辻川慎一つくば便り

息子の命日

新型肺炎の死者数○○○人の報道にパニックになる様です。

2013年2月11日、私の息子は27283人の一人になりました。その年の自殺者の数です。かけがえの無い息子が、ただの数字になって忘れ去られることがとても悔しかった。

数値化し統計にすること、そして計算高いことは国や資本主義の発展には欠かせないことだったのでしょう。

しかし、数字は生きた人間そのものにはなりません。感覚や感性は数値化できないし、人間の創造性は数値化されないところにあります。数値が何かを生み出す訳では無いのです。


(一昨日は、弁護士事務所を訪ねた足で亀戸天神に。)


大人しくてコツコツ努力するタイプの息子でした。高校を出て就職した会社が一年で倒産し、非正規雇用でブラックな会社を転々とすることになりました。そして、心が傷ついてしまったのか、引きこもってしまいました。私の勧めで、単身つくばで働き出して間もなく首を吊ってしまいました。心が折れたのだと思います。

28になり、自立を焦らせてしまったかと父親としての自分を責め続け、悲しみ抜いて来ました。

労働組合運動に生涯をかけてきたのに、息子さえ守れなかった。でも、そう言う子たちがたくさんいる。そして、大切な人を亡くして、地獄の様な悲しみを味わっている人が私の様にいる。


(亀戸天神。藤棚が有名とのことですが、梅園もありました。)


労働組合は、労働者の間に打ち込まれる差別を許さず、仲間の苦しみや悲しみを自分の問題とする。そして、労働者として一つになって生きるためにあるはずだ。

非正規雇用の青年労働者である息子を亡くした痛みがあるなら、正規非正規を超えて単一の労働組合を作る時では無いのか。

私は、動労水戸へのMTS(水戸鉄道サービス)の青年労働者の加入を実現し、動労総連合を正規非正規一体の労働組合にしよう!と訴えました。

それを「組織拡大のため」と勝手な解釈をする人もいるみたいですが、地獄の様な痛み無しに成り立たない社会の現実に対して何をすべきなのかと言う自分自身の答えだったのです。

勝田車両センターから始めた「被曝労働拒否」が東日本大震災の死者、震災関連死と言われる原発事故による死者への答えであった様にです。

全てを人任せでなく自分からやりました。



(亀戸天神。菅原道真公のおみくじ。何と「大吉」でした!)


JRの60才再雇用も、たった一駅の配転を拒否して蹴っ飛ばしました。25年かけて取り返した鉄道職場である勝田車両センターから、私だけを外すと言う提案だったからです。

再雇用に応ずれば賃金が減らされても65才までは安泰でした。他の中小企業労働者や非正規雇用労働者に比べれば圧倒的に恵まれた条件です。だから、黙って従えには従えなかった。

そんなことに屈するの?だったら私は何のために闘い、息子まで失ったのか?こんなことに屈したら私は、私でなくなる。

きっと人を数としてしか見れなくなっている人たちには分からないかも知れない。金銭のリスクがあろうが、人として譲れないことがある。

そもそも動労水戸と言う労働組合は、そう言う労働組合として誕生しました。

現在のJR東日本の労働組合をめぐる攻防の中に、日本の労働者と労働組合の展望があると感じています。

この時に大切だと思うのは、青年たちの格闘をあれこれ分析して評論することではないと思います。そんなものが人の心も時代も動かせるはずがない。

人の勇気を起動して突き動かすのは、何よりも勇気をもって行動した人の姿に他ならないと思う。

そして、自分から相手に発せられる言葉とは、相手に一歩踏み込む行為に他ならない。つまり相手に対する責任を伴うのです。

だから、相手に踏み込むことが「自分の誇示」でしかなければ、相手の心を決して開くことはできません。既にその時点で自分を失い、相手を失っています。人間は数ではないからです。

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