辻川慎一つくば便り

私が労働組合で学んだこと

「辻川さんは、国労から動労だったのですね。」と国労で頑張っている青年からメールを頂きました。

少数で、1人になろうとも自分の信念を通すこと。素敵ですね。例え組合が違っても働く労働者としては一つです。

私の鉄道人生は、国鉄常磐線高萩駅からです。臨時雇用員と言う非正規雇用からでした。


(常磐線高萩駅。左手の建物が休憩室でした。食事を準備するのも仕事。泊まりの時に先輩から「社会主義青年同盟」に誘われましたが、国鉄分割民営化でみなさん管理職になってしまいました。)


当時はまだ小荷物は駅で扱ってました。小荷物係をしながら、便所や電車の掃除をしました。半年の臨時雇用員を経て準社員に。

準社員になってから国労組合員になりましたが、それが当たり前だった時代です。

組合員になってすぐに春闘ストライキ。駅は対象外で出勤なんですが、電車は動いていない。慣れない車で、凄いラッシュを出勤するハメに。

結局間に合わず遅刻しました。分会長に厳しく叱られました。でも、尊敬してましたので嫌な感じはしなかった。

出札担当の人で、働く姿が格好良く見えました。輝いていたんですね。

組合の要請?で田植えの手伝いにも行きました。私は何もできずごちそうになりに行っただけでしたが、代掻きをテキパキ手伝う先輩たちを見て尊敬しました。

私は、それから赤塚駅から水戸機関区に行って国労から動労に移り仲間と一緒に国鉄分割民営化と真っ向闘います。

私を叱った格好良い分会長は、国労を去り心の病になったと聞きました。

自分が信じてみんなを引っ張って来た組合を去ることが、とても苦しかったのだと思います。


(鉄ちゃん「みつとた」君が送ってくれた写真です。)


私が今の私になるまでに、たくさんの労働者との関わりがあり、たくさんの労働者の誇りと痛みの蓄積があります。

国労も、動労も凄い先輩たちがたくさんいました。労働者は労働組合を信じたけれど、組合の幹部は、現場労働者の存在と力を信じることが出来なかった。

そこに労働者の失望があった。私はそうでない新しい労働組合を作ろうと思いました。

もし私が凄いとすれば、勝田車両センターで現場組合員の力で汚染車両K544の運用を止めたことです。現場の労働者にこそ力があることを、例え少数でも全体を動かせることを証明できたことです。

私は、痛みをいっぱい抱えながら、痛みも喜びも分かち合える仲間の集団を目指していますが、結束した力の力を実感しました。


でも、いつも1人から、少数からの出発でした。それは今も変わりません。

違うのは、何があっても私を信頼してくれる現場の仲間ができたと言うことです。


心から信頼出来る仲間がいること。それが人間の宝だと分かりました。

お金の信用は崩壊します。しかし、人間の信頼は崩壊しないのです。労働組合運動は、それを私に教えてくれました。

今いる会社の一時金の回答が出ました。「辻川さん!デモで押しかけすか?」と仕事のパートナーが言った。「過激ですね。」と言ったら「組合で県庁デモまで行きましたからね」と。確かに方針を立てたのは私でした。年は取りましたが、労働者の力はここにも確かにあるのです。

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