辻川慎一つくば便り

孤立化と携帯電話

みなさんおはようございます。
コロナウィルスによる経済縮小が凄まじいですね。

昨日は会社の健康診断がありましたが、全く動かなくなったバスと仕事が無い労働者を見て、自殺した息子が高校を出て一年で倒産した会社の風景を思い出しました。

未払い賃金の支払いを求めて付き添ったのですが、たくさんの労働者が来ていました。「息子さんはまだ若いけど、家族がいて明日からどうすれば良いのでしょう?」と話す労働者の言葉に胸が詰まりました。

そう言う事態が広範囲に起き始めています。



グローバリゼーションで資本の移動が世界的になりました。それに伴い人の移動もグローバルになり、ウィルスも世界的に広がる。


かつて無いことだと思いますが、当たり前のことかも知れないと思います。各国家それぞれが自己防衛に走っていますが、対策もグローバルでないと解決できないのではないでしょうか?

私利私欲では共倒れになる。良く考え、行動すべき時かと思います。



東京のスーパーマーケットの店員さんによれば、一昨日の夕方小池都知事が「緊急事態」「東京封鎖」をも視野に「週末自粛」を呼びかけた瞬間に、携帯電話を見ていた人たちが一斉に買い占めに走ったとのことでした。それは凄い姿だったそうです。


さてこの携帯電話、産業資本主義の象徴が自動車であることに対して消費資本主義の最大の発明だと言われます。

資本主義は、古い共同性から引きはがされた人間・労働者を必要とする。家族と言う共同性を解体しても、孤独を感じないで済むツールが携帯電話です。携帯電話があれば、時間や空間を越えて誰かとつながれる。例え一人でも、孤独であることを感じ無いで済む。

面倒な相手や、嫌な人とのつながりを切ることも簡単だ。

人々が、携帯電話から来る情報で一斉に同じ行動をするってことも、本当は孤立化された人たちの当たり前の行動なのかも知れない。簡単につながり、簡単に切れる関係とは血の通った関係でなくあくまでバーチャルな関係じゃないのか?

いざとなると弱いつながりだから、不安になるんだと思う。


(水戸市の千波湖。満開の桜の中を大先輩たちと大切な時間を過ごしました。)

経済だろうと政治だろうと人間が人間として生きるためのものなのに、経済のため、政治のための人間関係になった時人としての関係が根本から弱まる。


長い時間を費やしながら何も残らない人間関係と、厳しい時代にお互いを尊重しながら濃密な時間を過ごした人間関係との違いを、国鉄・JRの先輩から学び直しました。

すでにこの世にいない人を含め、一人一人がその人たちの中で生きている。確かに、私の後輩たちも私自身の存在をかけた濃密な時間を一緒に過ごした人たちは一人一人として私の中に生きている。そしてきっと、私は彼らの中に生きている。

それはバーチャルな関係ではない。道具は使いこなすもの。道具に支配されてはなりませんね。

さて、今夜は3度目の単独トラック野郎への挑戦です。辛く孤独な闘いで誰も助けてはくれないのですが、でも孤独ではない。面白いですよね。

なんて考えていましたら、私の乗る予定のトラックが故障してレッカー車で運ばれたと40才の先輩から連絡がありました。

何が起きるか分からない。簡単な正解の無い厳しい現実と、労働者は日々向き合って生きているのです。

コメント

プロフィール

HN:
No Name Ninja
性別:
非公開

カテゴリー

P R