辻川慎一つくば便り

人生意気に感ず

3月4日の今日は、私の労働運動の師である中野洋さんの命日でございます。

2010年の今日、70才で亡くなられました。私の母と同じ年、同じ月に生まれましたので生きていれば、84才。

奇しくも、国鉄分割民営化に対して真逆の立場を取った「ライバル」の松崎明と言う人も中野さんが亡くなった年の12月にこの世を去っております。

党派間の対立とは別に、同じ時代を生きて特に国鉄労働者に多大な影響を与えた二人でした。

私自身も、動労千葉という労働組合に出会わなければ国鉄に入る事は無かったので、その組合員を率いていた中野洋さんに惹きつけられて人生選択をしたと言う事になります。

鉱夫であった私の父と同じ様な労働者が、中野洋さんを信頼し労働組合の中で輝いていた。

私の党派選択とは、先ず人の選択があった訳です。



「辻川さんと党派とは、どう考えても結びつきませんでした。」と、党派を離れてから言ってくれる人もおりますが、中国の群雄割拠の時代から人に惹きつけられて自分の人生選択をしながら歴史を創って来たのが人間の真実である様に思います。


立派な理論や主張で人が動いて来た訳では無い。土台、「正しい理論」何ていうのは、自分たちを正当化して人を縛りつけるために主張される訳で、正にセクト的なのだと今さらながらに思います。

そんなもので、人が心から動く何ていう事は無いのです。



「人生 意気に感ず」と言う言葉があります。
 
元は唐の時代に活躍した魏徴と言う人が残した「述懐」から来た言葉なんですね。

人は利害や打算で行動するのではなく、相手の心意気に感動して動くものだということです。自分を理解してくれる者に対して感激して、生命さえも投げうっても悔いがない。意気を感じてこそ動くという事です。

それは、40名足らずで国鉄分割民営化に反対する新組合を立ち上げて、中野洋さんが立ち上げた労働組合に合流すると言う事をやり抜いた私自身であり、私を信頼してくれた現場労働者たちの心意気そのものであったと思います。

「反対すれば全員クビ」と言う時代に
、現場の青年労働者と共に、そんな「無謀な」事をやれた人はいなかった。
中野洋さんが、私と動労水戸を特別に愛し、大切にしてくれた理由がそこにあったと思います。(その動労水戸の現場組合員が、現在の動労千葉から離反した意味が分かるでしょうか?)

なので、他の人には見せた事のない一面を私にはさらしてくれました。

良く飲みにも誘われました。

「辻川歌え。」と言って、私が歌い、彼も知っている歌だとハモってくれました。それが見事なので驚きました。

中野さんが好きだった歌は、河島英五さんの「時代遅れ」でした。

その時代の先端を生きながら、実は謙虚な人だった。その歌声は、今も私の中に残り、響き続けています。

https://youtu.be/0xF6bwPP1ko?si=IfywcNMIn1awgQy6

中野さんが亡くなって、早くも14年。

松崎明さんが率いた、JR東労働組合も労務政策が変わった事で分裂しかつての姿はありません。

主張を変えない事で、労働者が動く何ていう甘い時代でも無い。

しかし、中国の唐の時代から、今に至るも人として変わらない事がある様に思います。

心意気を感じて、生きた人に後悔は無いのです。

心意気を党利党略や打算に変えたところに、裏切りがあり、そこに失望が生まれる。

立場が違えども、それが人の世の真実である様に思います。

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