辻川慎一つくば便り

仕事があり、仲間があることの幸せ

 「辻川さんはJRだったし、話は上手いし頭も切れる。相当な収入だったでしょう?」と現在の上司が聞いて来る。

「すみません。会社ととことんやりあって、優遇されるはずないですよ。給料も最低レベルでした。」と返す私。

「私も色々やったんだけど、本当に楽しいことが無い。友人と言っても、深い人関係の人が無いんだよね。辻川さんは?」とまた上司。

「私は、仕事ができて同僚がいる今が取っても楽しいんです。本当です。」と返す。

たぶん分からないかもしれません。


(昨日の筑波山。高い方の男体山、やや低い女体山。二つのレリーフの美しさにハッとしました。)


国鉄からJRまで40年間。そのうち25年間は「駅の売店」でした。

残り15年のうち、国鉄時代が7年(うち電車運転士3年)で、最後の8年が勝田車両センターの検修です。


仲間と国鉄分割民営化に反対して、動労水戸を作り委員長になった。その懲罰で25年間、鉄道本体から隔離された。

鉄道の仕事と仲間から離されての25年でした。

いつか仲間のところに必ず戻る。そして鉄道の仕事を一緒にする。その執念で不屈に闘いました。

昇進も昇格ももちろんありません。バカみたいな執念です。鉄道本体に戻り、組合員と仕事をしながら、一緒に不当な扱いに必ずリベンジして見せる。


(職場で仕事をして闘い、駅頭でも組合員と一緒に闘った。それがJRとの力関係になった。)

そして、それをやり抜いた。組合員は凄く喜んでくれた。そしてJRは、顔面蒼白になった。

その結果、60才再雇用の条件は、勝田車両センターを私だけ出ることにされた。なやんだが、私はそれを拒否した。もう隔離を受け入れるつもりは無い。

勝手なことを言うやつもいたが、これは自分の生き方の問題だ。

とことんまでJRを追い詰め、再雇用を蹴飛ばした。先のあても無かったが、国鉄分割民営化の時に100%クビになると言われた身だ。


実際に、仕事と仲間から引き離されて25年間は凄く長い。だから、車両センターに行き、仲間に仕事を教えてもらいながら一緒にいること。それだけで凄く幸せを感じた。ずっと自分がそれを追い求め、闘い続けてつかんだことだった。

そしてまた、隔離を条件とするJRの再雇用条件を拒否して2年。

新しい仕事に挑戦できて、職場に同僚がいる。そうしたささいなこと一つ一つに、無上の幸せを感じる自分がいるのです。


きっと動労水戸の組合員なら私の気持ちが分かってくれます。職場も仕事も変わって離れても、変わらない大切な信頼関係が、お互いにあるからです。

地位も名誉も何も無いけど、私は一人ではない。

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