辻川慎一つくば便り

「麻生」違い。

麻生副大臣、「10万円支給は手を上げた人に」と言って批難を浴びていますね。ますます混乱とコロナを撒き散らしてませんか?今日は、逆の麻生さんのお話です。

国鉄からJRへ。

全員20代でたったの40人足らずで、国鉄分割民営化絶対反対で動労水戸を結成したのが1986年。それから34年が経ちました。

JR移行の日の1987年4月1日は、水戸駅北口の駐車場の管理室にいました。そしてその日に平駅(現いわき駅)への配転辞令を持って来られたのがJR水戸支社の初代勤労課長になられた麻生友嗣さんです。

配転自体は、当時委員長だった私を組合員から引き剥がし、組合解体の狙いに貫かれたものでしたが彼もまたその理不尽さに心を痛めていてくれました。



JR東労組が誕生し、水戸では現場からの支持が作れず非主流だった革マル派系の人間が大手を振りはじめた。

ある日私が水戸支社の勤労課を訪ねると、胸を張り偉そうにしている革マル派系の組織部長がいました。

麻生勤労課長は、課員の方に「辻川委員長が来てるんだ。コーヒーをお入れしろ!」と命ずる。私が「東労組の組織部長がいるのに良いのですか?」と言うと「あ~。あんなのは放っておけば良いんだ。」と言われた。

それ以降も、水戸支社の課員の人たちが驚くほど私と動労水戸組合員を守ろうとして下さった。当時とすれば驚くべきことでした。会社は、東労組と一緒になって動労水戸解体のためにめちゃくちゃな仕打ちをする。しかし、その中で守ろうとする幹部がいたのです。

コロナ騒ぎの中、水戸市千波湖の桜の花を見ながら「麻生さんは、あの嵐の時代にどうして私たちを守ろうとしてくれたのですか?」と聞きました。

「辻川さんは、機関区に来る前から知っていた。将来国鉄の大幹部になる人だと見ていた。それが若い人を引き連れて頑張っていた。あなたは、ずっと紳士だった。」そう話してくれました。

私が、会社側の人間を敵としてつる仕上げたり、激しく叩いた様に思う人がいますが、激しいとは見かけやハッタリのことではないと思います。

私の先輩たちは、組合であろうと、会社の幹部であろうと激しかった。

それは生き方なんだと思うのです。私は、激しい生き方を先輩たちから学び、先輩たちに認められ、大切にされて来た。

そしてお互いにお互いを誇り、終生忘れない。私にも、そんな後輩たちがいます。人と人がお互いに信頼し合うのは、立場や形式上のことではないと思います。

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