抑圧する社会も、組織も力を失い滅びて来ました。それも国鉄分割民営化が教えてくれたことでした。

JRの青年たちを先頭に、自由への新たなうねりが、労働組合をめぐって始まっているのに全く理解できない。それなら、邪魔をすべきではないと思います。

違うでしょうか?

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