辻川慎一つくば便り

やってもらうことは、あたり前ではない。

みなさま。動労水戸の現場組合員から「離れていても、近くにいる感じがするので続けて欲しい。」との嬉しい要望に応えてブログを続けて来ましたが、たくさんの方に見て頂いています。

JR東日本はもう見る必要が無くなったと思いますので、新しく見てくださっている方もいるのかなと思います。

コメントを寄せてくださる方も増えてまいりました。ありがとうございます。

公開するかどうかは、内容によって私の方で判断させていただきますのでご容赦下さい。


(こちらでは「ねむの木」が満開です。「夢想」や「安らぎ」だそうです。夜になると葉が閉じるのでこの名が付けられたそうです。)

「やってもらってあたり前は無い」とは、やはり動労水戸組合員に学んで来たことかも知れません。

一年前、那須の自動車学校での還暦超え大型二種免許挑戦で、出口の見えない格闘をしていた時「辻川さん、金が足りないなら今から持っていく。」と言ってくれたのは、当時書記長だった木村委員長でした。

「何とか頑張って見る。どうしてそこまで言ってくれるんだ?」と返すと「何言ってるんだ。辻川さんが俺たちにやって来たことでしょう。それが動労水戸です。」とスッパリ。

何というか、私の方は夢中で覚えていないのですが、勝田車両センターの組合員からも「俺たちは、辻川さんに守られて来たんだ。」と言われたことがあります。

彼らは「やってもらってあたり前」には決してして来なかったのだと改めて思うのです。


(40年。その約半分を一緒に売店に置かれた元電車運転士の仲間とのくつろぎの時間。)

「やってもらうことはあたり前ではない。」

例えば「私は子供たちを乗せたバス運転士だ。そちらが譲るのはあたり前。」も通用しないと思うのです。

ただでさえ法定速度で、後続車をイライラさせる。田舎には必ず狭い旧道が残っています。道幅が6メートルも無く、大型車同士がすれ違えない。

どうするかと言うとすれ違える場所を探して止まる以外にありません。後続車をさらに待たせることになります。

だから、広い道に出たらバスを左に寄せて後続車に先に行ってもらうのです。

「待って頂いてありがとうございます。」とつぶやきながら。きっとそれだけでも、少しはイライラした気持ちが納まる様に思うのです。お互いに顔も名前も知らない同士でも、やってもらったことをあたり前にしない。

「お前、分かってるな。」そんな声が聞こえてくる。何故なら逆なら自分もそうだからです。

こんなところでも動労水戸組合員と一緒に生きて、闘って来たことが私の実になっていると感じます。

偉そうに命令し、相手がやるのがあたり前と言うのは、世間では通用しませんし、やっぱり人の関係ではないのですね。

私の生き方の原点の取り戻しが続いています。

そろそろ、下校の迎えに行く準備に入ります。

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