辻川慎一つくば便り

まつろわず自分を生きること

「まつろわず」ということは「平定することに従わない」という意味ですが、それは自立した自分自身を生きるということとセットでないと「抵抗」自体が目的になり、それに自分が「まつろう」ことになってしまいます。

結局「抵抗する自分」が自分自身に置き換わってしまうのです。ある目的を持って人間は集団を作る。一人ではできないこが、集団になると大きな力を発揮できるからです。

その目的が、一人一人の自己を貫くことと一体になった時はより巨大な力を発揮します。しかし、目的が集団そのものを維持することに変わる時、その生命力が尽きて行くのだと思います。

何のための目的であり、何のための集団なのか?狭い世界に閉じ込められていると見えなくなってしまいます。

さて、日常の時間と空間を超えて非日常に浸るべく、昨日は仲間と一緒に知人の画家の古典に足を運びました。


信じられないかも知れませんが、銀座です。






振り子時計の振り子に描かれた時空を超えた奥行きを感じる作品です。


とても惹かれます。一緒に行った仲間は、これを描いた人自身に惹かれていました。

芸術を難しく語る人もいます。私も良く分からない。

しかし、理屈でなく感じること。何を感じるかが大事だと思う様になりました。

理屈から入るのは、頭脳労働を上とする資本主義社会の特徴でもあります。しかし、いわゆる頭から入る人の動きや姿勢は固く、感覚から入る人はしなやかで柔らかい。

実は、危機に対応できるのは大きな動きでなく小さな動きであり、柔軟さだと言います。

まつろわないというのは、硬直した動きや考えかたに従わず、柔軟に、感覚を大事にして生きることとセットでこそ広がる生き方ではないのか?

そう言う私も、まだまだ理屈から入っているので柔軟さに欠けているのですが。

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