後輩として、先輩として
まだ雪が残り、日陰では凍結したままの個所が随所にある中でしたが、昨日は往復四時間かけて就職する息子のアパート探しに行って来ました。
出発が朝8時、帰宅が夜8時。という訳で、ブログを上げることができませんでした。

ともあれ、今年のお正月には何年もお会いできていない人から電話を頂いたり、国鉄時代からの大先輩たちからも「会いに来いよ!」とか「コロナが収まったら桜の咲くころに会おう!」とか言って頂いたりしました。
私に色んなことがあったことを知りながら「分かってもらえるのは、あなたなんだ。」そんな風に言われている感じがして、有り難い思いを致しました。
人の感覚って不思議だと思います。
JRの後輩からは、JRの先輩と飲んでいて嫌な思いをしたとメールがありました。
私が大事に思って来た先輩方は、立場が違っていても後輩の私を思い、ずっと心配していてくれました。
良い先輩は、後輩が生きる決定的な力になるし、影響を与える。
悪い先輩は、前を向く力と意思を奪い、砕いてしまう。

正月に韓国映画を見ました。
都会育ちのわがままな孫が、ウルトラ田舎のおばあちゃんの家に預けられる。
観ている方は、おばあちゃんに散々酷いことをするのでイライラするのだが、おばあちゃんは戸惑いながら孫への揺るぎない愛情を与え続ける。
ラストに、別れる時に孫は自分が返せる愛情の限りを返すことになるのですが…。
人と人の本来の関係を考えさせられる映画でした。
誰かを思い、時間をかけ労を惜しまない。その愛こそが、人の深いところを動かし、何かをせずにはいられなくなる。
昨日もヘトヘトになり、今朝は腰まで痛みましたが、それが息子の何かになれば私は幸せなんだと思います。
尊敬できる先輩たちがいて私がいる。そして子供たちがいるのです。
つまり、自分は自分だけではないし、常に問われているのは先輩、仲間、後輩、子供たちへの自分の心であり人としての姿勢なんだと思います。
そこに終わりは無い。
そんなことを考える正月でありました。
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