辻川慎一つくば便り

「寄合」とミーティングについて考えました。

みなさんおはようございます。

東京の介護職場で働く人から、朝ミーティング、終わってからまたミーティングと話を聞きました。

JRの車両センターでは、朝全体点呼があり、さらに各現場で作業打ち合わせのミーティングがありました。

で、今の職場ではミーティングがありません。

なので分からないことは、個別に聞くしかない。人によって違いがあるので困るのですが、昨日は「勝手なことをしている。聞いてないのか?」とベテラン運転士の一人に言われた。

まあ、聞いてないんだけど「すみません」と謝りました。何しろ、助けてもらうことが多い身なのでちょっと理不尽だよなと思いつつ謝るしか無かった訳です。

あーあ、私も精一杯気を使っているのに。これだから人との関係って面倒くさいんだよね。と私だって思う。

ちゃんとミーティングすれば良いだけなのに。


(筑西市「梶内観音」から筑波山を見る。)

それで日本のミーティングの歴史を考えて見ました。


田舎では最近まであったのが「寄合」(よりあい)。地方に行くと集落の寄り合いがまとまるまで3日も4日もかけたと言う話もあります。みんなが納得するまで、時間をかけた…と言うよりみんながまとまることの方が大事だった様です。

筑波山の周りで展開された南北朝の内乱を通して、農業生産の共同化が進みました。

共同生産の発展と共に「寄合」が、大切になって来ます。「連帯責任」が生まれ、お互いを尊重しないとみんなで生きられない関係になった。

だから、寄合=ミーティングって人間の共同性と切れない関係にあります。


(南天の実が綺麗でした。)

資本主義的生産は、効率化・合理化で人間関係の煩わしさを数値で分かりやすく切った。ミーティングの目的は、金儲け・利潤を上げることに目的が絞られた。

でも、本来は人間の共同性=共に対等に生きることが土台にあった。人間関係の煩わしさを知るからこそ、みんなが合意するまで行われたのが寄合の原理であり知恵なのでした。

だから、ミーティングを大事にする企業も、組織も成功する。一人一人が活きて、力を合わせるからだ。

そんな風に思いました。

ヤバイ!するとこの会社の将来はどうなるんだろう?

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