辻川慎一つくば便り

今を生きる。

JR水郡線は、台風被害で鉄橋が流され不通区間があります。大子の乗務員は、タクシーで移動して不通区間を折り返しています。昨日動労水戸の木村書記長からメールを頂きました。


今日の仕事で水戸から乗ったタクシーの運転手が元国鉄職員で、車掌をやっていた67才の斉藤さんと言う方でした。
その方から突然辻川さんの名前が出ました。赤塚駅で一緒だった方です。
「辻川は激しいやつだった」と言っていたので、「私は一緒にやってますよ」と話したら驚いていました。そのあとも彼は自分の経歴なども話してくれて、ゆっくり休みながら大子に戻ることはできませんでした。


う〜ん、赤塚駅。JR常磐線で水戸駅のひとつ東京寄りの駅です。

確かに40年前、水戸機関区に行く前ですが、そこにいました。踏切番(交通保安係)をやり、構内係をやりました。


(よく見ないと分かりませんが貨車のフットブレーキです。左足でラッチを掛け、両足を乗せて体重を掛けて踏み込むことでブレーキを調整します。)


構内係と言うのは、貨物列車が運んで来た貨車を番線ごとに仕分ける作業を担当する係でした。

貨車のエアホースを切り、ロックを解除する人。その貨車を電気機関車で突き放す。突き放された貨車に飛び乗り、番線の所定の位置にフットブレーキを操り止める人。

そう言う係でした。失敗すると手足を切断される危険な仕事でした。実際、手足を失った先輩がいたし、私も踏み外しそうになったことがあります。

その時代に、一緒にいた先輩が私を記憶し、何故か40年経つてタクシー運転士になった。そして、偶然にも私の後輩を乗せて、私の思い出を語った。

しかも「激しいやつだった」との鮮烈な記憶と共に。何と言う縁でしょうか。


(昔の赤塚駅です。右手に詰め所があり、みんなで食事を取りました。料理の担当も構内係でした。仲間意識、連帯意識が強かった。)


21才の時。国労と言う労働組合に所属して、大会の代議員になったりして真っ直ぐではあったと思います。しかし、仲間たちと遊ぶ普通の青年労働者だったと思います。

駆け抜けて来た感じで良く記憶してはいないのですが…。

きっと人が生きると言うことは、自分では分からなくても影響し合いながら生きていると言うことなんんじゃないか。

だから誰かが、リスクを取って、逆境で苦しくても負けていないことが、他の誰かの誇りになったり、生きる力になる。

私が特別なのではなく、それが人間の本質なんじゃないか。それは老若男女を問わない。

俺たちはみんなで今を生きている。
そんな思いを強くしました。

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