辻川慎一つくば便り

つき崩されないもの

「日の丸・君が代」の強制に対して、解雇の脅しにも負けず、退職後も闘い続けている根津公子先生は、安保法制(戦争法)に対する損害賠償裁判で「あなたにはどんな損害があるのですか?」と聞かれて「私の存在そのものの否定です。」と答えました。

他者への存在への感謝がプレゼントであることと、存在の否定を許さないことは一つであると思います。どちらも自分と仲間を大切にすることだからです。


動労水戸の組合員は、国鉄分割民営化に反対して3職場から11職場にバラバラにされ、3分の2の組合員が鉄道の仕事を外され関連事業(そば屋、売店、植木屋、ベンディングなど)に隔離されました。29才の私を筆頭に、全員20代でした。

組合を脱退すれば、運転職場に戻り昇進昇格試験にも合格する。あからさまな不当労働行為であり理不尽極まり無かったことは、当時の勤労課長も語ってくれます。

脱退する人もいました。将来展望が見えず退職した人もいます。しかし、隔離された大半の組合員は、「必ず運転職場に戻る!」「ハンドルを奪還する!」と言う思いを胸にあきらめずに闘い続けました。

組合のスローガンは「原職奪還!」でした。

私は、脱退した組合員を責めませんでした。何故なら、そこまで一緒に闘ってくれた人たちだからです。頑張って来た人が、力尽きることはあります。それも労うのも労働組合であり、その委員長なのではないか?

そう思いました。長く頑張って来た人を労うのは、労働組合ならずとも人の道だと思います。


(筑波山ロープウェイから「つつじヶ丘」を望む。筑波スカイラインからつつじヶ丘は、ドライブの定番でしたが1965年開業です。)

運転職場に残った組合員も、昇進昇格から資格免許にいたるまで徹底的に差別されました。

鉄道を外された組合員も、残った組合員も全員が運転職場に戻るまで闘う。

運転士のハンドルを取り戻すために闘う!と一丸になって闘い続けました。

そして25年。ついに無理だ、無謀だと言われた目標を、みんなで実現したのです。

しかし、だから何だと言うのか?差別された現実も、過ぎた時間も取り戻せないじゃないか。そう思われるかもしれません。

しかし、動労水戸の組合員の中には25年間に渡って積み上げて来た仲間への信頼がある。それこそが、一生の宝であり付き崩せないものなのです。

検修も誘導も外注化する。そして今や、運転士も車掌の区別も無くすると言う。それは正に、動労水戸組合員の歴史と人生、存在の否定に他なりません。だからこそ、青年たちの憤りを深く理解し、一緒になって闘えるのは動労水戸組合員なのではないのでしょうか。


(筑波山神社がある「宮脇」から「筑波山頂」までのケーブルカーは、1925年開業で圧倒的に古い。魅力的なのは、実はこちら側だ。歴史の蓄積の上に新しい試みがあります。)

筑波山の麓は、北条米、小田米、上郷米など美味しいお米の産地です。野菜も美味しい。そして、美味しいお酒もあります。男体山、女体山の間を水源とする「男女川」(みなのがわ)の名を取った日本酒もあります。水が良く、豊穣なのだと思います。同じ県内にいても、こちらに来るまで知らかなったことです。


(大鳥居前で美味しい小田米がいただける「縁むすび」。)

長い歴史の蓄積があり、それを活かした新しい試みがある。それが深い魅力になり、新しい可能性を生み出していることを感じます。

頑張って来た人たちを労うこともできずに、罵倒して正当化して終わる運動に未来はありません。終わりにしませんか?

人が生きたことを大切にするからこそ、新しいものを生み出せる。そこに人は引き付けられるのだと思います。昔の正当化でもなく、薄っぺらな間に合わせでもなく、みんなを引きつけて行く本物を生み出して行きたいですよね。

私たちは、(国鉄)労働者の長い闘いの息吹の中から、動労水戸を生み出しました。そして、30年に渡る闘いの蓄積の上に新たな試みの時を迎えていると思うのです。

私は、鉄道労働者からバスの運転士になりましたが、私の存在をかけた挑戦は終わりません。


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